TRPGシナリオ製作術 【シナリオ強度ってなに? 3つの問題】

『シナリオ強度』という言葉があります。これは広義に解釈すると『シナリオ内で想定されているエンディングに辿り着けるかどうかの強度』という意味であり、PLのどのような行動宣言に対しても、いずれかのルート通りにシナリオ内で想定されたエンディングに辿り着けるかどうかの強さを表します。例えば『館に放火しようとして警察に捕まったPCたちが、そのまま逮捕された時用のルートに向かっていく』というように、大抵の行動宣言をバッドエンドであったり、シナリオ進行不能にせずに受け入れられるシナリオ構成になっているということです。
狭義的な解釈だと、PLの行動宣言そのものを特定のシーンで固定できるほどのシーンであることを意味する場合もあるようです。例えば、ラストシーンでNPCに対してどのような行動宣言をするのかどうか、シナリオ側で完全にコントロール出来ているかどうかという具合です。

『シナリオ強度』という言葉に他の意味もあるかもしれませんので調べてみましたが、定義はかなり難しい様子です。上記のモノだけが『シナリオ強度』と言える状況では無さそうですね。
『PLの宣言に柔軟に対応出来る』のが強いとも言えますし、『誰が遊んでもシナリオ根幹のテーマやコンセプトが揺るがないこと』を強いとも言えそうです。
つまり、そもそも『シナリオ強度』には複数の種類があるということで、分けて考えるべきかもしれません。

さらに、『シナリオ強度』を強くしようとしてTRPGの良さ、シナリオのストーリー性、ゲーム性などを損なっている可能性もあるかもしれません。シナリオ強度を得ようとして、自らの理想とするTRPGシナリオのコンセプトから外れるということはつまり、無駄な強さ、無駄な硬さということになってしまいます。

シナリオ強度について悩んでいらっしゃる方は、数種類ある『シナリオ強度』の内のどれに悩んでいるのか、改めて分析するべきかもしれません。


柔よく剛を制す

そもそもの話、シナリオ強度という言葉そのものが誤解を生みそうな造語かもしれません。
剛というものは一定の力ではビクともしないかもしれませんが、一定のラインを越えた瞬間にボキッと折れたり千切れたりしてしまいます。ですが柔は力を受け止めて曲がったり伸びたりすることで、折れたり千切れたりしないようにするということです。
もちろん、とてつもない力を加えてシナリオを壊そうとするPLがいた場合、それは剛も柔も関係無くシナリオは破壊されます。
ですが、シナリオを壊そうと思って振る舞うPLについては強度問題を語るうえで一旦置いといて良いですので、そもそも対策を考える必要はありません。
『シナリオ強度』に必要な強度は、自由な発想や行動宣言によって発生するパワーを受け止めさえすれば良いので、適度に変形しても何とかなりそうな柔の考え方で丁度良いように思えますし、柔よく剛を制すというコトワザの"よく"という所に注目すると、全部が全部柔ではなく、あえて剛が適切な場面は剛にしようという"柔軟な"発想も大事です。

『シナリオ強度』には種類がある!

まず、ここについて気を付けるべきかもしれません。シナリオ強度が弱くて悩んでいると言っても、個々人で悩んでいるのは別の問題かもしれないということです。
シナリオ強度にまつわる問題を見ていきましょう。

設定の量こそが基礎防御力

シナリオ強度には特別な対策が必要な場面もありますが、そもそも舞台設定と人物設定を充実させればさせるほど、ありとあらゆる問題にGMがアドリブで対処しやすくなります。無駄な設定というものはありません。思いつく限りシナリオのどこかに書いておきましょう。
勿論、設定として書いた以上、シナリオ内に描写として組み込みたい気持ちも分かりますが、必要以上の設定は潔く裏設定に回すことにも気を付けて下さい。設定を詰め込みすぎると、ゴチャゴチャしてシナリオ強度とは別の問題が発生します。
TRPGの場合、シナリオの強度が試される場面でどうにかシナリオを保とうとするのはGMですし、GMはシナリオの中身も知っているので裏設定を表に回すアドリブをすることも可能性です。裏設定が完全に使われないわけではありません。
設定量がシナリオの基礎防御力に直結しているので、裏設定になっても良いから設定を書いておきましょう。

