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ゆるみの時間③ 熱中しすぎて自分を見失うことってない?

ゆるみの時間ワークショップに向けてHPをリニューアルしている。
そこで、よりよい文章を書こうとしたところ、伝えたいことから外れ、真逆の印象を与えかねないものに仕上がっていることに気づいた。

この1ヵ月ほどは毎日のように時間を変え、場所を変え、同じ文章を見つめ直していた。外部の人からの意見もいただいた。

他人からの影響を恐れ、自分から湧いてくるものだけを、純粋な気持ちをすくいとるために、ゆる体操の時間の後に文章を考えることにした。
ゆる体操では右脳全開になるため、論理にとらわれない自由な発想が可能となる(ゆる体操がそこを目指しているわけではなく、あくまで私がそれをやっているときにひらめきやすい状態になるということだ)。

ゆるみの時間では経絡の流れをうながす時間もある。
滞っている箇所に効果のあるアロマの香りを味わうことで、全体のバランスを調整する。
自分の心にあるわだかまりや思い込みを整理するため、定期的に自分にそれを行っていた。できる限りクリアな状態をつくり言葉を紡いだ。

どんどん自由な発想が溢れてきて、楽しくて仕方なくなっていた。
整った状態でしばらく文章を考えているうちに、その時は訪れた。
根詰めて考えていた結果、左脳モードに偏り、いらぬ心配もたくさん出てきたのだ。

自分では丁寧にじっくりと取り組んでいるつもりであった。
それが逆に仇となり、既にほぼ完成されているものを修正しようとしたのだ。

コミュニケーションとは、伝えたいことが伝わるように手を尽くすことだ。口で話してもいいし、言葉を書いてもいいし、絵でも写真でもなんでもいい。自分が伝えたいことを伝えることが目的だ。

そこを履き違えてはならない。
きっとこう言えば理解してくれるであろうと一般的な表現を用いるのではなく、自分が心から伝えたいことを書くのである。
その上で、相手に伝わるように調整していく。

最初から相手が中心であることは昔で言うお客様は神様のような印象があるが、本来、自分が中心であるべきなのである。
自分というものをできる限り解像度高く表現することで、それに反応する人が集まるのだ。

熱中しすぎて自分を失っていた。
ただ、熱中するほどこの場を愛していることにも気づけた。
真の意味で自分事にできている。

方向を誤ったことと、大きな気づきを記してみた。


ゆるみの時間
3月24日より毎月第4日曜日の朝、東村山の百才(ももとせ)にて開催。
心身をゆるめ本来の自分に戻る時間です。よければお越しください。

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