2種類のお金『エンデ法』生活金vs金融金 「重要なポイントはたとえばパン屋でパンを買う購入代金としてのお金と、株式取引で扱われる資本としてのお金は、二つのまったく異なった種類のお金であるという認識です」

(『エンデの遺言 「根源からお金を問うこと」』P3同名本,河邑 厚徳+グループ現代著,NHK出版、発行日:2000年2月25日第1刷発行)「お札に名前は書いていない」と大袈裟に笑う多くの人たちもいますが、そろそろお札に用途を分ける名前をつけて流通させる社会になる方が皆が幸福になれると多くの人が感じていると想います。東京電力福島原発事故の原因は人災だったと言い切る人が増えてきました。その影で報道時間の枠・尺に入りきれず行政処分を受ける、【二度にわたる、みずほ銀行システム・トラブル】で本来、民間企業なら【不渡(ふわたり)】で会社をたたむしか道は無いにも関わらず、甘い処分で見逃される金融機関が起こす社会不安と実質的不利益は、反省と責任を取らないまま。一般人の生活を保護する上でも無駄に何百兆円もの金を国際社会に取られ、責任を棚上げにして結果、税金で補填してもらい国を疲弊させた反省と責任をとらないような大企業、金融機関は、いずれ救いようのない大きな”ツケ”を払うことになるでしょう。過去を振り返れば金融機関が出したとんでもない額の損失がありました。「2003年から現在までの、東証の時価総額の変化をグラフにすると、もっとおそろしくなります。外国製バブルによって、2007年2月26日に記録されたピーク581兆円が、リーマン・ショック後の2008年10月27日には239兆円に減って、340兆円以上が吹き飛びました。大金の多くは、外国人に持ち逃げされたのです。ソロスが言った通り、経済成長はゆっくり始まって次第に加速度をつけて上がってゆくが、暴落は瞬時に起こるのです。株価暴落のたびに、莫大な日本人の金が国際金融マフィアとウォール街に盗まれてきました。」(p226~『資本主義崩壊の首謀者たち』広瀬隆著、集英社刊、2009年4月22日)「上手い話には耳を貸ない」、「簡単に金を儲けられるなんて甘い話に乗るな」と経験者や、金融業界を知る人、親、知人から一般人が金融の勧誘を受けた時にアドヴァイスを受けますが実際は金融業界の関係者が自問自答して国際社会で活き抜くための”戒め”の金言だったのです。「日本人は金融に向いていない」~ジョージ・ソロスの謎だらけの金言~の中の一節。(p203『資本主義崩壊の首謀者たち』広瀬隆著、集英社刊、2009年4月22日)世界的に名高いヘッジファンドの神様といわれ中堅国家やアフリカなどの新興国では、国賓としてアドヴァイスをしている実力者が言うのですからこの言葉に嘘もなければ、日本人の金融業界関係者へのアドヴァイスとして、”戒(いまし)め”の言葉として、真摯に受け止めるべき金言です。金融業界関係者で異論があれば直接ジョージ・ソロスに掛け合っても良いのではないでしょうか。日本人の”ガラパゴス”的島国根性の金融道徳観ではコーカソイドが発達させた”金融システム”で、対等に渡り歩くなど”明治維新”からの”舶来物好み”程度の歴史と経験しかない日本人には到底、理解できるはずもなく、また実質的”金融金”運用を任せるほうが間違いだと理解できます。多少の小銭の”お小遣い”を貰って有頂天になっている間に何十倍もの損失を出してしまうのが日本の金融機関なのです。ジョージ・ソロスが言う「日本人は金融に向いていない」はそれを意味していると理解します。ミヒャエル・エンデが残した”2種類のお金”の意味の重要性が益々増してきました。我々一般人の”庶皆”が米などを買う購入代金のお金の名前を”生活金(せいかつきん)”と名づけ、資本として投資目的でディスプレイに映る実態のない数字を”金融金(きんゆうきん)”と名づけ、エンデが予見していた2種類のお金に名前をつける正しさを広瀬隆が数字で証明してくれました。「全世界に流通する通貨は、2005年時点で5400億ドルですが、帳簿上を流通するドルは、その500倍を超える300兆ドルにも達したと言われてます。一方、人類の生存と生活を続けるための実体経済に必要なのは、そのうちわずか40分の1、つまり2.5%だったのです。」(p164『資本主義崩壊の首謀者たち』広瀬隆著、集英社刊、2009年4月22日)2005年時点を現在の外国為替レート(現在USD1=約¥80計算)で分りやすく比較すると、金融金は300兆ドル=2400兆円(帳簿上は500分の1の5400億ドル=4.8兆円)生活金は7.50兆ドル=60兆円(実体経済額)となります。これを知ればお金に名前を書きたくなり間違っても金融に預けたくはなくなります。(お金があれば)2種類のお金が、最低でも人種を2種類に分ける。一般人の”皆”が生活に必要とするお金は、株式などに投資しなければ暮らせるということです。金持ちがスーパーやコンビニに行っても、買えるものにたいした差はありません。お金を持つものと、お金を生活のために遣う一般人〔皆〕の2人種に分けられます。資本家と労働者、会社によっては高給取りで資本家のように踊らされ振舞う雇用人もいますが、雇用する側とされる側、エンプロイヤー(employer:雇い主)とエンプロイィ(employee:従業員)の2人種です。東京電力の福島原発事故で夏場の電力不足予測から節電を家庭にも求められています。生活を見直し無駄を意識的に見つけ”節約の美徳”、と理解すれば絶好のチャンスとも感じます。かつて賢人が”清貧のすすめ”を説いたように生活を慎ましく質素にすることで得られるものの多さと大きな効果である”長生き”の傾向になることを逆説的に証明しそうです。贅沢をせず節約をすることで生活や人体に対する負荷を減らし健康を得られるということです。お金・お札、財産など、守るものが多くなりすぎている金持ちはその逆を辿ることになるのでしょうか。人は生活に必要なお金が、ほどほどあれば家族と幸せに暮らせ健康に生きられるのです。それを実現、実践するためにも”生活金”と”金融金”の2種類のお金に分けて紙幣発行することが日本を救う道でありわれわれ一般人が強欲な金融機関関係者に貴重な金を奪われないで済むミヒャエル・エンデにちなみ「エンデ法(生活金vs金融金)」と名づけます。
  by南渡河 詩葉(原文)2011/05/31

記載日時の通り約10年前のブログですが今読んでも納得します。“ふるさと納税”の源泉とも言えるミヒャエル・エンデが知らしめたシルビオ・ゲゼルの“地域クーポン”がベースにあり、お金のあり方、お金に人生と同じように寿命を付けるべきなどが書かれた本の引用もあり参考になりました。節電もCOVID-19で巣ごもりで言われ始めています。
後書き:2021年02月12日 能天喜太郎

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