中井菜央「繡」写真展に行った感想
新潟県の津南にある民泊もできる古民家「Classic Lab」にて開催された
中井菜央「繡」写真展に行ってきました。標高が上がるにつれて道路脇の雪壁の嵩が増していくことに慄きつつ。
(合間合間に挟んである画像は私が適当に撮ったものです)
のぼりがなければ気付かずに通り過ぎてしまうところでした。古民家を改装して民泊やレンタルスペース、イベントなんかを開催できるようにしてあるようです。入り口は、よくある民家の入り口でした。他人の家にお邪魔するような感覚を思い出します。
トークショーのために配置を変えてありました。本来だと10畳くらいのひと部屋のぐるりに設えがされていて、真中に立てば写真に囲まれるという感じです。展示の高さはやや低めにされているようで、座って見れるようにと配慮されていると中井さんは仰っていました。
もう一つ展示されている部屋があって、そちらの設えも趣向を凝らしているように感じます。おじいさんおばあさんの写真が掛けられている壁の向かいには津南の、家の中から窓を除いたような風景があり、生活のひとときが切り取られているような趣がありました。
オリジナルプリントも置いてありました。
トークショーでは、中井菜央さんが津南に来た経緯、写真集「繡」を編む時の考え方、そして撮る時の試行、思考なんかをお話しされていました。二部では妻有新聞の記者さんとの対談で、中井菜央さんが撮影した津南を交えてのトークとなりました。デザインチックで、私はマリオ・ジャコメッリの神父が氷上スケートする写真を思い出していました。
印画紙の大半が雪に覆われおり、その一部分に津南の営みが写り込んでいる。その雪の厳粛さに立ち向かうのではなく共生しようとする姿があるように感じました。中井菜央さんは「雪に囲まれたこの地では、雪のないところに”生活”がある」と仰っており、どういうことかと言えば除雪をしたり、融雪の工夫をしたりした結果だからと気付いたから、それを撮影している。なかなかそこに住んでいると生活に追われて、これが当たり前、となってしまうところに着目しているのだなぁと感心しました。
合間合間に置いてある緑と青色は、道路に均一に水を流すための工夫。
「繡」の写真について中井さんは、意味を廃し「そこにある」という事実を大切にして撮影していていると言っていました。そのきっかけは祖母を撮影していた時で、「私は祖母の何を撮りたいのか、笑顔か?悲哀か?病状か?」と考えた末に編み出されたものでした。「そこにある」という事実は何物にも否定できないのです。喜怒哀楽の外にあるような表情を見ていると新潟県加茂出身の写真家牛腸茂雄を思い出します。
「そこにある」という事実を、人や物を区別せず同等に取り扱い印画紙に浮かび上がらせる。背景からも切り離されているような撮り方。「意図していない」という意図で撮影された写真。とても考えさせられました。面白い
新シリーズの展示もあり、家の中から落雪を撮影したものです。点数は少なく、これからと言うところのようです。「そこにある」よりはすこし、決定的瞬間を狙ったところがあるような気がしますがどういう展開を見せてくれるのか楽しみ。
これからは「春」も撮りたいともおっしゃっていました。春に近づくと匂いが変わってくるそうで、土の匂いがしてくるそうです、なにより村の人が春をとても待ち遠しく思っているんだとか。その気持ち、わかる。