Eランク大学出身の友人の話
Eランク大学出身の友人がいる。Eランク大学というのは、Fランク大学の一歩手前の大学のこと。入学のためにそんなに学力が必要ではないような大学のこと。
彼もその大学には、推薦入試で入った。ペーパーの学力試験は受けていない。
僕は大学入学後の彼しか知らない。僕の知る彼は、はっきり頭がいい。回転が速く、要領がいい。「速いけど軽い」みたいなタイプでもなく、深さ・広さ・重さもある。
かなりの読書家で、話題の新書も、定番の人文系古典も、ドストエフスキーもガルシア=マルケスも抑えている。正直ちょっと引く。それくらいカバーしてる人は京大文系でも20人に1人くらいだろうか。普通、なんだかんだ偏る。
事務作業や書類の処理なんかも得意で、いわゆる「仕事ができる」タイプでもある。人当たりもよく、コミュニケーションも得意。目立ったアラもムラもない。はっきり「全部できる人」というタイプだ。
失礼ながら、「なんでその大学に行ったんだろう」とぼんやり思っていた。彼自身も、よくヘラヘラしながら自分の大学を自虐していた。
あるとき彼が言っていた。
「えらい遅いもんで、大学入ってから勉強するの好きになったんよ、うちの大学で成績良い奴が一番アホやのになぁ。なんで遊ばんねん。遊ぶ大学やのに。でも、勉強おもろいしなぁ」
僕は目を丸くした。本当に新鮮だった。僕の通った大学は、入学までに勉強しまくって、入学してから半分近くはじわじわと力尽きていく、それでなくとも、多くの人がいったん勉強のギアを落ち着かせるようなところだった。
「大学入ってから勉強するの好きになる」という言葉は、あまりにも新鮮だった。「うちの大学で成績良い奴が一番アホ」という捻くれた自嘲を交えながら、彼は少し楽しそうだった。
僕は反省した。僕が彼について「なんでその大学に行ったんだろう」と思ってしまったのは、「大学とは入るまでに勉強しまくって、ある程度仕上げてから行くところ」という先入観を持っていたからだった。彼は大学に入ってから伸びたタイプだったのだ。
彼はその後、その大学を首席で卒業した。今は就職しているが、勉強する習慣は続いているらしい。きっと僕なんかよりずっと勉強している。
彼みたいな友人がいるから、「偏差値の低い大学には行く意味がない」みたいな言葉を聞くとどうなんだろうな、と思う。
彼は特殊な例かもしれない。というか、たぶん特殊な例なんだろう。でもどっちみち、ある人から見て要らなそうなものが、誰かにとって必要な資源だったりするわけで。一概にどうこう言えるもんでもないよな。
勉強なんてしてもしなくても生きていける。それは絶対にそうだ。めちゃくちゃ勉強した僕があんまり生きていけそうにないんだから間違いない。両者にたいした関係はない。
ただ、人生の何処かのタイミングで学びの機会を得たり、学ぶの楽しいなって思うきっかけがあったらよいよね。世界が開ける感じは気持ちいい。
学びへの窓みたいなものはいっぱいあった方がよいと思う。自分も誰かにとって、それになれてたりしないかな。