TRPGシナリオ製作術 【慈悲なきアイオニアのシナリオ制作、組織編】

引き続き慈悲なきアイオニアのシナリオ作りに役立つかもしれない自分なりの考察をまとめたいと思います。以降の考察を正しいと主張するつもりではないので、あくまで参考程度に、もしくは逆転の発想などにお使い下さい。


組 組織・団体・国家・家族・派閥・主義・宗教・人種・種族などなど

人間社会には非常にたくさんのグループが存在していますが、人間社会に属する人々はどうしてグループ分けしたりされたりするのでしょうか。

組 自ら選んだグループ

昨今良い意味でも悪い意味でもポリコレが話題ですが、趣旨である性別や身体、精神障害に対して差別表現や固定観念、偏見を無くそうという考え方は素晴らしいことだと思います。

しかし、人の考え方は十人十色であり、それぞれの考えや気持ちは尊重されるべきでしょう。それを前提として『他人が勝手にグループ分けしてしまう』のは、本人の意思を尊重しない乱暴な行いです。
あくまで、本人たちが納得いくグループに、本人たちの意思で所属することを決めることが、後の不和を生まない方法だと言えるでしょう。

では、模範的な一市民と猟奇的快楽殺人犯がそれぞれ納得した上で同じグループに所属することはあるのでしょうか。
勿論、シナリオを書く上でのフィクションの話なので自由な発想で良いですが、簡単に思いつくのは慈悲なきアイオニアでいうところのシャーマ教シモン教会に属する人々でしょう。
シモン教会では宗教的、政治的に他宗教に属する人々を異教徒としています。異教徒は改宗しようとする教義の様子ですが、過激な考え方をしている教徒もいるようで、異教徒を差別し、暴力に訴えることもある様子です。
快楽殺人犯は異教徒相手に自らの欲を発散出来る場所として居場所があるでしょうし、シャーマ教シモン教会の教えを忠実に守る一市民ならば、祈りと教義を大事にして、道徳的な人物として周囲の人々と仲良くできることでしょう。
一人一人が自らの考えに沿って選択したグループは、最低限の団結力と仲間意識が芽生えます。より大きな団結、より大きな仲間意識を持つためには様々な手段がありますが、属している人々が各々の思いで隣人と共に緩やかな協力体制を築いていくのが、『自らが選んだ所属するグループ』という共同体のメリットです。

根本にある"仲間同士"という意識は、人類を強く束ねる重要な要素であり、これが転じてとんでもない大問題を引き起こす要素にもなりえます。
その一端としてシモン教会の『異教徒への迫害』というものが表面化しているに過ぎません。どのようなグループも少なからず対立する組織が存在し、その組織相手に敵対的な行動をとってしまうものです。
そんな時、仲間意識は強烈な敵対心を煽ります。"仲間でない者は敵"という過激な考えをいかに抑えられるかが世界平和の第一歩なのですが、人類は皆これに悩まされながら、時には利用しながら歴史を紡いできましたので、物語の中だけでも、どうにか克服して欲しいところです。

織 穏健派、過激派という内部派閥

上記の例で行くと模範的な一市民と猟奇的快楽殺人犯が同じ組織に所属していることになりますが、この二人を同列に並べるのもおかしな話です。
そのため、組織内でさらに派閥を分けることになるでしょう。

この二人を分ける場合、それは穏健派、過激派というように分けることが出来るでしょう。組織内でどのような態度を取るか人によって様々ですが、組織のためなら暴力も辞さないという派閥を過激派と呼びます。

