曲解(思い込む)するということについて。
今回はプロ奢ラレヤー(以下ぷろおご)さんの記事より「そこに書いていないことを読む人たち」のメンタルについてを読んだ感想を書こうと思う。
まず何を隠そう 僕自身が『そこに書いていないことを読む人』であったし 今現在もそこに『書いていない』ことを読むときがある人だ。このことに自分が氣づけたのは今のパートナーとの関係があったからだ。
昨年 東京のワンルームで一緒に生活をしていたとき 嫌でもずっと一緒に生活スペースを共有していたので パートナーと濃厚なコミュニケーションを常にとっていた。
当時の僕は『どーせ自分なんて(愛されていない・理解されていない)』という思い込み(前提)のもとにパートナーとコミュニケーションをしていたので パートナーが『言っていないこと』を勝手に言われたことにしては相手に怒りをぶつけるという面倒くさい行為を繰り返していた。
※今のパートナーとだけでなく コミュニケーションの頻度や密度が増すほど 自分の思い込みの激しさが表に出てきていたことが 今となっては分かる笑。めちゃくちゃ怒っていたなーと笑。
最初は怒る自分がおかしいのではなく『自分を怒らせる相手が悪い(おかしい)』と真剣に思っていたが 仮に相手が悪い(おかしい)と仮定しても 自分の氣は一向に晴れなかったのだ。
そんなことを何度も繰り返して(学習能力w)
ようやく氣がついたのは
自分が『勝手に』思い込みで話を聞いて(読んで)いたという『事実』だ。
パートナーと関係性を築き始めた最初のころはケンカしては自分が悪口を言われたと思い込み 悲しい氣もちになったときに パートナーに「勝手にそっちが思い込んで(悲しくなって)いるだけでしょ!」と言われた(いるような)氣がして よく『勝手に』悲しくなっていた笑。
※上記の()内容は僕がそう感じたという感情や思い込みで事実ではないけれど 僕は事実だと思いこんでいた。
パートナーに何か言われて自分の心の傷が反応するとき 悲しくなったことを素直に認められなくて 自分だけが(勝手に)悲しくなっているようで悲しかったのだり
本当は怒って反論したい訳じゃなかった。
そんなふうに言われて『悲しい』とか『寂しい』という感情を素直にパートナーに伝えることが出来たら良かったのだけれど 当時の僕は今よりもずっと強がっていて 中々 素直になれなかった。
そこから徐々に自分が素直になってきたのだけれど どうして素直になってきたのかということを自己分析すると
素直に『なれない』と口にするのを止めて
自分が素直に『なっていない』だけ。
というように 自分が素直にならないという『選択』を自分で選んでいるのだ。と言う意識を持ち始めたことがキッカケだったと思う。
悲しくさせられたのではなく
自分が悲しいという感情を『選んでいる』
パートナーが僕を怒らせたのではなく
自分が怒りという感情を『選んでいる』
こういう意識を少しずつ育てていくことで 自分が感情を選んでいるという事実に目を向けられるようになってきたのだと思う。
メンタルが不健康であったときは本来 結びつかない『あれ』と『これ』を極度に結びつけていた。
そう云うってことは僕のことが嫌いってことでしょ!!(言ってないw)
そう云うってことは僕のこと理解したくないってことでしょ!!(言ってねーw)
こんな感じで思い込み(誤解・曲解)がたくさんあった。
メンタルが不調なときに出来なかったこと。していなかったことをリストアップすると・・・
・相手の言った言葉の意味をちゃんと相手に確認する(自分はこう感じたけど意味はあってる?と聞くなど 自分の理解した内容と相手の説明しようとした意図が一致しているか相手に確認する)
・怒りなど すべての感情を相手のせいにする(感情は相手から与えられるもので自分では選べない 選んでいないという意識状態)
・自分の勘違いや間違いをなかなか受け入れられない(受け入れたり認めたほうがラクなことは解っているのに抵抗していた)
・中々 謝ることが出来ない
・怒ることや卑屈になることで相手をコントロールしようとする(罪悪感を植えつけるようとしていた)
・怒りのそこに眠っている自分の悲しみに向き合おうとしない(相手よりも自分自身と向き合うべきなのに そこから避けて相手のせいにする)
他にもあるかも知れないけど とりあえず上げるとこんな感じかな。
思い込みの世界で生きていたときは自分の人生はめちゃくちゃ苦しかった。そこに氣づくまでも苦しいことが多かったw
何故って素直に認めればいいのに抵抗するからなんだけど それがやめられなかった。
自分が勘違いしてたことを受け入れられなかったから。
受け入れるとどうなるんだろう??
自分が間違っていたと認めるとどうなるんだろう??
ひとりでそういう質問を今でも自分にしている。
そうすると相手を責めたい氣もちや攻撃したい氣もち。
抵抗する氣もちの後ろにすごく繊細な自分の素直な氣もちがあることに氣がつくのだ。
それは『怖かった』とか『見捨てられる氣がした』とか『寂しい』などの感情であることが多かった。
僕はそういった感情を
パートナーに『共有』出来るようになってから 生きること自体がラクになってきた。
今でも感情的になることはあるし
素直になれないこともある。
けれど それが自分のすべて だとは思わないし
自分が自分だと思い込んでいる
『思い込み』や『勘違い』
これは本来の自分ではないので
ムッとすることがあれば
本来の自分から外れた
思い込みをもっているということに
氣づくチャンスなのだと思うことにしている。
ちなみに ぷろおごさんの元記事の性慾の比較。
これについてもあらためて記事にしようと思います。