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Narcissu(ナルキッソス)というゲームと関連する作品について+緩和ケア医療って?(2024/9 追記)

やったことありますか?
私は・・・全シリーズ・・・やりました・・・何なら・・・PSP版とか…ガキの頃・・・初回予約してまで・・・買った覚えが…あります・・・。
ぶっちゃけた話、私が医者を目指すきっかけになった作品でもあり・・・
ゲーム紹介とかはきっと、他の記事であったりWikiとかであると思うので・・・あまり深掘りされていないような情報もまとめて、記録したいと思います。
いつもの記事のように自身の脳内の整理目的の記事でもあるって感じですね。今だと入手困難な現実世界を舞台にした作品についてネタバレも含めた内容を書いたりもしています。
是非プレイしていただきたいゲームではありますが・・・ものすごく「人を選ぶ」ゲームであり、かつて片岡とも先生の同人サークル「ステージなな」の公式サイトでのDLページには注意書きとして「このゲームをプレイするにあたり強い嫌悪感を抱く可能性があります」といった文章が書かれているほど、「人を選ぶ」と思いますので、そこは結構注意が必要だと思っています。


〇そもそもNarcissuって?

ねこねこソフト(アダルトゲームブランド)の主催者である「片岡とも」先生による無料ノベルゲームです。無料でやれるものとしては、Narcissu無印とNarcissu-Side-2ndの2種類です。ほかにも種類がありますが・・・まずはこの2種類について書き記したいと思います。
簡単に言うと・・・いわゆる病気の「終末期」にあたる患者に焦点をあてた物語です。ポイントとして・・・「奇跡」はおこりません。つまり死にます。奇跡とか起こって助かったりとかはしません。
ノベルゲームといっても、選択肢などは無く淡々と読み進めていく作品になります。
「奇跡」はおこりません。重ねて言う必要があります。救いはありません。
ただ、ただ現実を描写した・・・作品になります。

「Narcissus」という英語があります。これは「水仙」の花の英語ですね。最後の「s」の小文字が抜けているのは意図したものであり、このゲームにおけるテーマの一つの「Suicide(自殺)」を取り除く・・・と言った意味合いが含まれています(でも・・・個人的には本当に遠回しに・・・Suicideを肯定している面もあると思っています)。
舞台は「ホスピス」。聞いたことありますか?いわゆる「緩和ケア」を中心とした医療を行う施設です。そこの「患者」の物語です。

〇Narcissuについて シリーズの作品

実は沢山シリーズがあり、混乱を招く可能性があるので、種類だけでも羅列しようと思います。
〇Narcissu無印:原点の作品です。2005年公開であり無料作品です。
〇Narcissu side 2nd:2007年に公開された無印の前日譚の作品です。無料です。
上記2作品は現在「Steam(クリックでリンク先)」にて無料配布されています。
〇Narcissu 3rd Die dritte welt:片岡先生以外の他ライターさんも参加された作品群になります。「死神の花嫁(選択肢有)」「シーラスの高さへ」「メサイア」「小さなイリス(片岡先生作品)」の4作品があります。CD版のみの発売となっており、現在入手は相当厳しい印象かも。「小さなイリス」のみSteamで販売されています(有料)。小さなイリスは「西洋版銀色1章」って感じ。
〇Narcissu zero:PSP版で初めて配信されたものになります。Steamにてのちに販売となりその際に「Narcissu zero」とされたためそのような表記で記載しました。有料作品です。作中メインストーリーの最終話に該当します。
〇Narcissu スミレ:2015年作品です。最新のナルキですね。有料になりますが、Steamで販売されています。外伝に近い作品です。
以上が現時点でリリースされている「Narcissu」シリーズとなります。
番外編↓
〇「1980」:もともとはねこねこソフトの「ラムネ」?か「みずいろ」?のスタッフルームに附属されたものであり、現時点で入手は難しいかも。PSP版に付属してたかな?
〇「1993」:Narcissu 3rd初回CD版に付属してたと思います。これも現段階では入手は難しいと思います・・・PSP版にあったと思う・・・。こちらの方が入手難易度は高いと思います。

