才能は人が教えてくれることもある
最近は才能について考えることが多いので 今回も才能についての話を書こうと思います。
今朝パートナー(妻)と食事をしていると彼女が20代後半の頃 アメリカに住んでいた頃の話をしてくれました。後にアメリカでパートナーになる方との話です。
彼はアメリカ人としては寡黙で積極的な話をするのが好きではないタイプに見えたそうです。そんなアメリカ人の彼との出会いはお互いの語学交流が目的だったそうです。
初めて会った時 彼はあまり視線も交わそうとしなかったので彼女は『こっちが英語できないしなぁ』『そんな人に付き合わせて申し訳ないなぁ』と内心思っていたそうです。
それでも彼女はとりあえずアメリカ人について氣になっていたことを彼に聞いてみました。
「アメリカの人って話好きに見えるけど なんだか内心の不安を埋めるために話をしているように見えるときがあるけど どう思う?」
アメリカ人の彼はそんなことを聞かれたのは初めてだったらしく しばらく戸惑っていたそうです。そしてしばらく考えたのち「考えたことなかったけど もしかしたらそういう側面があるかも知れないね」と答えてくれたそうです。
そんな彼がまだ彼女と出会って間もない頃から彼女について『君は作家だからね』と言っていたそうです。当時は渡米していたものの英語で意思疎通が出来るレベルではなかったにも関わらず ずっと『感性が素晴らしい。作家だよ』と言われていたそうです。
彼女いわくアメリカ人のパートナーは霊感があった氣がすると。なにか感じていたのでしょうか。
現在の彼女 僕のパートナーは占い師として鑑定書を書くということも自分の情熱のひとつとして表現しています。それはまさに作家のようだねと今朝話をしていました。
こういった話は僕のパートナーだけに起きていることでしょうか?
きっと誰しも起こりうるし すでに言われたことがあると言う人のほうが多い氣がします。ただその才能を発揮するまでは忘れていたという方も多いかも知れません。重要なのはその才能を発揮していないときでさえ周りの人たちはその才能の片鱗をなにかから感じ取っているということです。
耳を澄ませて聴いてみれば自分の才能のかけらに氣がつくこともあるかも知れませんね。