宗教に関わらず、政治的な団体だろうと商業的な団体だろうと、穏健派と過激派は存在しますし、人種ということになると、これまた強烈な悲劇を生むことになります。

組 生まれた時点で決定されるグループ

自ら選ぶことが出来る組織もあれば、生まれた時点で決定付けられるグループもあります。一般的なのは人種や国籍になるでしょう。

選ぶことが出来ないと言えばネガティブに聞こえるかもしれません。しかし、それは現代人的な考え方かもしれません。中世ヨーロッパでは人種や国籍という所属はあまり強く意識されていませんでした。一般人からすれば、自分の人種や領主が誰かというよりも、生まれた村や町に対して帰属意識が高い時期だったといえるでしょう。
生まれに不満を持つこともあったと思われますが、現代と比べて出自はその人物のステータスやアイデンティティを大きく構成する要素になり、変化させようのない大きな壁、障害となりました。これは諦めという感情を想起させ、大志を抱いて出自の壁を越えようとする人物は稀有な存在でしたし、大抵は上手くいかずに歴史に名を残すことは出来なかったことでしょう。
ということであれば、宗教が浸透しているアイオニアの世界においてはやはり、『隣人と仲良くする』という教義によって、より近い人々同士で団結し、困難を乗り越えようとするのは自然な考えです。
農民たちは冬のために薪や食糧を備蓄し、春には農作業を頑張り、少なくない税金を何とか納めようとします。
貴族たちは来るべき戦闘に備えて訓練し、領地を良くするためにインフラを整え、社交界では家名を上げるために政治に参加するわけです。
結果として、農民たちと貴族たちは隣人ではなかったため、その溝はなかなか埋まりませんでしたが、それでも英雄と称えられる名君は歴史に名を残しています。

どこで生まれるかを選ぶことは出来ません。しかし、出自は生まれた時点で決定されるグループの中で人生を大きく左右することになります。
現代においても、日本と他国、どこの国で生まれるかによって、大きく人生が影響されます。中世において出自は更に大きく人生に影響します。領主の娘と、農民の息子が出会うことは稀であり、住む世界が違うという状況でありました。
それでも、その場で出来ることを隣人と共に協力して行うという基本的な社会基盤が、出自によって至極単純明快に構成されることになったのは

組 とある個人は、大きなグループから小さなグループに向かって入れ子構造になる

上記のように、グループには大きなものから小さなものまで大量に存在しますが、大抵の場合は大きなグループに分別され、徐々に小さなグループに別けられていき、その個人の所属が決まります。一番身近で小さなグループは家族かもしれません。しかし、個人の考え方次第で『グループの入れ子構造』には順序が変化することもあります。

例えば、我々が地球人というグループに属していることは間違いありませんが、次に分けられるグループは何かと聞かれれば、その個人の考え方で変わるはずです。次に来るグループは国家でしょうか、人種でしょうか。
日本人という人種に属する人でも、住んでいる国がアメリカだった場合、国と人種どちらが先に来るのでしょう。

この違いが人々の考え方や生き方に反映され、時として同じグループに属することになっても考え方が違う場合があります。

織 知らぬ間に所属しているグループ

本人の意志でもなく、出自などの関係もなく、いつの間にか知らない間にグループに割り振られてしまっている可能性もあります。

例えば、才能という言葉があります。99%の努力と1%の才能なんて言葉もありますが、才能が実在するステータスなのか、実在したとしてどれほど影響するステータスなのかは、神のみぞ知る範疇です。生まれに影響するように見えて、意外な才能が青年期以降に発揮される人物もいます。
どのような才能が個人に割り振られているのかは、可視化できないため人類は大いに悩むことになります。これは間違いなくグループ分けされていると言えるでしょう。
とあるマフィアがフロント企業を起業したとします。何も知らずに働くことになった人はそのマフィアに所属していると言えるのでしょうか。資金がマフィアに流れていることを末端は知ることが出来るのでしょうか。自覚せずにマフィア組織に組み込まれてしまっていることもあり得ます。

中世においても慈悲なきアイオニアの世界においても、同じことが言えるはずです。

慈悲なきアイオニアの世界でも、大きな都市にはいくつかの犯罪組織が存在しているはずです。ラウステン王国の海賊行為は国家としても手を焼いている組織です。そして注目なのは、重要拠点であるとびら谷の私掠行為についてです。バックにスリーズ帝国が付いている可能性がありますが、真相はどうなんでしょうか。
こういった犯罪組織に対して、ラウステン王国やスリーズ帝国の貴族たちの見解は分かれると思われます。知らない間に私掠行為に加担していることになってしまう可能性のある貴族たちは、自らの振る舞いをどうするのか選択しなければなりません。このような時代における私掠行為は見て見ぬふりをせざるを得ませんが、それが貴族のプライドにどのように影響するのかは、現代日本人の我々は想像するしかありません。

組 慈悲なきアイオニアの特筆すべきグループ

慈悲なきアイオニアでも様々な組織が登場します。このグループたちをどのように描くかによって、人々の生き生きとした描写を書くのか、ダークファンタジーな鬱々とした世界観を書くのか変わってくることでしょう。

