人喰らう神々のこと VII
一方、神サイドとしては、人類の存在が好ましいものだったらしいことがわかる。美味な果実をなす作物としてではあるが。そして人類は、個体間のコミュニケーション(主に相争い、傷つけ合うこと)を経て、神の望む果実を提供し得る存在であるらしいこともわかる。
ただし、人間どもが必要以上に戮力すること(力を合わせてことに臨むこと)、神の側のシステムに干渉しようとする試みは、決して許さないと考えているらしきことが見て取れる。
そもそも、人々の使用する言語を分かつなど、こんな芸当ができる存在とは何なのか。
前提条件を変えられるのが、創造者というものらしい。世界の設定要素を、自在に改変できる存在、システム管理者としての立場にあるものが、モンローのいう「誰か」なのだ。
創造者にとって、この人間世界とは、シミュレーション装置のようなもの、仮想現実のようなものであるらしい。
モンローが接した情報には、こうあったという。
ルーシュ生育のための「庭」。彼らにとって地球環境とは、箱庭に設けられた農園のようなものなのだ。
結論として
神と呼ばれる創造者は、いわば仮想現実の「庭」を通じて、彼らにとって有益な何かを得られる仕組みをつくり上げた。それが地球環境であり、そこで生育される存在が人類なのだと考えれば、点と点がつながるような気がしないでもない。
我々は何ものなのか、どこから来て、どこへ行こうとしているのか?
ある目的のもとに創造され、育まれ、無知なまま、神々の、利己的で残酷かつ邪悪という以外にない思惑に振り回されながら、それでもなお、強烈な衝動に突き動かされつつ、もがき、あがき、生き続ける存在が、我々ヒトという種族なのだ。(了)