Stranger「ジョン・ヒューストン特集」(2024 07 19――――08 08)を振り返る③ 『禁じられた情事の森』『ゴングなき戦い』

●7月30日・8月7日視聴 『禁じられた情事の森』(Reflections in a Golden Eye,1967)
 (原作 カーソン・マッカラーズ『黄金の眼に映るもの』田辺五十鈴訳 講談社文庫)

 これまで本特集で振り返った2作『光あれ』『勇者の赤いバッヂ』が外部的要因からかなり抑圧された形で放映されたことに対し、本作はヒューストンの思うような形で恣意的なカット等なく放映されたようである。まして本特集においては公開当時に観客の見やすさを考慮して通常のカラー版で上映されたものを、監督の希望した金色がかった琥珀調の色合い――ゴールド染色版――で放映された。ヒューストン監督、冥利に尽きるといったところであろうか。
 一方、本作では各登場人物の抑圧された状況や相関関係での情事が描かれている。冒頭、まずアメリカ南部の陸軍基地で殺人事件が起こったことが明かされる。各相関図はまずこうだ、陸軍少佐であり教官として部下たちを指導するウェルドン・ペンダートン少佐はその恩恵に預かる妻レオノラと形だけの夫婦関係を続けている。森に囲まれた少佐の家の隣には上官の大佐のモリスと妻アリソンが暮らしている。アリソンは三年前に子供を亡くしてからは精神疾患を患い、そのせいで疎遠となったからかモリスは隣家の部下の妻レオノラと不倫関係にある。そんな中でアリソンは召使のフィリピン人アナクレトと相互に信頼し合う親密な仲だ。言うまでもなく2組の夫婦間には愛を見ることができない。さらに関係を複雑にするのはウェルドンの部下のウィリアムズ一等兵だ。彼は馬舎に勤めており、乗馬を趣味としているレオノラが愛してやまないファイアーバードという馬の世話をしている。ウェルドンは不器用で仕事で不手際を起こすウィリアムズを邪険に扱いながらも実は思いを寄せているようである。数年前ウィリアムズに一張羅にコーヒーを溢されたことを根に持つほどのウェルドンが、妻の不倫に気づかないはずはない。そしてウィリアムズの方はレオノラに惹かれ、夜な夜なペンダートン家の中を覗き見するのである。
 ウェルドンとウィリアムズの関係について一回目に視聴した時には気づくことが出来なかった。しかし、ウェルドンはウィリアムズが落としたタバコの空箱を拾い眺める程に執着を見せていたことに2回目の視聴で気づかされた。それほどまでにウェルドンの情は繊細に、また抑圧されて描かれているのである。
 ある日、レオノラの愛馬ファイアーバードに乗り森を駆けるウェルドンだったが馬は制御が効かずに暴走し、傷だらけになりながら振り落とされてしまう。ここの疾走シーンは本作の大きな見どころだ。落馬し、怒りをあらわにしてウェルドンが馬に鞭打つシーン。その後にウェルドンは何かタガが外れたように泣き出すと後ろからはウィリアムズが現れる。後に気づいたがここのショットはかなり確信的だったのだ。愛馬を傷つけたことで怒り、ウェルドンを公然で鞭打つレオノラ、現実と妄想の区別がつかなくなり離婚を決意するアリソン――そしてその後…――、さらにウィリアムズの行動は次第にエスカレートしていく。ペンダートン家で催される華やかなパーティーの裏で、物語は馬の疾走に表象されるがごとく、アリソンの死をトリガーに急速にクライマックスへと向かう。
 ラストのシーン、ペンダートン家に発砲音が鳴り響く。カメラは、死体、泣き叫ぶ女、撃った後に後悔を隠し切れない男(と駆け付けた男)を高速の切り替えしで繰り返し映しこむ。カメラはその現実を(意図的なカメラワークであるがゆえにむしろ)ただただ無機質に映すのみである。
「南部のある駐屯地で、数年前にひとつの殺人事件があった。」

●8月1日・8月6日視聴『ゴングなき戦い』(Fat City,1972)
 (原作 レナード・ガードナー『陽の沈む街へ』安岡真訳 東京書籍)