織 ギルドについて

まず、ギルドです。中世ヨーロッパにおいてもギルドという組織は存在しましたが、実は名前の通りの存在であって、改めて解説する必要はないでしょう。一つだけ補足するのであれば、地方の村や町では自給自足で解決するのが普通であり、領主に雇われた鍛冶職人が農具を直せれば何とかなります。一方で都市レベルの大きさの街ということになると、鍛冶職人一人では街が運営出来ない上に、貴金属の加工や刃物の加工といった専門の仕事もあったため、ギルドが作られるぐらいに職業人が多数居たというわけです。
都市は周囲の村や町から物品を輸入して加工し、庶民やその他の職人へ販売しないと都市の運営が出来ないため、職人や商人といった職業人が集まってギルドを作ることに大きな意味がありました。

これらギルドは慈悲なきアイオニアの世界において、かなり大きくて強力な組織として描写することになるでしょう。大きい組織の方がドラマチックだからです。

  • 職人ギルド

  • 商人ギルド

  • 傭兵ギルド

  • 大学

  • 犯罪ギルド?

大学は学者や研究者たちにとってのギルドのような存在であると記述があるため含めてあります。

職人たちは、親方と弟子という立場に分かれて日々業務をしています。そして、同じ職業の親方たちが集まって協同組合を結成したのが職人ギルドと言えるでしょう。パン職人同士が寄り合ったり、鍛冶職人同士が寄り合ったりするわけです。
同じ職業の親方たちが集まることによって、組合で材料を調達したり、仕事を引き受けてそれぞれの工房に仕事を分配したりといった業務上の利便さを得られた一方で、商人ギルドが都市運営のための政治に口を出している状況を快く思わなかった職人たちが対抗して結成したという政治的側面もあります。
折角のファンタジーなので、現実にはない職人も多数いることに注意しましょう。例えば魔力結晶を加工する職人と、魔術触媒を制作する職人は別かもしれません。貴金属や宝石の鑑定士と、アーティファクトの鑑定士は別かもしれません。

商人ギルドは商人たちが集まって結成されるだけあって、都市経済に関する大部分を担うことになりました。都市に取ってお金は何より欠かせない上に、商人ギルドの方針が都市全体にも関わるため、商人ギルドは大きな政治力を有することになりますが、ビジネスと政治は切っても切れない関係とはいえ、お金で政治を左右させる、または政治でお金を増減させることも可能になってしまい、領主と商人ギルドがズブズブの関係になり得るということです。
これに対抗して職人ギルドが作られたという歴史がありますが、慈悲なきアイオニアの世界においても商人ギルドには闇がありそうです。

傭兵ギルドという存在は中世ファンタジーの定番ですね。宿屋や飲食店が加入して、戦闘力を生業にしている傭兵たちに仕事を斡旋するのが傭兵ギルドの主な業務になるでしょう。どこの山賊を討伐するという依頼だったり、誰かを護衛するという依頼だったり、モノを運ぶという依頼だったりです。
よくよく考えると、このような危険な仕事を、その辺を歩いている傭兵に頼むのは危険なことです。その傭兵の実力は未知数ですので、頼んだ仕事を失敗してしまうような傭兵には依頼したくありません。
そういった仕事を完遂させる保障を得るために、傭兵ギルドという組織に依頼し、傭兵ギルド側が相応しい傭兵に斡旋することによって、失敗できない仕事を安心して依頼出来るというわけです。
慈悲なきアイオニアの世界では魔物の存在も確認されているため、命の危険がたくさんあり、傭兵に頼みたい仕事はたくさんあることでしょう。
そういった依頼を一旦集積する傭兵ギルドは、それだけでも価値があると言えます。

大学という存在は学者や研究者、そしてそれらを学ぶ生徒たちが集まることによって、自然とギルド化したとのことです。これは史実でもそうだったらしいです。
同じ学問の人々が集まった方が研究の効率は上昇するでしょうし、別の学問の知識が必要になった場合でも、大学内で連携することで解決しやすいことでしょう。慈悲なきアイオニアの世界では、フィールドワークも命懸けになるため、研究費用として傭兵ギルドに護衛を依頼することもあるかと思われますが、そのような研究費用を大学がある程度まかなうために、貴族やその他ギルドに研究結果を売って収入とし、金銭の問題と学者たちの研究を切り分けることで、より学問を素早く成長させることができるはずです。お金の管理は大変な業務なため、そういった事務員が存在してくれるだけで学者や研究者は助かるはずです。

