アタシ氏、絶対神に混乱する
キリスト教に関するYoutubeクリップもいっぱいある。キリスト教とは何かを解説するもの。キリスト教徒について解説するもの。キリスト教の成り立ちを解説するもの。探せばもっともっとあるだろう。日本にキリストが来たって説もあったよね。きっとそれについての解説もどっかにあるだろう。
アタシは子供の頃から日曜学校に行かされてたし、別に疑問ももってなかった。中学高校はカトリックの学校に行ってたから、キリスト教に影響されてるとこは非常に多い。けど、子供の頃からずっと混乱もしてる。
子供心にまず混乱したのは、イエス様ってのはユダヤ人なんだよね。でも肖像画は完全に欧米人なんだよ。ユダヤ人って確かに大人になってみるといわゆる「白人」で、ロスチャイルドとかアインシュタインとかザッカーバーグとか、完全に白人の見た目なんだけど、あれ?ユダヤ人ってパレスチナにいるよね?ってことは人種としては欧米人よりアラブ人に近いんじゃないの?出エジプト記とかあって、なんか昔っから苦労してたのはわかるんだけど、どう考えてもフランスとかイギリスとかとかよりアラブ人に近いとしか思えないんだけど?そのわりに、イエスさまの絵って、金髪碧眼でこそないけど、欧州人じゃない?え?おかしくない?どういうこと?え?
で、よくわかんないけど、旧約聖書や新約聖書のお話の中で描かれるユダヤ人の風俗(イエスが訪れる街とか荒野とかで発生する出来事とか風景とか服装とか職業とかユダヤ教の寺院とか)は子供心にもどう考えても欧州じゃなくて中東なんだよ、でもイエス様ってのは欧米の神様なんだね、というよくわからない中で、アタシは無理やり納得力を発揮するしかなかった。
そういう子供の頃の素直な混乱ってずっと忘れてたんだけど、Youtubeをみてるとちゃんと誰かが解説してくれてて、新約聖書とかキリストの肖像とかは長い時間をかけて整備されてったもので、キリストの肖像は何もイエスを模写したものではないことがハッキリとわかっている、と教えてくれる。BBCが「当時のユダヤ人の見た目」を考慮して描いたキリスト図は、ちゃんと中東っぽい見た目になってる。そういえばキリストの遺体を包んだ亜麻布に遺影が残ったとされる聖骸布なるものがあり、近年それは95%ホンモノだとされたらしいが、ホンモノってなんだ。キリストの遺骸布だと証明されたってわけじゃなくて、2千数十年前に誰かの遺体を包んだ布だということがわかったってイミだと思う。でも遺骸布が「キリストの遺体を包んだ」ホンモノだったとしても、そこから「白人(風)の姿がホンモノ」が成立するわけじゃない。
当時の常識からすると、短髪で髭をそっているのが一般的な男性の姿だったらしく、キリストもそうだったのでは、という説がある一方、イエスは放浪してたからコマメに髪や髭を整えることはできず、髭も髪も伸ばしてたって説もあるらしい。このYoutube動画を見ていたアタシの脳裏に浮かんだイヤな考えは「伸びた髪、伸びた髭の『聖職者』といえば麻原尊師。旅をしていて髪や髭を整える余裕がないといえばもしやお風呂も?もしやイエス様も尊師ばりの不潔感あふれた男?」だったよ。ヤダよヤダよ。アタシは、「亡くなった方はその時点ですでに成仏しているのです」と説く浄土真宗に憧れながらもキリスト教を捨てきれずにいる中途半端な人間なので、キリストの見た目が尊師と同類なんてゼッタイゼッタイゼッタイイヤだ、受け入れられないよ!
