人となり② わかちゃん
勝手に知人の印象や得た感覚を綴る「人となり」。
今回は、”わかちゃん”。
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左脳で捉えれば決してお近づきになれないお人であり、現にファーストインプレッションで僕の身体が感じたのは「そっとしておこう」だった。
でも面と向かって話していくうちに、少しずつ違和感が肥大していく。
「あぁ、この方とはこのモードじゃダメだ」
人間からの脱皮。
左脳と右脳の切り替え。
人間ではなく生き物として接しなきゃ。
本能剥き出しで。
自分、ジブン、じぶん。
自分をさらけ出さないと。
すべて見透かされてるから。
よし、これでいこう。
何かを感じてくれたのか、本当に優しい笑顔で僕に話しかけてくれる。言葉がいらない人は楽だ。
話す前からすでにコミュニケーションしてくれちゃうものだから、言葉にする前に挨拶は終わっている。
突然に、腕によりをかけたお料理を提供する場の募集が始まった。その場のみなさんの何人かが手を挙げればよくて、正直、自分には関係ないと思ってた。でも不思議なことに前のめりに「行きたい」と言う。いつもであれば素通りの展開なのに、この身体は勝手に動いた。
とても可愛い人だ。
可愛いというのは、たぶんそれじゃない。
ラッコを見つめる感じだろうか。
ノリノリで踊ってるラッコかもしれない。
小動物の可愛さも少しズレている気がして、この可愛らしさは実物に触れてもらわないとわからないものなのだろう。
彼女は世界中で数千億のプロジェクトを動かしてきた敏腕プロデューサーであると、だいぶ後になって知った。すごい人なんだなぁ〜とわかったようでわかっていない僕は、とにかく新しい「可愛らしさ」を持つ彼女の魅力を不思議がった。
わかちゃんはいわゆるフツーのおじさんである僕をいつもリスペクトしてくれる。その度に元気と勇気が湧いてくる。アンパンマンか。
いや、アンパンマンは物理的に助けや食べ物を与えてくれることが多いけれど、わかちゃんの場合はアンパンマンの愛とも少し違う。無償の愛を届けるアンパンマンですら、愛という作用が強く働いてしまうことがある。それすらないシームレスな愛の置き配をするのだ。
え、そんなやり方ある?
何やら可愛らしい生き物が、愛の置き配してくれるって、なんなんそれ。
扉開けたら既に愛が置いてあるって、そんな幸せのお届けもので〜すって、おいおい。
自分のほしいものがドンピシャでプレゼントされたあの感覚を覚えているだろうか。しかも自分でそれを意識できていないオマケ付き。ギャップが大きいほどに感動が比例するのは想像に難くない。彼女はデフォルトでそれをやってしまうのだから、まさに未知との遭遇なのである。
そんなわけで、まったく当てにならない”わかちゃん”の話。