犯罪ギルドについては、存在することは分かっていますが、その規模や温度感は不明です。国を超えての大規模なものが存在してもおかしなことはありませんし、そちらの方がドラマチックで面白いですよね。
戦争が多発していた世界背景から考えても、戦争による疲弊はそのまま治安悪化に繋がります。悲しいことに戦傷兵は怪我の度合いによって農夫としての仕事も出来ないため、そのまま犯罪に走ってしまうことも多々あることでしょう。
悲惨な戦争の背景を描くことにも繋がるため、ダークファンタジーとして犯罪ギルドという組合をどう描くかは腕の見せ所となります。

織 封建制という制度について

次に、封建制という制度について中世ヨーロッパの階級をみてましょう。

  • 教皇、皇帝、国王

  • 領主(貴族)

  • 聖職者

  • 平民(農奴)

国王も領地を持っているんですが、便宜上このように立場を並べることが出来るでしょう。
上から下に向かって権力が無くなっていき、平民はもはや農奴と呼ばれる身分になり、職業選択や移動の自由などもありませんでした。さらに農奴という立場は世襲制でもあったため、生まれながらにして農奴の子は農奴ということになります。このような状況の中で、農奴出身者が聖職者や貴族になろうとするのはとんでもなく難しいことであり、中世後期に聖職者になるため学校に通えた農民が聖職者になれたぐらいとのことです。

上記の物はあくまで中世ヨーロッパの話です。慈悲なきアイオニアの世界で、どれぐらいの諸侯が存在するのか、農奴制などが存在するのかは不明ですが、同じような封建制の世界観なのだとすれば、ルールブックに記載がある各王国も同じような感じだと思われます。

シナリオに封建制の雰囲気を出したい場合は、細かい歴史考証とかは一旦置いといて、次のことを描写するだけでも十分でしょう。
王の臣下には男爵が居て、王から認められた男爵が伯爵として各地を統治しており、伯爵や男爵の部下は騎士です。男爵は城を一つ所有しているぐらいの立場の人物であり、伯爵はそんなお城を持つ男爵たちをまとめる人です。
伯爵や男爵の部下である騎士たちは、王の部下とは言えず、独立した部下ということになります。(事実上は上司が国王に忠誠を誓っているので、国王は上司の上司であり、王の部下として振舞うのは普通です)

伯爵という立場の人が、必ずしも王の部下出身だったかどうかは場合によりけりだと思われます。例えば、戦争や婚姻などの政治的な方法で王国に従属することになった地方は、その地方の有力者がそのまま伯爵として認められた場合がある一方で、王の権力支配を維持するために王の臣下が新たに伯爵として任命され地方を任された場合もあり得ます。
土地を任された伯爵がいたとして、その伯爵がもともと王の臣下だったのか地方の有力者だったのかは"伯爵それぞれ"ですし、現国王に対する忠誠心の度合いも"伯爵それぞれ"の可能性があるでしょう。

さらに公爵という伯爵よりも上位階級の爵位がありまして、公爵は伯爵たちを軍事的に束ねる立場の人物です。つまり、いざ戦争になったときは公爵が伯爵たちをまとめ王の下に集まるということですね。

王国から遠い位置に"辺境伯"や"侯爵"、"子爵"という爵位の人物を置く場合もあるでしょう。王国の文化圏と離れてしまっているため、伯爵や公爵とは区別して別の名前で呼ぶことに政治的なメリットがあったということです。
このような公爵たちから男爵、騎士たちのことを大きくまとめて『領主(貴族)』と称します。つまり、公爵も侯爵も伯爵も子爵も男爵も辺境伯も騎士も、一定の領地から税金を徴収する権利があって、その領地を統治する必要がありました。そして、いざ戦争になれば男爵以上の爵位の人たちは全員騎士として戦闘に参加することになります。

