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変わらないのは変わることが怖いから/恐怖のバンジージャンプやってみる?

最近、妙にイライラすることが増えました。最近と書きましたが実際は不定期でやってくるのですが、この頃、氣分の上がり下がりが激しく(治るのも早いですが)なんでだろうか?と思っていました。

今日パートナーさんと会話していて氣がついたのはイライラしていたのも、氣分の上がり下がりが大きいのも不自然なことではないということ。

それからイライラしているのも見方を変えれば本当の自分でない部分に氣づきやすい働きがあるなと思いました。

僕の場合はイライラの真っ只中でそう思うことは出来ませんが、夕方頃から氣もちが落ち着いてきたので俯瞰して見てみると、そのように思えてきました。

我が家には元保護猫が一匹いまして、これまたよく鳴く猫なのです。パートナーさんもそう感じる時があるそうですが、僕は猫の鳴き声を聞いていると氣もちがささくれ立ってくることがあります。

普段はなんとも思わなくても周期的にイライラした自分が出てきます。何故だろうな?と自問自答していたのですが、今日パートナーさんと話をしていて見えてきたのは

『猫もパートナーも自分ばっかりズルい』

という感情でした。

言いかえると僕は『自分で自分のことを後回しにしていて、後回しにしているのは自分自身なのに、後回しにしている(されていると感じて)状況に怒っている』という「なにこれ?ギャグなの?」というコントを真剣にやっているのです。

パートナーさん曰く「あるあるだよ笑」とのことでしたが、まったく……笑えませんね笑

もうひとつ出てきたのは僕は自分のことを『意気地が無い』と思い込んで、そんな自分を責めているところがあるのですが、猫を見ていて勝手に猫にそういった(自分の)意気地の無さや卑屈さを投影して、モヤモヤ・イライラしていたように思います。

そんなことをパートナーさんに話すと「それも本当だとは思うけれど、実際はそこが問題じゃないかもね」と言われました。

話を聞くとパートナーさんも勇氣のない自分や色々出来ない自分を責めていた時期があったそうですが、問題が解決してみると、当時問題だと思っていた部分は全く問題では無かったことにあとから氣がついたそうです。


『結局、悩んでるのってラクだから悩んでるだよ。やりたいことやるのは怖いけど、悩んでいる間はそっちに向かわなくていいし』

……ぎくっ‼︎という心の声が聞こえた氣がしました笑)

(心屋)仁さんやアドラー心理学、バシャールの話を聞いていて思うのは人は巧妙に問題を作り出すということです。

本当はやりたいことがあっても、そこに向かいたくない場合、やらないで済む理由(ダミーの理由)を作り出すのです。

だからその問題って本当の問題じゃないので、一生終わらない(解決しても違う問題を作ってしまう)のです。

おそらく……というかほぼ100%僕もそのパターンにハマっている氣がしました。

……。

……だって怖いもん!!!!

人一倍怖がりなのになんで怖いことをやりたいと思うんだろうか?不思議に思ってしまいますね笑

仁さんはよく「バンジージャンプを飛ぶ」という表現をされていました。「怖くなくなってからやりたいことをするんじゃなくて、怖いまま飛び込んでみるんやと」そしたら「徐々に怖くなくなったり、あれ?こんなもん?」と思えるようになってくる。

「順番が逆やねん」という話をされていました。

そろそろ僕も覚悟を決めてバンジージャンプを飛ぶと決めるときが来たようです笑

p.s.
パートナーさんにも言われて納得したことが人って未知の体験をする怖さよりも手慣れた苦しさを選ぶ人がほとんどだそうです。

苦しくても慣れているし 変わることが怖いからその苦しさから抜け出さない。そのわりには苦しさの不平を言う。まぁ正に僕のことなんですけども笑

「それも止めるタイミングなんじゃない?」

と言われました。

まだ覚悟が決まらないのですが

この苦しさのまま過ごすのも嫌!!

p.p.s.
ここまで読んで下さった方 本当にありがとうございます笑

この『p.s. p.p.s.』と言うのは僕が高校生の頃に電撃文庫や富士見ファンタジア文庫というライトノベルと呼ばれるジャンルの小説がありまして、好きな作家さんがよく後書きで使われていたのです。

いつか自分もやってみたい!と思ってこのブログでそれをしている次第でございます笑

先ほど話ですが、実際バンジーって飛ぶ前がいちばん怖いですよね?飛んでるときってもう自分じゃどうしようもないんですけど笑

「決めの問題」と言われておりますのでここらであっしも肚をくくります。

今回は以上になります。
ここまでお付き合いくださって、誠にありがとうございました。

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