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Stranger「ジョン・ヒューストン特集」(2024 07 19――――08 08)を振り返る ①

 先月7月19日。その日は新卒「社会人」となった私が、新任としては初となる泊まりこみの研修を終えて帰路に着いた日であった。自宅へ向かう都営新宿線下り線の車内で研修先から次第に離れていく距離が呼び起こすのは研修後の充足感でもなければ友人と別れた後の寂寥感でもない。下車する「菊川駅」という文字列とともに頭にもたげたのは、ある映画館とそこでその日より開始される特集のことであった。

 都営新宿線菊川駅をA4出口で出て徒歩1分程、三ツ目通りと新大橋通りの交差点から三ツ目通り側を少し歩くと見えてくるのは現代アートのような佇まいをしたカフェ、聞けばここは北米中西部や南米大陸の雰囲気を現代的に洗練させた「モダン・フロンティア・スピリット」がコンセプトになっている。(公式HPより 劇場案内 - Stranger
 このカフェが併設のミニシアターこそが「Stranger」。2022年9月に設立され、「映画を知る」「映画を観る」「映画を論じる」「映画を語り合う」「映画で繋がる」という5つの映画体験を一連のブランド体験として提供する、というコンセプトをもって立ち上げられたという。
Stranger運営会社の株式譲渡について:Stranger代表 岡村忠征より皆様へ - Stranger

 かく言う私自身は2023年頃より映画に注力し始め、日の浅いいわば「シネフィル」予備軍的存在であり、シネフィル界隈で共通言語的になっている作品をおおよそ観ているとはまだ言い難い。
 Strangerに通い始めたのも映画を観始めた時期とほぼ重なり、今年3月に今の新居に住まいを決めたのは錦糸町のTOHOシネマと、この菊川のStrangerの双方を見据え、徒歩圏内に収めるためであった。
 
Qラース・フォン・トリアーと言えば?
 A『メランコリア』、あと『奇跡の海』
 
Q今敏で何か観たか?
 A『千年女優』は観た。

このように問われれば(おそらく)こう回答するのは他ならぬStrangerでこれら作品を観てきたからである。

 前置きが長くなったがnoteでの実質的初稿ということで御容赦頂きたい。当映画館では度々特集上映が組まれており、今回はアメリカの映画監督、脚本化、そして俳優でもあるジョン・ヒューストンの特集。ハリウッドで『マルタの鷹』でデビューし、フィルム・ノワールの嚆矢となり、赤狩りの時代、アメリカン・ニューシネマの時代を経て87年に遺作となった『ザ・デッド/「ダブリン市民より」』を公開するまで人間の深層心理を描き続けた彼のStranger特集上映5作品を振り返ってみたい。
当映画館でゴ・ダール特集以来出されている特集雑誌『Stranger MAGAZINE』の今回の特集号『Stranger MAGAZINE 007』、「編集後記」において執筆者の一人、鈴木里実氏は、年代別に行ったという作品セレクトにおいて「一人一人に新たなヒューストン像が拓かれていくことを願う。」と書き記している。ヒューストンは今回の5作品以外はほぼ未視聴の私が、自身の身体と特集作品との間に起こったものそれ自体を追体験のようにして書き残しておきたい。

●7月28日視聴 一作目 『光あれ』(Let There Be Light 1946年)

 特集が開始してこの時点で既に1週間が経過している。前売り券を買った手前、早くいかなければと急く気持ちとは裏腹に中々スケジュールが合わずにいた。この日は上映の最後の演目で本作に(確か20時半頃であっただろうか)滑り込むことに成功した。
モノクロ、そしてドキュメンタリー映画として撮られた本作には名前のある役者は存在しない、いやあるいは「役者」は撮られる前から既に存在している。
 第二次世界大戦においてアメリカ側での戦傷者における約2割ほどが心的外傷、すなわち精神的ダメージを負った者であるという。本作ではそうした心にダメージを負った戦傷者が社会復帰を目指す陸軍病院(ニューヨーク州ロングアイランドのディアパークにあるメイスン総合病院)が舞台となる。冒頭、患者の前で話すケアのリーダー格のようなある男の口からは、患者に対してまずカメラの存在が明かされる。治療に際してカメラの介在が行われること、そしてそれはその治療の経過と回復までの一連を撮って記録するためである、と。言うまでもなくこれは演出ではない。以後に続く映像が即物的な事実にカメラを存立させるだけであることがここではっきりと示される。
 患者の多くは心的には未だ沖縄やヨーロッパ戦線の戦場に居るままだ。失語症、体の痙攣、急に泣き出してしまう者、肉体的外傷が無いにも関わらず歩けなくなってしまった者。病院ではこうした患者に対して個別のカウンセリング、それに並行して集団療法が行われ、また時に症状が深刻な者には催眠療法、睡眠療法が施される。治療を通じ、戦場を過去のものにし、それぞれが孤独な存在ではないことを思い出させる。カメラは次第に回復に向かい、日常そして社会へ戻ろうとするそれぞれの患者の姿をまざまざと捉えている。
 映画の最後には回復し、皆でベースボールを楽しむ姿がカメラには捉えられている。そこには当初ここに来た頃には歩けなくなっていた兵士の姿もあった。明るく幕を下ろした本作、全てを観終わった後にタイトルにふと目をやると恍惚として『光あれ』という文字列が目に入り込むことになる。
 無論カメラには収められず、回復に至らなかった姿も無数にあったに違いない。事実とは無数の偶然性の上に屹立し、即物性を発揮するものでありながら、観客及びその「眼」としての役割を果たすカメラとはそこにフィクションを生み出そうとする物語的欲望を持っている(それはある種の必然性を希求している)。ドキュメンタリーとは製作者の意図や主観の介在されぬ事実それ自体である(かのような)前提を持ちながらも、ショットの選別やその対象に取捨選択が生じるという時点においてフィクション性を帯び、時に観る者にもその振動が伝わることがある。現に本作はプロパガンダを第一目的とし、明るさと楽観性を帯びた終幕を迎える映画でありながらも、戦争が不可避的に残す恐怖とその傷跡を描いてしまったことで戦意を喪失させるものであると軍当局にみなされお蔵入りになったという。本作が公開を許されるには、撮られた時点から35年の月日を待たねばならなかった。(1981年に上映)

(作品情報を含む事実確認等で『Stranger MAGAZINE 007』遠山純生「作品解説」を参考にした。)

1作目にして尺を取り過ぎてしまったので続きはまた別稿に…

(挙げてある写真は1年くらい前のもの)


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