農民が「うちの領主様が~~」というセリフを言うのは、つまり税金を納めるべき領主のことを言っているわけです。「うちの貴族様が~~」というセリフからは領主だと認めていないネガティブな印象を受けます。騎士や男爵が「〇〇伯爵は~~」と爵位を付けて人を呼ぶのは、社長とか部長という時と同じ気持ちで呼んでいることでしょう。つまり、騎士や男爵といった立場の人が伯爵のことを「伯爵様」と呼ぶのは部長のことを「部長様」と呼んでいることになり、このような二重敬称はちょっと"言外の感情"がまろびでていますよね。(現代日本でもわざわざ部長や社長に様を付けるのは、ちょっとネガティブな印象を受けます)
貴族たちが国王のことを「我が王」と呼ぶのと「王様」と呼ぶのも同じ理由で、後者の方が二重敬称となるわけです。そういう意味では農民が「伯爵様」とか「王様」と呼ぶのは逆に敬語に慣れていない感が出て解釈一致かもしれません。

封建制という制度においてド派手なイベントになりそうなのは、伯爵や公爵が軍事力を有している点です。国王単体で動かせる軍事力が伯爵や公爵に依存しているため、世の貴族たちは自分の判断で軍隊を動員出来ることを意味します。
それは例えば、王位や爵位の簒奪かもしれません。

織 組織として見た宗教

宗教組織も中世の時代には重要な社会階級でした。宗教にも貴族のような階級が存在しています。例としてカトリックは以下の通りです。

  • 教皇

  • 枢機卿

  • 大司教・司教

  • 司祭(神父)

  • 助祭

そして、それぞれが管理する宗教的行政地区を教区と呼びます。

  • 大司教区(教会管区をまとめる大司教が務めている教区)

  • 教会管区(いくつかの教区をまとめたもの)

  • 教区(司教がまとめるいくつかの教会)

  • 小教区(主任司祭がまとめている)

漫画やアニメでもおなじみの枢機卿という立場の人物は、教皇の補佐をするのが業務です。
大司教と司教は司祭たちをまとめる人、司祭はいわゆる神父さんです。そして、助祭は神父さんの補佐役です。

上記の物はキリスト教カトリックにおける序列や行政地区の話であり、東方教会の序列は以下の通りです。

  • 主教(総主教、大主教)

  • 司祭

  • 輔祭

上記の中で、総主教と呼ばれる人が東方教会の最高指導者と言える立場の人です。それぞれ対等の立場にあると言われています。

中世ヨーロッパで更に重要な事柄として、騎士修道会という団体が存在します。この修道会に所属する騎士たちは、修道士として生活している騎士たちということであり、戦闘集団です。宗教の教義も騎士修道会としての教義も守る修道騎士たちは、他の修道会と同じく清貧を良しとする考え方で神に従う信徒たちという立場の人々です。

慈悲なきアイオニアのシャーマ教は、上記の宗教序列と同じ名前の立場の人々が登場します。
キリスト教カトリックと同じ序列名が使われているシモン教会と、東方正教徒同じ序列名が使われている正教会です。

織 慈悲なきアイオニアの宗教組織

慈悲なきアイオニアの宗教の中で、人間に多く信仰されているのがシャーマ教ということになりそうです。シャーマ教は二つに分かれており、正教会とシモン教会と呼ばれています。
それぞれの教会がどういった教会なのかはルールブックに記載があるので省略して、ここではシナリオフックとして注目すべきシャーマ教の暗黒面を考えてみます。

正教会とシモン教会は教義に違いがあります。
その中で、正教会はラウステン王国により『国教』と指定されたため、同国内では政治的な権力を有することになりました。
いつの時代も、宗教を政治利用することは当然とも言える政治戦略なのですが、ビジネスも政治と深くかかわってしまうため、三段論法のような形で、『つまり宗教はビジネスである』という理論がまかり通ってしまうことに繋がっています。
そのため、教義の上ではシャーマ教と相反するビジネス戦略や政治戦略が、宗教の名のもとに行わている可能性があります。例えば、お布施によって政治的な発言力や信徒などを"お礼品"として渡したり、同じく権力のある商人ギルドと結託したりなどなど……。

一方でシモン教会もまた、教義が拡大解釈されて行使されている様子があり、異教徒を邪教呼ばわりするばかりか、迫害が発生している様子です。『祓魔師』という立場の人物が積極的に穢れを払う任務を持っている様子ですが、この様子だと穢れを払うだけではなく、異教徒への迫害に加担している祓魔師も存在しているかもしれません。(もちろん、本当の意味で穢れを払う任務を頑張っている祓魔師もいるとは思います)
実在の祓魔師には階級があり、上位には「名誉騎士(キャンサー)」、「四大騎士(アークナイト)」、「聖騎士(パラディン)」と呼ばれています。ということは、シモン教会にも名誉騎士以上が居そうですし、ルールブックのシモン教会の説明文に聖地騎士という団体が描写されていることからも、祓魔師で編成された騎士団が存在しそうです。

