世界の名ボクサー:ジョルジュ・カルパンチェ(Georges Carpentier)「華麗な蘭」

ジョルジュ・カルパンチェ(Georges Carpentier)
1894年1月12日~1975年10月28日

①経歴
フランスのカルパンチェ。ハンサムで紳士的。ボクシングファン以外の人々を惹きつけたほどの人気。身長182cm。その華麗な動きから「蘭の男」と呼ばれた。あまり強そうなイメージがないニックネームだが、さにあらず。世界には型破りな選手が多いが、このカルパンチェはその最たる例ではないだろうか? 例えば、ミドル級でありながらヘビー級に挑戦した選手。また、フライ級からスタートしてスーパーウェルター級の世界王者にまで登り詰めたマニー・パッキャオ。しかし、カルパンチェはデビュー当初、今でいう「ミニマム級」のウェイトで試合をしている。徐々に階級を上げ、ヘビー級に。そしてジャック・デンプシーの世界王座に挑戦するのだから驚く。全階級で試合をしたことになるのだから。パ=ド=カレーのリエヴァン出身。貧しい炭坑夫の息子で、カルパンチェも12歳の頃から父と一緒に働いたという。仕事後、フランソワ・デカンが町に開いたボクシング教室に時々通う。プロになる前、サバットも経験(サバットはフランスの格闘技。足技を使う空手のようなもの。アルティメット大会で活躍したジェラルド・ゴルドーが有名)。1908年11月1日に14歳でプロデビュー。デビュー当初はKO負けや引き分け。勝った試合も判定だったり。どうやらパワーに恵まれていなかったようだ。ファンから「あんな小さくて体が細い奴に何ができる?」といった辛辣な声もあったが次第にKOが増え、1909年10月16日、フランス・バンタム級王座に挑戦。しかし、引き分けで王座奪取ならず。二度目の挑戦はTKO負け。昔の選手にはよくあることだが、ハイペースで試合。負けもあったが、階級を徐々に上げていく。また、女性人気も上昇。デカン(マネージャー)の義母がカルパンチェをガード。若い女がカルパンチェをダメにしてしまわないよう、苦心したという。

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