記事45:推し事の難しさ
応援しているグループから、誰か抜けてしまったら。
バンドでもいいし、アイドルでもいいし、他の団体でもいい。野球のチームでもいい。その残っている箱を、そのまま応援するかどうかは個人の判断に任される。
僕はアイドルが好きでよく聴いているが、卒業とか脱退という話は本当に多い。そして、そういう事があったときにファンとして残るか応援をやめる(アイドルファンの間では「他界」という)か、それは人によってまちまちだ。
メンバー個人への思いが強ければ、その人がいなくなったら他界するかもしれない。場合によっては抜けたメンバーのその後の活動を追うのかもしれない。
僕は一応、推しがいた方が楽しそうなのでなんとなく決めたりするが、メンバーが変わろうが基本的には応援を続ける。推している人が辞めれば、2番目の人が繰り上げ当選だ。
アイドルにおいては、言ってしまえば「メンバーが変わろうが、曲が受け継がれていればいい」とさえ思っている。アイドルと曲の親和性は、正直そこまで高くないと考えている。
Maison book girlとか、解散してしまったけどBELLRING少女ハートとか、特に推しはいないが曲が好きで追いかけているグループもいる。もちろん声の聞き分けなんてできない。
これがバンドだとどうなのだろう。
バンドは追いかけていたことがないので分からないが、あの人のギターでないとダメだとか、あの人のドラムの"間"が大事なんだとかいうことはあるのだろう。今時のバンドはほぼすべて、自分たちで作曲をしているからそれは当たり前だ。
ではヒップホップではどうだろう。
誰か一人ラッパーが抜けると、もうそれまでの曲は演奏できなくなることが多い。もしくはカットして演奏するか。
新しいメンバーが入って、歌詞を新しくして歌うということは僕の知る限りの日本語ラップでは今まで無かったと思う。というかラッパーが抜けて、新しく別のラッパーが入るということが無いかもしれない。DOBERMAN INFINITYなんかはそういう動きがあったのかもしれないけど、メンバー入れ替えの前後ではまったく別の曲をやっているはずだ。(よく知らない)
複数人で1曲の歌詞を書くのが当たり前という、ヒップホップの特殊性が表れていると思う。これがなければRIP SLYMEも1人欠いてでも活動を続けられたのかもしれない。
サビ以外で人が書いた歌詞を歌うことは、ヒップホップにおいてはマナー違反にあたる。よって基本的にはカバーということも行われない。好きな表現ではないが、いわゆる「リアル」じゃなくなってしまうのだ。
だからSUSHIBOYSの初期の曲をライブで聴きたいとか、8人揃ったニトロの曲が聞きたいとか、SOUL SCREAMやMELLOW YELLOWが3MCだった時代の話なんていうものは野暮なのだ。
BUDDHA BRANDはもう伝説として語るしかないし、Fla$hBackSも、ばっちりラップをするようになった今のKID FRESINOを含む3MCとしての曲をもっと残してほしかったけど仕方ない。泣けてくる。
アイドルの話に戻るが、「推しは推せるうちに推せ」ということである。
KICK THE CAN CREWが再始動したときは泣いて喜び、Perfumeが3人揃って踊っている姿は目に焼き付けなければならない。
これはいろんな人に説いているが、「歌えて踊れて、かわいい(or かっこいい)」という条件を満たすPerfumeはトップアイドルだ。
JUNK BEAT TOKYO『J.B.T. walker vol.1』
案の定、MVは残っていなかった。当時勢いしかなったCOMA-CHIが主導になって作り上げたコミュニティ。INHA、BOBO THE TRIMMERあたりは何してるんだろう。六歌仙はまだ6MC体制だったっけか。昔すぎて記憶は曖昧。
ここに入ってる1曲、『Junk beat』の
「都会の雑音消すスクラッチ 傾いた鼓膜もたやすく拉致」
という一節がとても好きで、いまだに頻繁に頭に浮かぶのだがそれを誰が歌っていたかももう思い出せやしない。