ビジネス、または政治戦略として、実効支配できる領地を用意するために、現地人を異教徒扱いして追い払い、占領してしまうような行為は、宗教とは名ばかりの侵略行為です。もし、そのような行為に祓魔師たちが聖地騎士団と名乗って加担しているのであれば、聖地騎士とは、パラディンとはなんなのか……シモン教会は相当とんでもないことを行っていることになりそうです。

魔物が存在する世界とはいえ、人類も魔物に負けず劣らず恐ろしい動物であるということですね。
誤解のないように軽く触れますが、シモン教会はヴィデアという新しい邪神と敵対して征伐した実績があり、異教徒とのいざこざを起こしているだけの組織ではありません。いざその過激な思想が魔物側に向けば、苛烈な戦闘集団として人類の一番槍を担う組織……になるかもしれません。

祖霊信仰、自然信仰はシモン教会に迫害される側ですが、彼らはその事実を認識しており、更に自らの安全圏を守る側の立場です。中世の戦闘は守る側が有利なので、弾圧にどうにか頑張って抗って欲しいところです。

重要なので記述しておきますが、実在する宗教と混同して考えてはいけません。

織 魔物という存在

知性ある魔物は人類側と同じく社会的な生活があると思われます。魔物たちがいったいどのような社会形態で行動しているかは不明な点が多そうですが、違う種族の魔物が協力関係にあってもおかしくはありません。

オークたちは大きさによってゴブリン、トロルと呼び名が違うようですが、この魔物たちは社会的な生活をしていそうです。オークが主な種族なようでトロルが肉体労働担当のようですが、ゴブリンは単体で群れている場合もあるようです。
これらの魔物は人類を捕食する習性もある様子であり、『人類を捕食する、人類と同じ知恵を持つ存在』はとんでもない脅威です。逆に言えば、人類を捕食する点を除けば、交渉の余地もあるのかもしれません。冷静に考えると人間一人より牛や豚、シカ一頭の方が可食部が圧倒的に多いため、魔物が無条件で人類を捕食することを優先する様子が無いのであれば、仕方なくこういった生贄を捧げて存続をしている農村や領地がどこかにあってもおかしくありません。

無限の時間と叡智を備えたリッチは、アンデッドの中でも知能がある存在です。知能があるということは、人類に対してとんでもない脅威になるということです。
そもそも、リッチになろうとする魔術師は、もう法も宗教もへったくれも無いという無敵の魔術師の場合が多いでしょう。ということは、ゾンビを行使したり、スティッチを作り出したりといったシャーマ教の禁忌も全く関係が無く、不死の軍団を作り出すことも厭わないということです。
知能があるということは、生きているネクロマンサーや死肉接ぎといったグループと接触して仲間となり、死体や魔術書、アーティファクト、挙句の果てには大学の研究成果を効率よく集める方法を手に入れることも出来るわけです。
もちろん、人類と同じ知能が悪いことばかりに使われるとは限りません。人類の味方として登場するリッチが存在する可能性も世界観的にあり得ます。

デーモンとデヴィル、フィーンドたちは悪魔的な存在だと思われています。実際、デーモンもデヴィルも人類のことを明確に邪魔な存在として認識しており、オークたちと比べても交渉の余地は全く無さそうです。さらに、デーモン単体でも街が一つ無くなるほどの戦闘力ともなれば、抗いようのない存在であると言えるでしょう。
このような悪魔を信仰する悪魔崇拝者も存在しており、デーモン側は悪魔崇拝者を利用することも出来ます。悪魔憑きという状態になった人類は、私利私欲にデーモンの力を使おうとしますが、デーモンからすれば人類がデーモンの力を行使して勝手に暴れてもらう分には何のデメリットもありません。
人類同士で争っている場合でないことに、慈悲なきアイオニアの世界の人々は気付いていないのです。デーモンとデヴィル、フィーンドの軍勢が地下から組織的に攻めてきた場合、人類側は地下の地理について全く知識がないため、どこからデーモンたちが表れて、どこで補給が行われて、どこに撤退していくか分かりません。人類よりはるかに戦闘力の高い軍勢に、何時でも、どこでも奇襲される状況なのです。
慈悲が無いですね。