〇小説版「Narcissu」:小説版です。1と2が出てからリマスターされたもので後述する漫画版にストーリーが近いかも。こっちはいわゆる「ラノベ」なので、ラノベ1冊分にまとめた分2ndの内容は所々1に混じってくるくらいで省略されてます。こっちはホントにザラノベって感じのテイスト。

〇漫画版「Narcissu」:江戸屋ぽち先生が描いた漫画版です。とんでもなく良作と言うか、アレンジがとっても良くて、一冊目はこれでもいいくらいって感じです。やっぱり動きがある分、すごいキャラが可愛いですね。2巻構成になっているので結構詳細まで描かれてて。個人的にはすごい好きです。「直」にストーリーが頭に入ってきます。絵がある分。

〇初回限定版冊子つき死神の花嫁前日譚:これ、死神の花嫁の前日譚になります。個人的にはすごい好きなエピソードのひとつ。死神の花嫁の主人公はかつて天才と言われた「医者」なのですが、その主人公の研修医時代のお話。医師免許という「神様になれるかもしれない切符」を持っているからこそ、神に近づくぞって意気込みを持つまでのエピソードです。これもまた・・・現場ではよくある事・・・なのかもしれないですね。今だと手に入らないのではないかなあ・・・。

〇Narcissu無印 ストーリー

とある市中病院の「7F」はいわゆる「ホスピス」であった。2005年冬、主人公は余命宣告を受けて「7F」へとやってくる。同じ7階に入院しているヒロインのセツミと出会い、会話とも言えないようなやり取りを重ねていく日々を続ける。2006年、年が明けたある日に見舞いに来た父親がたまたま置き忘れた車のカギを主人公は手に取り、セツミとともに父親の「銀のクーペ」に乗ってあてもなく西へ向かうこととなる。そして旅の道中にて、目的地を水仙が咲き誇ることで有名な淡路島へと決める・・・。

といったストーリーです。2nd以降はWikipediaにあらすじがあるので、そちらを見ていただければと思います。無印は「淡路島」を目指すストーリーですね。Side 2ndについては、無印の前日譚に該当し、無印ヒロインの「セツミ」と「姫子さん」というキャラを中心にストーリーが進んでいきます。
こんな感じで、「奇跡」はおこらず、「死」が待つのみのストーリーになります。でも・・・でも世界ってのは「美しいんだよ」ってことを伝えてくれるような・・・ゲームで・・・そこはぜひプレイしてみてほしいと思います。

〇内容について

ネタバレもネタバレなので、内容について詳細に言うことは控えます。むしろプレイしてほしい。ただそれだけです。無料ですし。
「死生観」というものを強く考えさせられる作品であると同時に、初回プレイ時は結構落ち込むかも。だから・・・次の日仕事だったり、学校のある人は・・・休日の前にやってほしいなって思います。あと、プレイについてなのですが、無印→Side 2nd→無印の順でプレイすることを「非常に強く」お勧めします。
そのプレイ順が最も「理解度」が高いといわれているからです。私自身もそのプレイ順を強く勧めます。もともと「知る人ぞ知るゲーム」的な立ち位置であったのですが、無印のリリースから20年近くたつこともあり、「知らない」人が圧倒的多数を占めるゲームになってしまったと思います。でも知っている自分としては・・・「埋もれてほしくない」。その一言に尽きるので、この記事を作成しました。
※ちなみに、よくあるノベルゲームにあるような「立ち絵」はありません。基本的には背景の画像と、音楽のみ。ボイスの有り無しは選択できます。作者の片岡先生はあくまで「ボイスなし」ありきでの「ボイスあり」版と仰っていますが、個人的にはボイスありの方が没入感が高い気がします。
無料でやれる無印&Side 2ndについては、プレイしてほしいので内容は省きたいと思います。

