自分をさらけ出すこと

昔サークルの先輩に、そんなに自分のことをさらけ出して大丈夫なの?と言われたことがある。

賢い人は、深い考えだとか思想だとかをそんなに公に話さない、みたいなニュアンスのことを言われたと思う。

別に私はその先輩のこと好きだったし、引退してからもご飯とか行くほどだったから仲良かったと思う。だから、多分それはそれで未熟な後輩を思っての貴重な一意見であり、その先輩の考え方なのだろうと思ってありがたく聞いていた。

"自分をさらけ出す"なんていよいよ恥ずかしいタイトルだけど、実のところ自分についてまだそんなにハッキリとは掴めていない。

就活の自己分析とか言うやつ。あれ、割と大変だった。自分がどういう人間で、本当は何がしたいのか。突き詰めていくと、辛くもあるし。
(でもまぁ、そんなもんだよねきっと。)

そう思う/どちらかと言えばそう思う/どちらかと言えばそうは思わない/全く思わない。みたいな4択だか5択だかの選択肢を選ぶやつも、最初は多分ブレッブレだったし、それでインターンとか何社か落とされたかもしれない。
もう最後の方はあーこの質問ね、私はこっちを選ぶのだ!て半ば暗記みたいにして答えていたし、あんな病院の初診アンケートみたいなもので人間測るのはどうかと思っていた。

(まぁあれは、実験的に傾向がみられることは検証されているみたいだし(?)知らんけど。初診アンケート、大事じゃん!とか手早く正確に図り知るのに便利なツールなのは一緒!だとか尤もらしい意見は、今回そこは目を瞑ってほしい、単なる例だから。(めちゃくちゃ予防線))
これについて掘り出すと、深そうだから今回はひとつだけ。

いつも選んでいるこっち、私はきっとそういう人間なのだと思う、という私が陥っていたケースについて。いや、陥っていたというマイナスな書き方してると、やはり就活に於いてはそうして自分を知っていくしかないのだから仕方ないしとも思う、アンビバレンス。
もっと幼い頃から植え付けられてきた、性別、血液型、兄弟姉妹のポジション等による性格のイメージも似たようなことが言える気がする。

例えば自分はAB型なのだが、AB型というと天才肌だとか裏表があるだとかそう言うようなイメージ。小学生の頃は、それをきいて天才肌!とAB型っぽいと言われることに喜びさえ覚えていたし、確かに自分は裏表もあるかも、そういう性格なんだ。て、結構信じてた。
実際周りの友達も、A型の子は真面目な子が多くて、O型の子は大ざっぱというかおおらかな子が多かったような気がする。

人の性格には、先天的なものと後天的(環境要因)なものがあって、後者の方にそれは確かに働くのかもしれない。

でもまぁ天才にはなりたくてもなれなかったし、裏表に関してはどうだろう…正直そんなにない気がする。

人というものは、優しい、短気、几帳面、大ざっぱなどとそういう細かい特徴の積み重ねで出来ている、それも確かだと思う。だからそういう傾向、クセみたいなのを分析することで見えてくるものも大いにあるとは思う。

で、結局何が言いたいんだコイツ、というと。

そういうプロフィールみたいな属性だとか、いくらでも飾れるインスタの写真だとかそういうものではなく。
例えば、先日のニュースについてどう思ったかだとか、好きなものに対する強い思いだとか、人生への拘りだとか、人のそういう部分に私はとても興味がある。

だから自分についてもまた、話したくなるのかもしれない。

こうして140字に収まりきらない取り留めのない文章を、友人、先輩、後輩、あらゆる知人に見られている、かもしれない、というシュレディンガーの猫的な感じで存在させておく。

末筆ながら、皆のこういうちょっと長めの文章なんかも読んでみないなぁ、なんて希望を添えて。

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