悪い遊び

高校生はザンコクだ。

いやいや、高校生だった頃の私たちがザンコクだったのだ。括り方を間違えてはいけない。

一子は一見して肌が他の子とは違っていた。そのせいで大多数の生徒から好奇の目でみられることが多く、明らかに彼女はそれを気にしていた。想像だが、彼女の人生、これが理由で性格的にも明るさを欠いてしまったのではないだろうか。

夏が近いある日、私はある法則に気がついた。一子が湯船に浸かるとほとんどの子が風呂からあがってゆくのだ。 風呂なぞ混んでるより空いてる方がいいに決まってる。私は喜んでいたが隣の一子は怖い顔をしていた。

次の日も、またその次の日も同じだった。 一子が入ると風呂がすく。観察してみると、一子と一緒に浸かるのは同じグループの先輩と私たちだけだったのだ。
仮定はあったが、念のため数名の同級生に理由を質した。“うつると嫌だから”とか“お湯が汚れるから”と教えてくれた。

んなわきゃないだろ!って心の中で突っ込んだ。でも、それは答えてくれた子たちには言わなかったと思う。 細かいことだけど、こんなことでこっちから線引きしていると後々ヒドイ目にあう可能性があるからだ。

ただでさえ多感な高校生で人生初の寮生活一学期、一年生はだれもがどこか精神的な平衡を欠いている時期ではあった。
夜、目覚めると同級生の晶が布団の中で泣いていたことも一度ではない。か細い声で“オカアサン”なんて言ってたかもしれない。
私なんかは心のスイッチを半分くらい切ることで凌いでいたのではないか。

私は、大丈夫かな~なんて、顔色がどんどん悪くなっていく一子をぼんやり眺めていた。切迫感などまるでなく。

そんな日々が続いていたある日、いつもは賑やかな愛弓が、見て欲しいものがあると神妙な面持ちで私のもとへやってきた。それも教室では見せられない、掃除時間に図書館でこっそり見せるというのだ。

秘密の共有のパートナーに選ばれた私は、単純にウキウキしていた。秘密の暗い匂いを嗅ぎとっても、そこのところを真剣に突き詰めるには歴が浅かった。なにせ、入学して知り合ってから2・3ヶ月ほどで、いい感じの女子から特別扱いされているのだから。

…いや、これは、これから私たちが行う悪い遊びの言い訳でしかない。始めは真面目に考えていたのにどうしてあんなことになったんだろう。それも知りたい。

はやる気持ちをいなしつつ掃除のチェックを古文の長谷川先生にしてもらうと、はたして愛弓は一冊のノートを私に差し出した。 表紙には一子の名前。それは一子の自習ノートだった。私がペラペラめくると、几帳面な一子らしい小さな文字が窮屈そうに並んでいるばかりだった。この中に秘密が隠されていると言うのか、私は見つけられるのか。。。
丁寧に一枚一枚めくってみたが、それらしいものは見当たらない。


怪訝な顔で愛弓をみると、愛弓はノートを私から奪うようにとり、じれったそうに逆さまからバラバラと繰り始めたーー

!!
初めての衝撃に、かみのけが逆立ったような気がした。 言っとくけど、私はまだ初な高校一年生で、イジメなんて言葉がまだ存在しない世界の住人だったんだ。 友達が書いた無数の“死”という文字の羅列が、最初は何かのパターンに見えてしまうくらいに。

私「なに、これ。。。」

愛弓「ヤバいやろ。一子、相当参ってんな、わかっとったけど。 どうしたらええんやろ、これ。」

“死にたい”と、はじめ罫線に納まった一子の丸い文字はどんどん乱れて、枠を、ノートをはみ出して右斜め下まで続いていた。
次のページ、また、その次のページも。

私は生まれて初めて、友達が“死にたい”、とか“死”と書いたナマの文字を目のあたりにした。

目から入った情報は処理しきれずに耳の穴からも流れでて、もしかしたら鼻からも出て、瞳孔には死の一文字が張り付いていたんじゃないか。

その後、愛弓と二人どうしたらいいのか真剣に話し合った。何日も考えたかったけど、手遅れになるとまずい。先輩たちにも相談しようかと思ったけど、いろいろ面倒なことになる公算が高いので却下した。他の同級生は一子に冷たかったから論外だったし、先生にいうのも事が大きくなるのと、事件にしてしまうのが恐ろしくやめることにした。

結局、互いしか協力者はなく、八方ふさがり、明らかに私たちのキャパをオーバーした事案であった。

それでも私たちは、

一子により優しく接すること
悩みはないかと二人で聞くこと
を決めた。

しかし、果たして、これだけで良いのか?
知恵の浅い私たちに誰か信用のおける大人から助言は貰えないだろうか。

当時コバルト文庫という、今で言うとラノベのような文庫があった。
たまたま愛弓と私は、“◯と◯◯が◯る◯”という作品を著した作家さんのことを敬愛していたのだ。

周囲に相談できる大人がいない中、私たちはその作家先生に手紙で相談することにしたのだ。

ここのあたりからおかしくなっていった。

私たちは先生に読んでもらうため、どんなレターセットがよいか、どんな文章にするかなど本編を忘れて夢中になってしまった。
そう、苦しむ一子をダシにしてしまったのだ。
わざわざ一子のノートのコピーを添付して講談社だかにファンレターとして送付した。
そのころには、私も愛弓も半笑いだった。友達が死ぬほど苦しんでいるのに。

悪い遊びだ。

約一年後、作家さんから速達で返事がやってきた。

◯◯先生、あの最悪な手紙に真心のこもったお返事をありがとうございました。そしてあんなイヤなお手紙を送ってしまい、本当にすみませんでした。

あのあと私たちの努力のかいもあり? 一子は危機を脱っし、彼女らしく笑うようになっていった。
風呂問題にいたっては季節が秋口に向かうと自然と解消した。単純なもんだ。

一学期が終わる頃、わたしたちはまだぎこちなくではあるけれど、誰もがらしい笑顔を見せられるようになっていた。
寝食を共にするとはすごい勢いで人との距離を縮める。そしてGWの帰省を乗り越えたサバイバーたち、共に戦っていく戦友たちがそろったのだった。

、、、落伍者がいない、とは言えないんだけど。

本当のところ、一年生一学期はいろんなことがありすぎて消化不良を起こしている。
実際、感情の半分くらいしか稼働してない私は、私のことでいっぱいいっぱいだったから。学校を辞めていく子たちがどんな子だったのかもよくわかっていなかったし、今もわかってない。

一子はその後、彼女なりに高校生活を過ごしていた。内実なんて彼女にしかわからないから、多分私が彼女について書くのはこれでおしまい。

ごめんね。一子、優しいふりして、私たち最低だった。
これを読んだら卒業アルバムの連絡先に電話をちょうだい。ね。

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