〇現実世界を舞台にしているかもしれない作品(※ネタバレあり)

「1980」と「1993」という作品についてネタバレを含んだうえで記録したいと思います(既に入手経路が廃盤になっていたり難しいため・・・)。


※以下ネタバレ

〇「1980」について:Kという主人公と、その親友と親友の妹の女の子。
Kとその親友は同い年で親友の妹の子(S美と呼ばれています)は1個下という設定で。親友の家は父子家庭であったけれど、S美が「進行してしまった胃癌」に罹患してしまったことで父親は蒸発し、親友とS美ちゃんの二人暮らしをしている中、主人公であるKが協力して助け合って生活をする・・・と言った話になります。父親が蒸発してしまったため自分たちの生活費も含めて親友とともに働いたりする日々を過ごします。そのような生活を過ごしながら・・・少しずつS美ちゃんの病気は進行していき、「ホスピス」に入ることになります。作中にもあったような・・・症状がある程度安定すれば自宅に帰宅し、再度悪化すればホスピスへ戻る・・・3回目が最後の退院・・・と言った法則は・・・ここから来ているのだと思います。今のべたように、入退院を繰り返しながら、少しずつ弱っていくS美ちゃんに対し、何もできないKは思い悩みながらも、手を握ったりすることくらいしかできなくて・・・「もう私、無理なんやねえ」といったS美ちゃんのセリフに何も答えることもできなくて・・・。只ただ、己の無力さを嘆いて、どうしようもない現実に苦悩して・・・でも少しでもできることをしたくて、3回目の淀キリのホスピスからの退院後、最期に・・・S美ちゃんが望むことをしてあげたいという気持ちから、近くの大きな公園で花火をして、冷たいオレンジジュースを飲む、という自分たちができるS美ちゃんが望んだことを・・・するわけです(ねこねこソフトのヒロインの好物は一貫して「オレンジジュース」だったりします)。無力な自分を恨んで・・・でもどうすることもできなくて。・・・そして「奇跡」はおこらず、S美ちゃんは亡くなってしまいます。最後に・・・Kが強く手を握る中亡くなりました。そういったエピソードが「1980」の内容です。
上記のようなストーリーですが、救いは「全くない」上に「奇跡」はおこりません。ちょっとうがってしまう見方なのですが「S美」ちゃんって・・・「セツミ」?なのではないかな、と思っています。Kは最後に「たまに様子を見に来てくれた学校の先生」だったり、「ケアを助けてくれたヘルパーの人」の助けによって、「良い人」って言うのは世の中に少ないけれど居て、「世の中って捨てたものじゃあないんだな」と思うに至っています。
このセリフに・・・私「自身」の根幹が作られたのかもしれません。片岡先生に影響を最も強く受けたのは・・・「この文章」なのかなって。「良い人」って・・・「誰かにとって(都合の)いい人」みたいな表現をされがちなこの世界で・・・それも正しいと思うけれど、上記のような「ヘルパーの人」のような人な・・・そして・・・「人を(もしかしたら神様のように・・・)助けられる存在」になりたくて、「医師」を志したのかなって思います。実際なってから見る世界は「助けられない」事がとっても多い、残酷な世界ではありましたが・・・。