シナリオで想定して無いルートに向かっていく問題

言い換えるなら、『シナリオの本筋に戻ってこれない問題』とも言えます。
これはかなり深い問題であり、ここをバキバキに強度を上げると自由度の喪失すら招くので難しい問題です。
例えば、『今から友達と一緒に田舎にキャンプしに行こう』という導入のシナリオで、「田舎じゃなくてハワイに行こうぜ」というPCが居た場合、NPCの口から「ハワイはちょっと……」ってシナリオの本筋に戻そうとしたとしても、実際の所はPCたちがハワイに行けないわけではないはずです。

しかし、実際ハワイにPCとNPCが旅行をしにいったところで、実はシナリオは導入以前の進行状況です。ハワイから帰ってきた後に田舎にキャンプしに行けば良いので、実は問題なくシナリオの本筋に戻れます。
本筋に戻るためには、シナリオ側に"遊び"を用意して、本筋に戻りやすくする必要があります。この遊びというものは、工業用語的な意味の遊びであり、何でもかんでもガチガチに組み上げるのではなく、振動等のパワーを受け止めるために緩衝材的部品も必要であるということです。

当たり前ですが、「シナリオ導入でハワイ行こうぜ」はTRPGの冗談として定番なだけで、本当にシナリオ導入でハワイに行くという行動宣言をする人は居ないと思います。
ですが例えば、『夜にPCたちが眠りにつく場面で……』というシーンで「自分のPCは◯◯って理由で起きてても良いですか?」という確認があった時、シナリオでその想定を書いておかないとGMのアドリブになります。
もし、PC全員が寝ることがシナリオの重要なストーリー構成に繋がっているのだとしたら、夜更かししたPCはシナリオの本筋から外れて行きます。ちょっとした外れ方ならGMもアドリブで修正出来るでしょうが、物語の根幹に関わるシーンだった場合はGMのアドリブでも修正しようがない可能性があります。
上記の例の場合、『夜更かしすると翌日の行動全てにペナルティがかかります』と脅してPCたちを寝かし付けるのも定番の返しではあるんですが、今の時代には余りにもぶっきらぼうな対応です。シナリオ側で寝ないPC用にちょっとしたルート分岐を用意しておくと、PLも嬉しいと思いませんか?
全員寝たという所に着地させるために、夜更かししようとしたPCにちょっとした情報とペナルティを入手してもらい、『なんやかんやあって寝てもらう』というルートを用意するだけで、夜更かしルートを本筋に合流させられる上に、『夜更かしすることを選んだPCがいる』ことで、物語に深みを加えることができます。
ポイントは『なんか不思議な力で寝ました』と強引に本筋に戻すのではなく、素直に寝ることを選ばなかったことによる"世界の変化"をPCに手に入れてもらってから寝てもらう点です。

"PCの行動によって世界が変化し、変化した世界をPLに伝え、伝えられた描写を元にPLはPCを操作する"という一連の流れ。これはTRPGどころではなく、FPSや格闘、シミュレーション、パズルなどなど、全てのゲームの基本です。
夜更かしして情報を入手し、ペナルティを負ったPLが、今後どうするのか考えるというところこそが、最高にゲームしてるんです。
本筋ではないと分かっていながら、わざと外れようとする捻くれたRPまでカバーする必要はありませんが、シナリオでPCたちがどう行動するのか想定しまくり、想定から外れる可能性のある箇所はルートを用意しておきましょう。エンディングが分岐するほどの広大なルート分岐を用意する必要はありません。描写を工夫して、本筋に戻りたくなるように世界が変化したことをPLに伝えれば本筋に戻ってくれるかもしれないです。勿論、本筋から外れていることによるペナルティだけじゃなく、必ずご褒美も用意してください。
そして、逆にちょっとした分岐に見せかけて、とてつもなく壮大な別分岐ルートに突入させても面白いかもしれません。

重要なのは、PCに選択肢があるのなら、どれを選んでも面白くなるように設定しましょう。やり直しの出来ないTRPGシナリオの場合、ハズレの選択肢をあえて用意する意味はありません。一度きりのシナリオ体験で、つまらない思いをしてもらうように設定する意味が無いということです。

本筋から外れたことによるペナルティだけ用意してあったり、本筋から外れたらそのままバッドエンド行きだったりするシナリオがあるらしいですが、わざと本筋から外れようとするPLへの対抗処置として罰するためのルートまでシナリオに書く必要はありません。