 これほどに印象的なラストは他にない。主人公のビリー・タリ―という男がカフェのカウンターでコーヒーを飲みながら知人、後輩にあたるアーニーと話す最中、ふと後ろを振り向くと画面からは音が消える。そしてズームインになるビリー。その目に、いやスクリーンに映し出されるのはポーカーに興じる人々の姿だ。ポーカーのテーブルを地続きに右から左へ追うと、再び画面には音が入りカメラはカウンターの二人を映し、本作は終わりを迎える。
 本作の主人公ビリー・タリ―は「ファット・シティ」(ゴキゲンな状態、成功の場を意味する黒人の俗語。誰も辿り着くことのできない理想の世界の表象であるともいう。)、カルフォルニア洲サンホアキン郡ストックトンに住む元ボクサーだ。年齢は盛りを過ぎ、妻に逃げられてからは酒浸りで自堕落な日雇い労働生活だ。彼は起きてからタバコを吸おうにもマッチさえ持っていない。だがボクシングへの未練、あるいは情熱をどこか胸に秘めているようである。ビリーの暮らしぶりは決して明るいものではないが、彼とまた彼同様に日々果てのない派遣労働を続ける人びとの悲哀をかき消すように流れるフォークソングの軽快な曲調、さらに時折挟まれるコメディのようなやり取りは彼らの生活と彼ら自身が、決して底抜けに鬱蒼としたものでないことを示しているかのようだ。
 ビリーはある日身体を鍛え直そうとジムに向かう。そこには趣味でボクシングに興じるアーニー・マンガーという青年がいた。彼と一度スパーリングをしたビリーは、この青年のボクシングの才能を見抜き、かつての自身のマネージャーのルーベンという男を訪れるように促す。
 才能を見出されたアーニーはルーベンのジムで本格的にボクシングを始め、次第に試合にも出始めるもそう中々上手くはいかない。だがルーベンは教え子を連れてやがてイギリスへ行くという夢を語る。一方、相変わらず日雇い仕事をしては飲んだくれる生活のビリーはその頃アル中の女オーマと出会う。オーマは恋人アールが収監されたため取り乱すも、次第にビリーと惹かれ合い同棲を始める。しかしこの同棲生活もやはり上手くはいかない。このビリーとアーニーの二人の家庭生活は対照的に進んでいく。ボクシングを続けるアーニーは、やがて恋人が妊娠するとその生活のためにボクシングから離れ日雇い労働を始める。するとその雇場でビリーに再会する。ビリーはアーニーとの再会、またオーマと不和なこともあって再びリングに上がることを決意する。アーニーもビリーに連れられて再びルーベンのジムを訪れた。
 ビリーは復帰戦でメキシコ人のパンチャー、ルセロとの対戦カードを用意された。相手はなまじ復帰戦の肩慣らしで易々勝てる相手ではない。その試合前夜、オーマと言い合い、街のバーに出たビリーは酩酊状態ながらルーベンに電話する。復帰戦前夜に飲み歩くビリーに半ば呆れながらも彼のことをよく知るルーベンは車でビリーを迎えに行くことにした。ルーベンがビリーの肩を担いでいく場面、ビリーは感極まったか「俺たちが一番幸せだったのって…」と語り掛ける。二人で戦ったかつての日々が込み上げてきたのかもしれない。この街、「Fat City」では人々は日々をあくせくと生き、社会に相対している。まさに「ゴングなき戦い」をしているのだ。ビリーはルーベン、アーニーと同じジムのボクサーたち、そして日雇い労働者の境遇をその双肩に背負うかのようにして翌日ゴングの鳴る戦いの舞台へと上がる。
 復帰戦、ビリーは果敢にも攻撃を仕掛けていく。ルーベンらコーチには慎重に間を詰めるように言われるも彼の視線は相手しか捉えていない。白熱する戦い。試合中のカット、ショットの切り替えは見事という他はない。画面を観る者の眼はその画面の中のアーニーたち観客と一体となる。己を信じたビリーは死闘の末、勝利を収める。
 ビリーの死闘は観る者の心を打った。ルーベンは勿論、アーニーもボクシングへの情熱をさらに増したに違いない。一方対戦相手のルセロはビリー陣営の歓喜の後の廊下で、何かをほのめかすように静かに試合場を後にしていく。彼もまたビリーを始めこの街に住む人々とは違う形で何かを背負っているのだ。試合後の「残心」までを描くヒューストンの手腕は、その復帰戦としての戦いをビリー達だけの物語としないのである。
 このまま上手くいくかと思われたビリー、しかしそうはいかないのがこの街「Fat City」だ。ルーベンから配当金を削られた彼は怒りからルーベンの下を去る。ビリーはかつても同じようにしてルーベンと喧嘩別れしていたのだった。しかも家に帰ると同棲していたオーマの恋人アールが戻ってきていた。ビリーはもうオーマは自分に気がないことを告げられ、自分の服を渡されるとその住まいを離れるのだった。
 最後の場面、あの激闘から数年が経ち、アーニーは試合後に車に乗り込み妻子の待つ家へと帰るところだった。その通りではタバコを咥え、マッチの火をせがむ酔ったビリーの姿があった。おそらくボクサーとしてキャリアを重ねているであろうアーニー、一方でビリーは冒頭で観た姿そのままだ。無視して帰ろうとするアーニーだったがビリーに懇願され、二人はカフェへとむかい、語り合う。そして本項冒頭で早出ししてしまった最後のあのシーンを迎えるのである。

 映画体験とは言うまでもなく観ているその時のそれ自体だとは思いますが、鑑賞後の余韻的なものも含めてそう言うのだとしたら、『ゴングなき戦い』ほどその体験を長く心に刻んだ映画はここのところそうは無かった。

 特集を各映画で各論的に振り返るよりは総論的にやりたくて(その方が特集という枠組みの必然性--偶然性--に近づける気がするから)模索していたらこんなにも日を要してしまった。『ザ・デッド/「ダブリン市民」より』は結局書ききれなかったけれど、またジョン・ヒューストンに関して何か書くときに再び触れることを期して本特集の振り返りの筆を置こうと思います。
素晴らしき特集に感謝。 (了)                      

参考資料 『Stranger MAGAZINE 007』2024年7月19日初版発行 Stranger

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