〇「1993」について:時は過ぎ1993年、Kは実の母も何らかの疾患に罹患し、ホスピスに入院することとなります。年単位の看病のち、Kの母も病気で亡くなってしまいます。でも年単位の介護はあまりにもしんどくて。母が亡くなった時の「ぽっかりとできた心の穴」よりも、「ほっとした」気持ちが勝ったこと。それは「残酷」なことじゃなくて、「経験してみれば多くの人がきっとそう思うこと」であって。そして・・・時間が経ってから・・・「病気」でよかったと。「事故」のような突然で一瞬にして自分たちから離れていってしまうものではなく・・・「病気」で、別れる時間を・・・別れの心の準備をすます時間を用意してくれて・・・良かったとKは思います。
その後Kは大阪から東京へ上京し仕事を探すことになります。手っ取り早く見つけた仕事は都立U公園での警備員の仕事でした。突貫工事で用意された仕事らしく、仕事内容は楽で1日2回の公園の巡回のみ。だからKは暇な時間は公園のベンチに座って漫画を描く日々を過ごしていました。日々公園の人々を眺めていると、ホームレスの人とはまた違う、朝公園にやってきて夕には帰っていくけれど毎日必ずやってくる「公園の住人」たちに出会います。ふと「警備員の立場として」彼らに声をかけたところから、Kと「公園の住人」たちとの交流が始まります。「公園の住人」の正体は、「身体的あるいは精神的に病んでしまった」人たちでした。病室にいるのもいたたまれず、医療従事者のケアに対しても申し訳なさを感じ、何より家族の気遣いが辛く感じてしまい、公園に自然と足を運んでしまった人たちだったのです。そういった人たちに「警備員の立場として」話しかけ、警備員-住人の交流が始まり、いろいろな人たちの話をKは聞きます。肺癌末期の患者さんの人生の話だったり・・・、いわゆるかまってほしい目的の「自殺未遂」ではなく本気で「自殺」しようとした跡が首に大きく残る病気の女の子の話など・・・、「警備員の立場」としてKは多くの住人たちの「誰かに伝えたい気持ち」を受け取ります。そういった住人との交流を続け1年が経ったころ、東京都から「警備員は不要」といった旨の通達によりKの1年間の警備員生活は終わりを迎えます。警備員時代は「公園の住人」を公園から送り出す側であったKは・・・最後は一人の「公園の住人」から手を振られて、公園を後にして。Kはのちに・・・物書きとなり、世に多くの作品を残しますが、今でも「公園の住人」はいるのか、とふっと時折思い出す・・・。といった形でストーリーは締められます。
この「1993」においての経験も、おそらくノンフィクションであると思いますし、ここでの「公園の住人」の人たちとの交流による「価値観」がねこねこソフトの「作品」であったり、「Narcissu」シリーズに反映されているのかな、と思います。

片岡先生は、こういった人たちの存在を忘れえぬよう・・・出来る限り多くの人たちに見てもらえるように・・・作品作りをしたのではないか、と思います。そして特に「Narcissu」については・・・多くの人に見てほしいからこそ、「無料で配布」しているのではないかな、と思っています。