選択肢の可能性がある所にルートを用意して、それ以外の箇所はGMになんとかしてもらうのがTRPGという遊びのメリットです。更にちょっとした分岐用に書いたシーンや報酬、ペナルティもまた、GMがアドリブをする上で参考になります。想定外の行動宣言があった場合でも、それを何とかするGMのために舞台設定や人物設定をたくさん書いておきましょう。
わざとやってるPLをセッションから退出させるのもGMですし、悩みに悩んで本筋に行けないPCに寄り添うのもGMですし、シナリオの本筋に戻れなさすぎて途中のシーンからロードしてやり直そうかとPLに伝えるのもGMです。"GMのために"シナリオを書きましょう。

最後NPCに味方してほしいのに味方してくれない問題

『シナリオ序盤から登場したNPCが、クライマックスで「助けてほしい」と天使のように微笑んでいるけど、手に入れた情報的にはこのNPCちょっと怪しいぜ』という時、クライマックスのシーンで心の底からNPCを信用出来ない状況では選択肢が発生します。
助けるか助けないか、どちらを選ぶのかはシナリオを経験してきたPLやPCによって分かれることでしょう。
上記の様なシーンで、『助けなかった場合バッドエンドだから助けるルートに全員行って欲しいんだけど、助けない人が何人かいるから、シナリオ強度が弱くて……』と嘆くのは、そもそも話が違います。

まず、ピンチのNPCを格好良く救うPCという演出が性癖だから救って欲しいということなら、そもそもシナリオ作者とPLの性癖は別にある可能性があることと、救ってあげたいNPCとしての描写が不足していたり矛盾しているだけで、シナリオ強度の問題ではないということです。

必ず助けてあげたいNPCというものは、かなり難しいです。どんなに健気でも、どんなにピンチを救ってくれても、ちょっとでも怪しかったらアウトです。
逆に、危険な人ほど直前まで善人を装うものですし、物語としてもそっちの方が美味しいしサプライズにもなるから、完全なる善人も怪しいです。
普段から悪っぽく振る舞ってるけど、交通事故に遭いそうになった猫を助けてた不良だけが信用出来ます。これはセーブ・ザ・キャットの法則というものです。
信用して欲しいNPCがいる場合、PCを助けるだけではなく、猫を助けるシーンが必要です。
逆に言えば、真の悪役は猫を助けないどころか道路に向かって蹴飛ばします。

『そんなの表現の自由からかけ離れている』とか『動物がひどい目に遭う描写は地雷です』とか不満は分かりますしが当然なんですが、要するにセーブ・ザ・キャットの法則ぐらい分かりやすい描写がないと、そのキャラクターを信用出来るかどうか決められません。
そのため、NPCを100%助けてほしいシナリオを描くのであれば、ただの猫好きでは不十分であり、猫を助ける代わりに大怪我ぐらいしてないといけないし、しかも猫を助けるシーンはPCたちが偶然目にしていないといけません。目の前で猫が交通事故に遭いそうになっていて、それを助けるNPCはちょっとヤラセ感というかセーブ・ザ・キャット過ぎて逆に怪しいです
動物への酷い描写がNGだったら物でも良いです。物に八つ当たりする人はちょっとだけ信用ならないし、物持ち良くて、大事な物をいつまでも大切に扱っている人はちょっと信用出来ます。

ですが、NPC全員どう頑張って描写しようと結局はちょっと怪しいです。信用という点から見て、NPCに関わる選択肢に100%はありませんので、助ける助けないどちらを選んでも最高のエンディングになるようにシナリオを構成するべきでしょう。探索者や共鳴者や冒険者といったPCたちは、積極的に問題に首を突っ込むべきではあるんですが、シナリオとして導線を怠ってもPLの善意でシナリオの本筋を空気読んで辿ってくれるだろうという慢心はいけません。秘匿指示で強制的に選ばせる手段もありますが、それは選択肢とは言いません。
TRPGにおける選択肢の基本は、どちらを選んでも面白くなるようにすることです。片方がバッドエンドという選択肢が発生するTRPGシナリオはそもそもシナリオ強度の問題ではありません。応用として、選択肢の片方に比重を傾けることはありますし、リソースというゲーム的な都合を加味することで選択肢というものは超難しいゲームプランテクニックまたはゲームデザインテクニックだと言えるのですが、選択肢やリソース管理については別の記事に考察してありますので、そちらもご覧ください。