動画で紹介されていた中東風キリストのイラストは、ヒゲモジャだけど清潔感はあったので、その絵を史実として受け入れることにしとこう。
キリスト教信者は世界で24億で人口の32%、カトリックは13億。一方、日本のキリスト教徒は人口の2%に届かないそうだ。八百万の神々がいて、そこらへんの石ころにも神が宿ると考える日本の宗教観に、絶対神という概念が受け入れ辛いのではないかというのがアタシ個人の見解だ。結果、初詣に行き、法事に参列し、クリスマスを祝い、無宗教を主張するアタシたちが存在する。だが、キリスト教圏、ユダヤ教圏、イスラム教圏の無宗教ち日本人の無宗教は意味合いがまったく違う。絶対神を前提とした文化の中で生まれ育った彼らが無宗教になるためには、明確に自分の中で神を殺さなければならないからだ。神を殺した無神論者がクリスマスだけを祝うなんてないはずだ。
「汝の隣人を愛せよ。敵を愛せよ。」博愛に聞こえるフレーズも、それと同じ文脈にある。そのときの隣人や敵はたとえばキリスト教徒であることが前提のようだ。イスラムだのユダヤだのは隣に住んでても隣人じゃないのだ。これはね、日本人の子供にはうまく理解できんかった。
ジョン・レノンのイマジンを初めて聴いた時、アタシはマジで泣いたよ。宗教も天国も地獄もないって思えれば、そのとき初めて、「隣人」は隣に住んでる人になり、「隣人を愛せよ」「敵を愛せよ」は「みんなで仲良くしてみんなで幸せになろう」になるんだよ。平和になるためには今まで信じてたことを全部捨てなきゃいけないんだ。全部捨てれば幸せになれるんだ。
ん?天国?そう、天国ってのも混乱のもとなんだよ。アタシが理解しているキリスト教では、最後の審判のときに、生前の行いや信心に基づいて、善か悪か、神にジャッジされて、天国にいくか、永遠に業火に焼かれ続けるかが決まるんだよ。んで、その日まではみんな死んだ状態で審判を待ってるの。いわば気絶してんの。でもさ、カトリックって聖人を決めるよね?マザーテレサが、異例の早さで聖人に指定されたのは有名な話だよね。え、いったいどういうこと?死んだら審判待ってんじゃなかったの?バチカンが聖人を決める権限あるってどういうこと?教皇さまが神の代理人として聖人認定できるんだとしたら、教皇は神と一体ってことにならない?三位一体って、父と子と聖霊の3つが一体となって全部神って意味だよね?教皇が神の代理人なら四位一体で教皇も神なんじゃね?え、よくわかんないよ。アタシは混乱する。
Youtubeでは、ザビエルは日本人に「信じれば救ってくれるのはわかった。じゃ、オイラの祖先は救ってくれんのかい?え、救ってくれないって?そいつぁえらく無能な神さんだな!」と言われて泣きながら国に帰った、なんて解説もある。なかなかおもしろい解説だ。
世界34億のキリスト教徒に激怒されちゃいそうだが、キリスト教を理解しようとすると混乱すること、ホントに多い。神様と向き合うのに、マリアさまにとりなしてもらうとか、教皇さまとか神父さまとか、導士とかって必要なんだっけ?とかも思う。マリアさまって、処女懐妊して、罪を犯さずに神の子イエズスを産んだとしても、マリアさまを崇拝するのって、三位一体の神が唯一神だとしたら正しくないんじゃ?なんか不敬なこと言ってる自覚はあるよ、でも、聖書の教えに真剣に従うとしたら、マリアさまのポジションって微妙じゃね?マリア様は神様じゃなくて人間だよね。けど、マリア様のお祈りあるし、マリア様の讃美歌いっぱいあるし、アタシはマリア様にお母さん的思慕がある。けど、マリア様の重要なポイントは、母だけじゃなく処女ってことだ。これも日本人にはわかりにくい。多分だけど、日本人って、性行為を悪だと思ってないよね?不倫はもってのほかだし、婚前交渉への寛容度は世代や家庭によって違いそうだけど、性交に後ろめたさがないのであれば、処女懐妊の重要さは非常に薄れる。
アタシの混乱には、すべて答えが明確にあって、神父さまとか牧師さまだったら簡単に答えてくれることだと思う。考えてみたらアタシだって学生のころはちゃんと聖書も一部だけど読んだし、文献よんだし、宗教家の話も聞いた。勉強してたし、考えてたとも思う。他の人は違うだろうとは思うけど、社会人になって以来、アタシはどんどんバカになっていく一方だ。最近は仕事ですら、気づくと一次情報にあたらずに、二次情報、3次情報を鵜呑みにしてばっかだ。
でもねえ。アタシがどうこうより、やっぱり一神教って日本人からみるとわかりにくいとこ多いよ。ヒンドゥーの国に生まれてキリスト教に改宗する人だったらどう思うんだろか?ユダヤ人やイスラム教徒で、自分の宗教を捨てるひとっているんだろうか?宗教ムズイ。