〇最後に

実のところ、片岡先生の作品すべての根幹に、「Narcissu」に流れている「死生観」のベースがあると思っています。人は「奇跡」を願うものだし、「そうあってほしい」からこそ「創作」で「奇跡」を起こしますよね。でも・・・現実世界はそう簡単に「奇跡」は起こらなくって。
例えば、部活帰りに・・・「今日の夕飯はカレーだったらいいな」と思いながら帰宅したら夕飯が「カレーだった」というレベルの「小規模な奇跡」なら起こりうるかもしれませんよね。でも・・・「死んだ人をよみがえらせる」とか、「助からない病気から助かる」とか。「明日3億円拾う」とかも限りなくゼロに等しい成就が難しい「奇跡」ですよね。そういった・・・叶うことはあり得ない・・・容赦のない世界で・・・誰にとっても等しく平等に容赦のないこの世界において・・・それでも、それでも世界は美しくて捨てたもんじゃないんだよってのを先生は伝えたかったのではないかと思っています。私もその死生観で、日々を生きています。
まあそういう経緯も含めて・・・「奇跡」って言葉は簡単に使うものでもないと思うし、私自身は「使いたくない」言葉でもあります。
私の源流には、「セツミ」が思っていたような「もう助からないって自分でもわかっているわけだから・・・可能性があったとしても・・・初めからその選択肢を『選ばない』し、頑張らない。そうやって過ごして最後に『あの時ああしていれば助かったかもしれない、何とかなったかもしれない』という自分にとっての最後の可能性の言い訳を残しておくことでしか、自分を許すことができないのよ」というセリフがすごい渦巻いていて。自分は確かに医師になるまでに身体酷使して身体疾患を患ったりもしたけれど・・・「自分」は「セツミ」みたいに末期の病気なわけでもなくもうすぐ「死ぬ」かどうかは分からなくて、そういった自分だったら、あの時ああしてれば・・・とか、こうしていれば・・・とか思ったり後悔する権利はないなと思って。せめて自分は、せめて自分は生きていくうえで常にその場で考えられる「最善と思われる」選択肢を取れるように・・・泥をすすっても石にかじりついても、全てを投げ捨ててでも泣きながらでも、前のめりで明日突然死したとしても、上述した「先生が思う『良い人』」になりたくてなりたくて、ここまで頑張ってきたのかなと思っていて。正直そういっただれかれからも「無理」と言われたけど何とか成し遂げたいと思った夢(医者になること)を成し遂げられたことを「奇跡」だねとか「神様がみてくれてたんだね」とか、言われるのがすごい嫌で(実際多くの人に言われました)。
私はいわゆる「冷笑系」がすごく苦手である理由でもあったり、逆に漫画とかで好きになるようなキャラクターは「ワンピース」でいうところの「コビー」みたいなキャラが多い理由でもあったりするのかなと思います。
夢ってのは希望でもあり、強すぎると総じて呪いでもあると思うんですが・・・それでも、夢を成し遂げることは悪い事ではないと思うんです。
そういった自分の人生の「考え方」に強く影響を与えてくれたこの作品を、自分の中でも忘れないように・・・今回の記事を書きました。
あの頃・・・あの頃からこの「最善」を選ぼうとする努力は変わっていません。
これからも、これからも自分に対して「だけ」はこの気概で生きていこうと思っています。他の人には他の人の「考え方」があると思うので、これは別に人に強要は一切せず、自身の中の信条として生きておりますが・・・。
それはそれとして、ぜひ・・・良ければこの作品をプレイしていただければ、とてもうれしく思います。この作品は自分の根幹を成す大きな要素のひとつでもあり、常にぐるぐる自分の心の中でうごめいている存在でもあるので、文章化するのに苦労しました。実際内容が支離滅裂であったり、二転三転飛び飛びで主旨を得ていない内容になっていると思います。でも・・・記事にすることで少しは具体化できたのかな、と思いながら・・・多くの人にナルキが見てもらえるよう・・・願いながら・・・日々を頑張って過ごしていこうって、私は今日も思って生きていきます。

〇補足:ホスピスって?緩和ケア病棟?緩和ケア科?

ちょっと難しい問題かもしれませんね。ホスピス・・・と言うよりまずは「緩和ケア」について話したいと思います。授業の内容みたいですが・・・。
「緩和ケア」というのは・・・基本的には「悪性腫瘍」、いわゆる「がん」に罹患している患者さんに対して行うようなもの、と思ってください。最近では「心不全」などの疾患であったり、「AIDS(後天性免疫不全症候群)←HIVウイルスに感染した後発症する疾患 いわゆるエイズ」の患者さんも対象になったりするようですが・・・私個人としては「悪性腫瘍」以外の経験はありません。いわゆる「悪性腫瘍」などの疾患に罹患した患者さんは、以下の図のような苦痛がある、とされています。

