見出し画像

土をかける

2025/01/10

◾️読んだ本
・なし

◾️観たもの
・なし

◾️食べたもの
・海老名サービスエリアのラーメン
・にんじんのスープとパン
・スシロー

◾️のちほど運転日記
・伊豆の伊東へ。

◾️作ったもの
・企画の打ち合わせ

◾️買ったもの
・なし

◾️おでかけ
・伊豆
・幡ヶ谷のカフェ
・スシロー

◾️運動
・散歩

◾️日記
昨夜、悪友から泣きながら電話がきた。
長い1日の仕事を終えた20時、珍しく夜に予定があいた私はこれから映画の一本でもみようかと仕事のミーティングを終え、紅茶を入れていた。「たすけて」というLINEに驚いて電話をかけ直したら、涙声ではっきり喋れていない友人から、水をもう、飲むこともできず倒れてしまったうさぎの様子を告げられた。
うさぎというのは奥歯を定期的に切らねばいけないらしい。11歳になったうさぎのバクシーは、奥歯の片方が炎症してしまい、その手術をするには高齢すぎた。11歳。電話でその年齢を聞いた私の父が絶句していたほどの長生きで、なのに毛が若者のうさぎほどつやつやだったバクシー、私が知り合いのうさぎ専門獣医さんに電話で質問している間に、友人の腕の中で旅立ったバクシー。こんな短時間でそちらに旅立てたのなら、苦しみは少なかったはず。きっとそうだと信じている。

最近のペットの火葬というのは、どうやら車の中でやるらしい。泣き腫らした友人の代わりに電話をかけまくった業者たちは、バクシーのことなんて1mmも知らないのにお悔やみを申し上げながら全員が全員くら〜い声で、「ご自宅の隣に社用車を停めさせていただき、その場で燃やして骨をお返しします」と案内してくれた。費用は23000円前後。本当にそんなもんなのか、と思いながら友人に折り返して、こんな業者なら明日10時にくるけどどうだろうか、と尋ねたら「伊豆のおばあちゃん家に埋めてあげたい、」と絞り出すように言われた。業者のサイトを見たら、意味のわからない数珠を首にかけて聖なる水を口にふくませ精霊がいた木の枝と一緒に燃やすなんて書いてあったからだ。余計なことに余計なことを重ねるな。私が先住猫を燃やしたときなんて、仏教ではないから坊主の読経も断った。それに比べたって怪しすぎる。
「いいよ 伊豆へ行こう。私の信条的に夜に死体を埋めるのはなんとなく嫌だから、早朝に埋めよう。三時に迎えにいくからね」と返事をし、22時から夜中の3時まで仮眠をとった。

3時半に友人の家に到着し、友人の隣人たち(泣く友人のそばにいてくれたらしい 友人は本当に良い友達を持ったなと思った)に見送られ、バクシーの入ったダンボールと共に出発した。
伊豆までの深夜旅、約二時間半。免許をとって三ヶ月ではあるが、深夜どこかに長距離で行ったことはまだ、ない。それでも不思議と怖くなかった。まだバクシーの魂がいるから絶対に行きは大丈夫だよと友人が言うのでそれならバクシーのいない帰りはどうするんだ、と私は文句を言った。
暗い暗い高速道路をすいすいと抜けたらもっと暗い海辺の道が待っていた。15年前に友人の父に連れてきてもらった伊豆を、15年たって私の運転できている。「私たちももう長い友人だね」「友人というか親戚か」と当たり前のことを話した。「結婚式がきっとないからお互いの葬式には行くね」「結婚式ないのほんと残念だな」とけらけら笑いながら話した。泣き腫らした目がしみた。
流石に高速道路はすいていて、朝の6時前には現地に到着した。友人の父がスコップを持って現れて、「ほんとに、よく来たなあ」とびっくりしていた。
庭に穴を掘り、バクシーを横たわらせた。泣きながら土をかける友人を後ろから見守った。土に戻せて、本当に本当によかったと思った。ちっとも悲しくないと言うのは大嘘だったけど、最善を尽くせたと言えるよ。本当に。
少し甘酒をもらったりなどしてもてなされ、そのまま帰路についた。
少しのぼりかけだった太陽は完全にいま海の向こうから現れて、きらきら輝きながら私たちを照らした。美しかった、言葉にしたらもったいないくらい。空気がすんでいて、おおきくて広いひろい冬の空にはまったくもって雲もいなくて、バクシーが迷うことがないだろうな、と思った。

のぼってきた太陽

友人が疲れ果てて眠ってしまっている間いろんなことを考えた。去年の後半から今にかけて、なんてたくさんの死に触れてきただろう。そういうタイミングなのかもしれないけれど、心の底に恐怖が静かに溜まっていく。向き合えるかな。私が失ったものたちがどんどん積み重なったときに、私はちゃんと歩けるのだろうか。明日も普通の顔ができるのかな。失ったものを背負っても笑えるのだろうか。そんなこと、起きてみないと意味がなくて、考えても無駄だけれど、心を強く保つことができる方法を探さないとな、これから先はもっともっと失うだけなのに。とか、ずっとずっと考えた。考えることで何かいい方向に転ぶことはない それでも考えることは辞められない。
同時に悲しみに向き合うことは人生で一番必要なこと、私の大切な人にそれが起きてしまった時はそばにいてあげたい、と思ったけど、そばにいてあげることが今回はできた、とも思った。それは私が今一番自分でしたいことだった。

帰宅し、友人とお別れしてそのままウィーン時代の友人に会いに行った。世界一美味しいにんじんスープを食べながら、いろんなはなしをした。
彼女のことが大好きだ。どんな場所でもいろんな話をしてくれて、日本でも、ウィーンでも、いつもラフな話を温度差なくしてくれるから、この出来事のあとに会う人としては最適だった。のんびりといろんな近況を話して、素敵な絵を貰って解散した。次回はウィーンで会えるといい。

そのまま帰宅し、仕事のミーティングに戻った。どんなに疲れていても生活は続けなくてはならない。楽しいことではない仕事も、今日に限ってはちょうどよかった。

そして預かり猫の飼い主がやってきた。
台湾の匂いをまとった飼い主に向かって預かり猫たちはシャー!と威嚇し、「お前の脳みそはダチョウくらいの大きさしかないのか」と飼い主が怒っていた。
別件で衣装デザイナーの友人も遊びに来た。ちょうどよかったので三人でスシローにいき、気持ちが悪くなるまで食べた。
解散して、同居人と少し通話をして、眠った。

とても長い1日だった。


いいなと思ったら応援しよう!