④腐臭まみれる死体~リバイバルの跋扈~
あえてここで書く…という気にもあまりなれないのだが。
とりあえず、なぐり書きを残しておく。
2015年、俺は、PSのゲーム、「夕闇通り探検隊」をかなり小規模な演劇作品として、上演した。そこには、「リバイバル」と言われる様々なリメイクの様相に嫌気がさしたからでもある。
勿論、素晴らしい作品は何度でも日の目を見ていいし、それに感動する人もいていいし、新たなその作品のファンを増やすことも歓迎されるべきだろう。だけれども…あらゆるものがリバイバルし、あらゆるものが既視感にまみれ、新しい表現や若い世代の表現をこえて古いコンテンツがひいきされている現状がとても奇妙に見えて僕にはしかたがない。
それは、具体的にいえば90年代のゲームコンテンツだし、90年代のアニメーション作品だ。
いや、いいんだ。海外だってずっとアメコミの作品が映画で出ていて、ある種のブランドと化す。マリオシリーズはそれこそ、2020年にディズニーよろしくテーマパークができるそうだし、うまくやっていると思う。
それにしても、やりすぎだ。
このCMが夜の山手線で流れているの見て、とても複雑な気持ちになった。
うまく作りこんだCMで、これでもかというほど、当時FF7を買った世代を刺激する。あの頃の思い出を。あの頃の熱狂を。
そして言及はしないがちょっとしたFF7要素を細部に入れている。それは俺も、CMという映像作品の作り方として好感を持てたけれども。
だけど、このCMが刺激する患部には、昔の思い出したくない記憶もある。
借りパクされたdisc1だったり、その友達の今の姿だったり。
そして何より、俺たち、もう大人になった人間の財布を狙う戦略なんだろう?と思ってしまう頃には、もう熱狂は醒めて、山手線を降りてしまう。
FFだけじゃない。ことあるごとに、終わったコンテンツが息を吹き返し、
俺たちの財布を狙う。懐かしさで目の前のひどい現実を一瞬でも忘れようとすらする。それはストロング系チューハイをかっくらって、路上で倒れてるサラリーマンのそれと何かしら違いはあるだろうか。俺はないと思う。
新しいコンテンツを要求する力すらこの国は失ってしまったのだろうか。
台湾では、その日本のコンテンツを楽しんでいた世代が、新しい作品を制作し、それが受け入れられている。red candle gamesは台湾初のゲームからの映画化を達成するほどヒットさせた「返校」、そして今日的な問題から発表を現在自粛している「還願」を発表し、俺を今年夢中にさせた。きっとディープなゲーマーは、そこまで達しているだろうが、undertaleやさまざまなsteam発の海外ゲームは、クリエイティビティにおいてはもう日本を凌駕しつつある。日本は、既発のメガヒットの続編以外に金を使えなくなっている。一重に、貧しくなったからではいないだろうか。新しいコンテンツを吟味する力すらなくなってしまったのではないだろうか。
ほんとうは、ここから政治的な話だって、俺はしたかったんだろう。
だが、その気力はない。疲れる。
新しいコンテンツは、ただでさえ、キャンセル・カルチャーのあふれ出したこの現代で、さらに厳しい勝負をしなければいけない。すでに既得権益を得た世界だけが潤っていく。
また、死にぞこないの老いぼれたちのダンスがはじまっていく。