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『ふわっとミラクルradio』 #36 【はっきりと嫌いと表現した話】
https://stand.fm/episodes/6180a06517fde50006cbed12
第三十六回目の放送になります。
最近 近所のお寺さんにある広場に行って のんびりと日光浴することにハマっています。この収録の日も同じように広場へと行きました。同じ場所で過ごしているのに 毎回ちがった感覚や ちがった自分に出会うことが出来ていて 自分でも面白く感じています。
今回は自分があることに対して『嫌い』と表現した話をしました。僕はあまりあれが嫌い これが嫌いと表現することを避けてきました。嫌いという言葉が強すぎるように感じていて その強さに自分が負けていたでしょう。
はっきりと主張する人に憧れがあったのですが それは自分ではないように感じていました。今回 あることに対して嫌いと表現してみましたが 正直思ったよりもなんてことは無かったです。自分の中ではすごくタブーだと感じていましたが 感じたことを表現してみようとやってみた結果 嫌いと表現するのも悪くないなと思いました。
ある種の爽快感もあるような氣がします。はっきりと主張できる自分に酔うような感じでしょうか。主張することが自分自身だと感じて 感情(嫌い)と表現するのか 表現することに対して パワーを求めて表現するのか。
表現に何を求めているかでかなり違うと感じますが そこには自分自身も注意が必要だと思いました。
とにかくやってみて良かったです。
やらないと分からないからです。
嫌いなことを嫌いと言ってみて 実際にどう自分が感じるかはやってみないと分かりません。やってみるから分かることってたくさんあると思います。体験してみることで見えてくることもあります。
自分の場合は体験することでタブーだったことが それをすることが自分らしいと感じるか そうでないか で選ぶことが出来るようになってきたと思います。例えば 一時期 飲食店やスーパーなどで店員さんに御礼を伝えない 挨拶をしないということを意図的にやってみました。それをするまでは挨拶や御礼は『すべきこと』だと思っていました。
実際に挨拶や御礼を止めてみて感じたのは 自分がしたいかどうかで挨拶や御礼をするかどうかを選んで良いということ。また店員さんはこちらが挨拶するかどうか御礼をするかどうかで対応が変わることがないことに氣づきました。愛想が良い方はこちらの態度に関係なく愛想が良いですし 愛想をまかない人はどちらにせよ愛想をまかないです笑。
良い悪いではなく その方の考え方や態度をどう表現するかという話だと思います。ちなみに僕のパートナーは愛想が良すぎる人が苦手で無愛想な人のほうが安心感があると言います。最初は僕には無かった感覚なので驚きましたが今はなんとなく理解出来ます。疲れているのに愛想を無理に振りまかれても違和感があるし 自分の内面と表面が一致している人のほうが安心感があると感じます。
無理のないように 本人らしい接客をしてもらえるのがお互いにとって自然なのかなという風に思います。
ラジオ放送ではこのことは話していなかったかも知れませんが このように思っています。