レビアタンと眷属のヒュドラー、クラーケンたちはレビアタンがデーモン側の可能性があります。一方、デーモン側から見てどういう存在なのかは不明です。まさかの第4勢力としてアイオニアの世界征服を目論んでいるのかどうか見所の勢力です。
もしデーモン側としての参戦なのであれば、人類は海も塞がれて各大陸との連絡も絶たれてしまうわけですから、人類滅亡待ったなしです。
慈悲が無いですね。

その他にも魔物は存在しますが、生物学的な分類をすることは出来ても、派閥的なグループは存在しなさそうです。例えば、大陸のどこかでひっそりとくらしている巨人などが居てもおかしくありませんが、社会的な生活が出来るほど巨人が生き残っているかどうかは不明です。
竜もまた人語を喋るとなると長命の古龍ということになるそうなので、人類側の味方なのか敵なのかは古龍種しか知らないということになります。

織 まさかの人類の味方?

人類側は攻められてしまえば一瞬で滅びそうな状況だという事が分かりましたが、状況として辛いことの一つに『地下世界に対する知見が無い』ということがあります。
危険な場所だということは理解しているため、目立つ地下に続く道は封鎖されているとのことですが、それでもいくつかの隠れた地下への道に迷い込む旅人もいくらかいるとのこと。
地下は完全に魔物側の領域ではありますが、実はダークエルフというダークホースが存在します。

ダークエルフは太古の昔に地下世界へ潜伏することを選んだ存在であり、地下でオークと戦闘をしているとのことです。嫌気がさして地上に出てきたダークエルフは、エルフたちに裏切り者と誹りを受けてしまうのですが、地下世界を知る唯一の人類でもあります。

今回の記事のコンセプトを思い出してください。彼らは人類側なんです。
事情があって地下にいますが、出自が人類側というのは熱い展開です。
地下への知見が深いと思われるダークエルフと人類が友好的に接触することさえ出来れば、人類の弱点の一つである『地下の知見』を得られる展開が待っています。
エルフの誹りによってダークエルフ側が地上人を見下しているとのことなので、地上側のエルフが頭を下げないといけないのですが、ここにもドラマがありそうで面白そうですね。
地下組織は本当に未知の世界のため、その他の大陸に近い海峡などは地下通路で繋がっている可能性もありますし、人類側の逆転が見える展開の一つと言えるでしょう。

新しく発生した神々や精霊たちのなかには、人類に味方してくれる存在もいるようです。神々は人々の信仰の力から生まれているため、善良な神が自然発生している場合があるとのこと。
精霊も、人類に対して友好的な存在が確認されているようで、いざという時には助けてくれる存在になるかもしれません。

組 まとめ

グループに分かれていることは悪いことばかりではなく、協力体制を築きやすい共同体として団結しやすいということがあります。
団結した結果、思想や主張が反する組織と敵対してしまい、世の中には争いごとが絶えませんが、このようなときこそ『宗教間対話』という考え方は宗教の枠を超えて重要です。
話し合いだけで全てが解決するわけではないと思いますが、話し合いで解決出来たことも暴力で解決しがちです。特に中世ヨーロッパの世界はこのような擦れ違いが多発していそうです。

慈悲なきアイオニアの世界でも同じ問題が発生していますが、この問題を物語としてどう決着をつけるのかは、シナリオを書く作者に委ねられています。
PLは『暴力じゃなくても話し合いで解決出来たのに……』という展開に結構敏感です。暴力で解決するのは簡単ですし、難しいことは考えないで相手をボコボコにしたいというPLが居ることも承知していますが、もう衝突は避けようがないという展開になって初めて暴力で解決させるように心がけましょう。そうすれば、話し合いという時期が過ぎてしまったと理解したPLは、仕方なく、もしくはノリノリで戦闘してくれるはずです。

そして、対立や衝突が暴力のみで解決する物語だけではなく、『暴力に訴えると最悪の結末を迎える』という展開のシナリオを書くのも同じくらい大事です。暴力の結果として最悪の結末を迎えようとしているのを回避しようと人類はあがき続けていますし、これは現代日本人も一緒です。
ということは、我々現代人も物語に感情移入しやすいストーリー展開になるということです。

グループ、組織というものをどのように描写するのか。
組織同士の対立をどう描写するのか。
この二点において、この記事が参考になれば幸いです。

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