愛とは欲求の満たされた記憶の事である。
なんかかっこつけた題になりましたが、
今日Youtubeで、本田晃一さんと犬飼ターボさんとの
対談の時にターボさんが言っていて、
とても心に残ったセリフです。
本題はめちゃめちゃ愛される人がやっている事3選だったのですが、
愛とは何かをターボさんが詳しく解説。
そこで出たのがタイトルの言葉。
何に衝撃を受けたかというと
あくまで愛でさえも記憶であること。
そして、自分の欲求を満たしてくれたら
愛されてるし、
逆に相手の欲求を満たしてあげたら
愛してるってことになる。
とどのつまり、
もっと高尚で何か純粋なものをイメージしていた私にしたら
なーんだってものすごく肩の荷が下りました。
生存欲求に基づいた戦略の一環にすぎないんだ。
もっと違う定義もあるでしょうが、
ターボ流の解説は、私にはハードルが低くて
とっかかり易いもの。
そして、相手がしてくれたことで喜ぶ自分の
この感情でさえ記憶にすぎない事で、
この世界は本当に幻想なんだと
理屈でも証明されてるような気がして
目からうろこでした。
なので、やたらと難しく考えなくていいし、
自分が高尚でなかったとしても
全く問題はない
そんな風に思えた動画でした。