〇身体的苦痛:純粋に「痛み」や「便秘」、「下痢」や「嘔吐」などの身体的な症状によって惹起される苦痛を指します。
〇精神的苦痛:病気に罹患したことによる不安や抑うつ状態、いらだちなどを指します。
〇社会的苦痛:配偶者に対する気持ちであったり、子供などがいるのであれば養育費の問題、労働の問題、賃金の問題などが含まれます。
〇スピリチュアルペイン:自身が生まれてきた意味や、死への問い、「あの時ああしなければ、病気にならなかったのではないか?」などといったスピリチュアル面での苦痛を指します。
上記4つの苦痛が患者には存在すると考えられており、それらを統合して「全人的苦痛(トータルペイン)」と言われているのです。いわゆる病気による「症状」を抑えるだけじゃないんですよね。
基本的に臨床の現場においては・・・身体的→精神的→社会的→スピリチュアルの順に解決することが望ましいとされています(教科書的にです)
纏めると、いろいろな面で起こってくる「苦痛」を取り除くことが「緩和ケア」なんですね。内科医師、麻酔科医師、精神科医師、看護師、PT、OT、ST、宣教師の方まで・・・と幅広い職種でチームを組んだりします。
ちょっと医療ドラマとか、そういった知識がある方がいらっしゃれば「緩和ケア」と聞いたらもう「助からない」患者さんが受けるイメージがあるかもしれません。実際はちょっと違っていて。以下の画像を見ていただければと思います。

ちょっと前までと違い、現在は疾患の診断がつき、抗がん剤などの使用などを行いながら「緩和ケア」も行っていく、という考え方が中心となっています。抗がん剤による副作用の「緩和」も対象としていたりしています。
現在は新しい「考え方」の元で「緩和ケア」医療は行われています。
只医師として若輩である私が「緩和ケア」を見た限りでは・・・人員不足やまだ普及率がそこまで高くないこともあり、必ずしも「新しい考え方」に則って治療ができているかと言われると、素直にうなずくことができないのが実情です。
緩和ケア医療を行う科を「緩和ケア科」と言います。只まだまだ普及段階であり・・・どこの病院にもあるわけではありません(大学病院でさえ「科」は無かったりします)。緩和ケア科がない病院は「緩和ケアチーム」というものがあったりもします。言ってしまえば規模が小さい「科」ですね。
また、緩和ケアを中心に行う「病床(ベッドのこと)」がある病棟を「緩和ケア病棟」あるいは「ホスピス」と言っていいのかなと思います。この病棟についても、日本の病院どこにもあるわけではありません。日本で有名なところと言えば・・・「淀川キリスト教病院(大阪府大阪市)」「聖隷三方原病院(静岡県浜松市)」の二大巨頭だと思います。まだ普及しきれていない分野だと思っていただければと思います。
そういったまだ発達段階にある医療の部門であり・・・「苦痛を取り除く」事が中心となる医療を提供する科でありベッドを「ホスピス」というのであると思っていただければ大枠は間違っていないと思います。ひと昔前まで存在していた「結核(Tuberculosis、テーベー)」の療養病床に該当する・・・「サナトリウム」が近いのかもしれません。ニュアンスとしてはそう違いはないのかもしれないなと個人的に思います。(結核についてはワクチンの普及や抗結核薬が台頭したことで昔ほど致命的な疾患ではなくなり、サナトリウムは減少しています)。

〇追記:灘黒岩水仙郷

水仙の沢山咲くところ、と言う物語の最終地点となる舞台にはモデルがあり、淡路島にある「灘黒岩水仙郷」が該当します。
海沿いに咲く水仙がきれいなので、是非行ってみてください。
コロナ禍のシーズンに、確か建物がリニューアルされた記憶があります。
古い建物の時期に私は聖地巡礼と言うか、観光に行ったのですがその時はセツミ先生のポスターが貼ってあったと思います。
記憶にある限りでは、若い人はほとんどいなかったかも。基本的には地元か、近くの高齢者の方向けの観光スポットって感じで、若者と言ったらまあ多分聖地巡礼組かなあって感じです。
2023年?に新規オープンしたので、ポスターはもうないかもしれませんが・・・(20年来なので)。是非行ってみてくださいね!冬の寒空、白い息の中、潮のにおいに囲まれて咲きほこる水仙はとてもきれいです。
シーズン中はかなり混むので、平日とか、朝方一番を狙ってみるのがイイと思います。人がホントに多いので・・・。

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