話を戻して、片方の選択肢を必ず選んで欲しい場合についてです。これはシナリオ強度の問題ではなく、選択肢を選ぶゲームであるTRPGに対する挑戦とも言えますが、とてもシンプルでスマートな解決方法は、選択肢の片方がシナリオの本筋から外れてバッドエンドになることを告げることです。その上で、バッドエンドを選ぶのはPLの自由ということになります。その後、バッドエンドを選んだPLがどういう感想を抱くかは想像通りですが、ここでバッドエンドを選ぶ人はあなたのシナリオをもう二度と遊ばないので問題ありません。これは、ルーニー的選択をするPLをふるいにかける場合にも用いられることでしょう。推奨はしませんが、自分の好みに合う人が残ってくれるという点では正しくふるいにかけることになるでしょう。
シナリオは必ずしも大衆向けである必要もないので、割り切りも有りかもしれません。

テーマやコンセプトが破壊されないなら、あとは野となれ山となれ

シナリオに強度を持たせるというのであれば、シナリオの外側と根幹で強度や柔軟性を変更してみる考え方もありだと思います。
テーマやコンセプトといったシナリオの根幹部分だけ硬くしておけば、上辺は爆破されて木っ端微塵になっても大丈夫かもしれないという考え方です。

例えば、とある村がゴブリンに襲われているから助けてほしいという依頼を受けるところからシナリオがスタートしたとして、真摯に依頼を遂行するPCもいれば、依頼料金に上乗せしようと交渉するPCもいれば、ゴブリンの巣で金目の物を片っ端から強奪するPCもいれば、何なら村だって根こそぎ強盗してやるぜというPCもいるかもしれません。
そんな十人十色なPCたちが想定されますが、シナリオのコンセプトが『ゴブリンに襲われている村の行く末をPCが決められる』というのをコンセプトにしている場合、村や村人やゴブリンたちがどうなろうがシナリオコンセプト的には大成功という事になります。
非人道的な行いも出来るのがゲームの世界である以上、そのように遊ぶGMとPLも、このシナリオコンセプトを十分に楽しむことが出来るはずです。
ということはつまり、上辺の部分、この例で行けば舞台となる村やゴブリンの住処、人物である村の人々やゴブリンたちはシナリオ強度的にどうなろうと問題無いわけです。どうなっても良いということは、あえて悪人の村人を用意したり、善のゴブリンを用意したりしても問題がなくなるわけですし、舞台設定や人物設定にかなり幅を持たせてもシナリオに大きな問題が発生し辛いというメリットもあります。デメリットは、映画や小説のような重厚なストーリー展開にしようとすると、外側にもシナリオ強度が必要になって難しいという点です。
例えば、ゴブリンを倒したところで悪逆非道な山賊がやってきてPCたちと対峙するイベントがあったとしても、PCたちのRPによって山賊たちの振る舞いを変更できるため、アドリブ的にもやりやすいコンセプトです。
山賊と肩を組んで一緒に強盗しようが、山賊から村人を守るために奮闘しようが、山賊も村人も全員叩き切ろうが、『ゴブリンに襲われている村の行く末をPCが決められる』というコンセプトのシナリオであれば問題ありません。

ですが、例えばこのシナリオのコンセプトが『ゴブリンから村を救うために一人立ち上がった少年とPCたちの物語』だというなら話はガラリと変わってきます。村の少年は、当たり前ですが村で強盗しようとするPCを許さないでしょうし、少年なので複数のPCでボコボコにされると死んでしまうかもしれません。そうなると、シナリオコンセプトが破壊され、全く機能しなくなり、少年とPCたちとの想定される会話シーンはカットされ、想定される村の人々との交流シーンもカットされ、勇気を出してゴブリンに立ち向かう少年のシーンもカットされ、シナリオのコンセプトをPLに余すことなく提供出来たとは言い難い展開になります。
勿論、シナリオコンセプトを理解した上であえて少年をボコボコにするPLたちは置いといて、コンセプトを知らない状態でキャラクターを制作しようとした時、盗賊寄りのキャラクターを作ってしまったことで事故が発生するかもしれません。これはテーマやコンセプトに対してシナリオ強度的な対策が出来なかったときに起こりえる問題です。

