セミノンフィクション小説「無力の力」(4)
第1章 白いスーツの男 第4回 夏の日の1993年、喫茶店にて
「最近流行っているこの曲、夏っぽくて良いよね。ああ、話の途中でごめん。で、その児童養護施設に、あなたは住んでいるんだ。ということは、あなたは実は成人してないな?」
インターネットの「イ」の字もないその時代に、白いスーツを着た田辺一郎さんはそんな細かなことを知っていた・・・この男、ただのヤクザじゃない、そしてヤクザにしては「あの特有の目」をしていない。何者なんだろうと私は思った。
「17ね・・18になってないんだ。そうか、じゃあ、残念だけどウチでは雇えないなあ。水商売の世界だけど、せっかくそんな恐喝をしている日々から足を洗えるきっかけになると思ったんだけど。いやあ、残念だ。そのカラダと顔ならスナックでもソープでも、どっちでもトップクラスになれたんだけどなあ」。
トップクラス?それはカネを稼げるってことなんだろうか?
私は本当はカツアゲなんかしたくなかった。児童養護施設の暮らしも何も目標もない日々にもうんざりして、ただ遊ぶカネが欲しい、それだけだったのだ。だからといってバイトなんてやってられない。同じような年代の家族もいてチャラチャラと遊んでいる女どもと『ポテトもいかがですかぁ?』なんて言って働くなんて考えられなかったのだ。
「すいません、田辺さん・・・でしたっけ。じゃあお客を相手にしないんなら、他の仕事って無いんですか?私は高校中退ですけど、簿記だけは好きで2級を持っているんです。経理の仕事とかって無いんですか?」
その時私は、風体がヤクザそのものの田辺さんとの出会いに、「未来への光」というべきものを感じたのだ。
「ああ簿記なら俺も簿記二級を持っているし、経理の事務は俺も得意だ。そして会社のカネには誰にも触らせたくないんだよ。だったら、あなた、うちのスナックの調理場で働くのはどう?ちょうどバイトの女の子が短大を卒業するっていうのでバイト雑誌に求人をだそうと思っていてね。あなた包丁とか触ったことはある?経験なくてもいいけど、うちのスナックの料理は本格的だから、そこは覚悟してやってもらわないと困るけどね」。
見た目がヤクザそのものなのに簿記二級で経理が得意!?
この男は何者なのだろうか。
(続く)
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