見出し画像

元旦礼拝メッセージ 詩編121:1~8 日本キリスト教団川之江教会 2025/1/1

 詩編121編は、都に上る歌という表題が付けられています。都エルサレムへ巡礼の旅をしたときの歌だと言われています。けれどもこの旅は、私たちの人生の旅と読むこともできます。その目的地は神の国、それは死を意味するだけではなく、この地上に実現する御心が成った世界です。私たちは、御心が実現した国・世界をめざして人生の旅を歩んでいます。
 その旅は、常に順風満帆とは行きません。ときに健康に不安を覚え、ときに災いに襲われます。そんなとき私たちは、神さまに助けを求めます。詩人は神様がおられる山々を仰いで、私の助けは天地を造られた主のもとから来ると、神様への信頼を歌います。ただいかんせん山々は目を上げて仰ぐほど遠くに感じられ、助けを実感することがなかなかできません。信頼は揺らがなくても、不安にもなるのです。
 ただこの旅は一人旅ではありません。何人かで共にする旅です。詩人を<あなた>と呼ぶ同伴者がいます。思いを寄せ合い、支え合う同伴者がいるのです。同伴者は詩人の不安に寄り添い、詩人の祈りを神様に執り成しつつ詩人を励まします。キーワードは<見守>りです。
 同伴者は詩人を見守ってくださるよう、神様に執り成します<足がよろめかないよう・・見守ってくださるように>、<災いを遠ざけて>見守ってくださるように、<あなたの魂を見守ってくださるように>。一方で不安になる詩人には、このように励まします<見守る方はまどろむことなく、眠ることもない>、<あなたを覆う陰、あなたの右にいます方>だと。
 当時のパレスチナの旅は過酷でした。エアコン付きの乗り物で快適に移動する旅ではもちろんありません。太陽が照り付ける昼間は、去年の酷暑の夏を思い浮かべてみてください。そして夜は、昼間との寒暖差が激しいのです。昼間の暑さも夜の冷え込みも、命の危険を覚えるほどなのです。人生の旅も同じようなことが起こります。たとえば太陽のように本来は私たちを温かく包み生きるための活力を与えてくれるものも、あるいは月夜のように私たちに安らぎと休息を与えてくれるものも、ときとして過激になり、あるいは私たちの側が不調となったゆえに災いになってしまうことがあります。神様は目を上げて仰ぐほどに遠くではなく私たちのすぐ右におられ、陰となって私たちを灼熱の太陽から守り、私たちを覆って月夜の冷え込みから守ってくださっているというのです。
 詩編121編は困難の多い人生の旅路で、私に助けをもたらす主なる神様を信頼すべきことを教えています。それと同時にこの詩は私と旅路を共にして、私の助けを神様に執り成し私を励ましてくれる同伴者がいることをも教えています。私たちの旅路は、孤独な一人旅ではありません。同伴者がいるから、ときに神さまを遠くに感じて不安になっても神様を信頼して歩み続けることができるのです。
 今日から始まる新しい年、私を見守ってくださる神様を信頼するとともに、人生の旅路を共にする同伴者をも信頼して歩みたいと思います。そしてまた私自身も隣人の同伴者となって、思いを寄せ合い支え合う旅を進めていきたいと思います。

いいなと思ったら応援しよう!

広瀬満和
イエス・キリストの福音をより広くお伝えする教会の働きをお支え下さい。よろしくお願いいたします。