シナリオ強度にも限界がある

シナリオの強度というものはテーマとコンセプトさえ守ることができれば良い場合と、テーマとコンセプトだけではなく舞台や人物も守らないといけない場合があり、それぞれ必要なシナリオ強度に大きな違いが発生します。
そして、それは時にTRPGシナリオとして無理な強度が必要なテーマやコンセプトでシナリオを作ろうとしている可能性があることを示唆しています。
どんなテーマでもどんなコンセプトでもTRPGシナリオを書くことは出来るとは思います。ですが、シナリオ強度という点においては、テーマやコンセプト次第では諦めが必要で、できる限り舞台設定や人物設定を詳細に決めておくことで、GMのアドリブ力にシナリオ強度をある程度任せないといけないテーマやコンセプトもあることでしょう。
一番シンプルな解決策は、PLたちに事前にコンセプトを伝えておくことです。

コンシューマーのRPGでも、テーマやコンセプトに対して主人公や仲間NPCの行動を無理矢理合わせようとして、ストーリーが変になってしまって叩かれているRPGが存在します。これはシナリオ強度的にゲームで取り扱えないテーマやコンセプトだったせいで、無理矢理テーマやコンセプトに沿うように展開を修正し続けるキャラクター達に対して、遊んでいるプレイヤーが違和感を覚えるからです。「今のキャラクターの行動おかしくないか?」と思ったら、どんどん違和感に溢れていく感じです。ゲームだけではなく、漫画やアニメ、小説でも発生する問題ですよね。
面白いゲームデザインとして、『はいといいえの選択肢は出てくるけど、いいえを選んでも意味がない』選択肢がたまにゲームに出てきますが、あれはゲームであることを逆手に取ったシナリオコンセプトの提示であるとも言えます。TRPGで真似しても良いですが、シリアスな場面では気が抜けちゃうかもしれません。世界の半分をやるから仲間になれという有名なシーンは、ゲームカセットの容量の都合でもあったらしいですが、TRPGシナリオは容量などなく、容量を理由に片方の選択肢を用意しないことは出来ません。用意しないならしないなりに、GMへのフォローが必要でしょう。

シナリオの文書だけでシナリオ強度を確保するのは限界があるということが分かれば、シナリオ強度を無限に追い求める前に、テーマとコンセプトを見直したり、逆にシナリオ強度を高めることを止めることが出来たりするはずです。
TRPGの良い所は、GMがいることです。ある程度ならGMがアドリブで修正できますし、全てのPCたちが絶対に想定外の行動をし続けるわけではありません。シナリオ強度のバランスを見て、これ以上の強度は不要だと判断出来たら切り上げましょう。テーマやコンセプトが伝わっていれば、GMだけじゃなく、PLもシナリオの空気を読んで、それに向かってRPしてくれます。そうなれば、多少の強度不足があろうとも、シナリオに変な力が加わることもなくなることでしょう。

まとめ

シナリオ強度という言葉には、色々な問題が含まれているかもしれないという話でした。

重要なのはテーマとコンセプトです。ここが破壊されなければ、逆に他は破壊されても良いという考え方もあるはずです。

そして、テーマやコンセプトによっては、シナリオ強度を高めても守りきれない場合があります。そのため、テーマやコンセプトに沿った強度になった後は、実際にそのシナリオを回すGMのアドリブのために舞台設定、人物設定を詰めておくことが大事かもしれませんし、その場でアドリブによる調整がしやすいように遊びの部分を残しておく方がアドリブしやすいかもしれません。
シナリオのテーマやコンセプトも出来る限り伝えておくことで、PLも空気を読みやすくなるはずです。

そして最後に、シナリオが破壊されようと、とんでもない方法でシナリオ内の問題を解決して遊ぶ人たちがいます。
ゴブリンに襲われる村の例で言えば、『自分は公爵だから正規軍を動員して、騎兵軍団でゴブリンを轢き殺します』といったような遊び方です。これはこれでお酒を飲みながら『じゃあゴブリン軍団も応援を要請して魔界から魔族を召喚し始めます』みたいなGMの応酬により、とんでもないシナリオ改変とアドリブで対抗するような遊び方もあります。気の合う仲間同士であえてシナリオを破壊するような遊び方にまで、目くじらを立てて『このルーニーどもが』とか『シナリオ強度が』とか喧嘩する必要はなく、TRPGは自由な遊びであることを思い出してください。プレイスタイルに合わせて棲み分けしたり、ドレスコードを設けたりして、色々なプレイスタイルでシナリオを周回したり、RTAしたりしても良いのがTRPGの自由な所です。

この記事が誰かの執筆の手助けになれば幸いです。

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