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ハイヒールと黒髪論争について一言

日本の役人が“ハイヒールを履かないといけない企業を容認した”って騒がしいけど、私が一番最初に感じたのは「本当に、そんなこと強制している企業あるのかね」という基本的な疑問。企業がルール化してるっていうより、働いている人間側が「勝手にそう信じちゃってる」という明文化されてない規則とか“常識”に満ち満ちている社会だからね、日本は。

で、ネットで調べてみたら確かにホテル業界とか航空業界とかある種の「華」を期待される職種で「上司に言われて(嫌々)ヒールを履いてる」とか就業規則に書いているという事例が出てきた。ひえーこんなこと企業に言われるんだ(驚)でも就活とか多くの会社は別にルール化されているわけじゃなくて「企業が」というより「上司の考え」とか「周りがそうしてる」いうだけで別にルール化されているわけじゃないところもいっぱいあるんじゃないかと思う。確かに一般的な客側からするときれいで颯爽としてるCAさんが履いているのはやっぱり足がきれいにみえるヒールでそれが運動靴だったら、「あれ?」とは思ってしまうだろう。でもそれがちょっと素敵なペタンコ靴だったら全く問題ないよね。(あれ、ヒールじゃないんだとは思うかもしれないけれど、不快に思うレベルではない)

私自身は日本から出てもう15年とか経ってるし、自分の考えでガンガンやりたいように動く人たちと一緒にいるから「ヒールを強制、なんで???」って思っちゃう自分もいるけど、日本社会の「上司の意向」とか「同僚の価値観」とか「周りの同調圧力」みたいのはそれなりにわかってるつもりだから、なかなか大変よねぇ、わかるわ、という日本人DNAもかろうじてちょっと残ってる。うちの妹も外資の会社の広報やってるから、客回りするときは「絶対ヒール履くよ」って言ってたし、展示会みたいなんで一日中セネガルのぼこぼこ道路だったら毎分ごとに穴に深くはまりそうないわゆるザ・ハイヒールで走り回ってる。別に企業に強制されているわけじゃなくて「そういうもんだから」という理解。日本で働く日本女性は大体そんなんじゃないかと思う。辛いんだろうけど、おそらく本人はすでに辛く感じないレベルまで昇華してて、正直すごいなと思う。

こういうところでなかなか言い出しにくいかもしれないけれど、体にも悪いし、つらいからぺたんこ靴を履きたい!という意見は絶対的に容認されるべきだ。「履くべきだ」っていう規則ははおかしいよね。だけど、「履くことを強制することを禁止しろ」というのもどうか、と思う。上の人にいってもらわないと変えられないかなぁ。これって、きっと規則になってもそれこそ男性の育休みたいに、「規則としてはあるけど、だれもそれを使う人はいない」みたいにならない?これってルールにすればいいって問題じゃなくて個々の意識の問題。日本って何かあるとすぐルールにしようとするけれど、ルールにすればいってもんじゃないのだ。電車の中のベビーカー論争もそうだけど、ルールだからいい!とか悪い!とかじゃなくて私が言いたいのは「自分の考えでいいと思うことを粛々と実行すべし!」である、それで文句を言ってくる人には感情的にならずに自分の意見を理論的に説明すればいいだけである。(まぁそこに法律がちゃんとあるとやりやすいってことなのは理解できる)

セネガルの事務所とイタリアの事務所だと、着ている服も履いてる靴も違う。社会の所属するカテゴリーでそれぞれ期待される要素ってのがあって、やっぱりヒールを履いたほうがしっくりくるシーンもある。でもそれは企業とか大臣が命令することではなくて、自分でそう思って履けばいいし、思わない人は履かなくていい。そういうのが自然に受け入れられるのが成熟した社会だ。企業のルール云々というより、とらわれている同調圧力からどううまく脱出するか、がキーかな。そうじゃないと多分ルールだけが変わってもやっぱりいろいろ言われたりして不便よ、きっと。

ちょっと話がそれるけど、ヒール論争と同時期に黒髪論争も並行して行われてて#この髪でも大人やれてますバトンとか最近よくみるけれど、ああいうのは私はちょっと個人的にはもやもやする。ああいうの出してるのはだいたい例外的に大成功した大人で、とがっててもちゃんと社会の荒波を乗り越えられた実力があった人達だ。普通の大人が#この髪でも大人やれてますバトンやってても、別にインスパイヤーされることはない。髪を金髪にすることで、降りかかる逆風とか白い目とかそういうものを乗り越えられる実力のある人は実は一部で、当たり前だけど髪の毛がああだったから、今立派な大人だってわけじゃないし、貴重な学生時期に無駄なところでエネルギー使って、その後苦労している人(そういう人は表に出てこない)きっとたくさんいる。変わった髪型とかやりたければ勝手にやればいいけど、けしかけるものじゃない。学生時期に「学生らしい髪型」とか「スカート丈」とか、そういうものを強制されるのは、うっとうしいけれどそんなのはその所属時期が終わったら自由にできることだから、エネルギーかけて反抗するようなことじゃないと私は思うの。そういう流れの延長で企業は働いている女性に「ヒール」を強制するのかしら。でもそれだったら、社会人期間は学生時代とはくらべものにならないくらい長いから、自分が快適なように働きかけないといけないよね。

でもルールだからじゃなくて、みんながやってるから、じゃなくて、自分で考えてベストなことをするのが大人としての正解のあり方。私はヒールもミーティングではたまに履くけど、通勤は道路がぼこぼこだからヒールは怖いから履いてない。セネガルの国連事務所だったらそれで大丈夫だけど(でもこっちのおしゃれな女性はちゃんとヒールはいてて、かっこいいよ。尊敬)、でももしローマとかNYのオフィスで働く機会あったら、そりゃヒールを履く機会は増えるだろうと思うわよ。

ちょっと議論がとっちらかっちゃったからまとめるけれど、私がいいたいのはこうだ①ルール化すればいいというものではない。自分の頭で考えていいと思ったことを実行せよ。それで文句を言ってくる人には感情的にならず理論的に説明せよ②ヒールを履きたくないと思う人に対して強制をするべきではない③社会の属性としてヒールを履いたほうがいい業種や機会もないわけじゃないが、でもそこは自分の信念にしたがって素敵なペタンコ靴でがんばれである。

最後にちょっと言いたいんだけど、昨年の夏にスペインで医者にかかる機会があったのね。プライベートクリニックでサービスがいいってのが売りだったんだけれど予約から20分待たされて出てきた医者が、チューブトップにミニスカート履いてたの。私は10分だけ我慢して話につきあったけど、あの医者を見た途端「ここはないな」と即決したの。夫は「腕が良ければ別にいいんじゃない」っていう意見だった(そういう人もいるからあのクリニックは成り立ってるんだ)けれど、私の意見としては人の命を預ることもある医者がチューブトップにミニスカートなんてありえない、という意見。腕いいかもしれないけど、チューブトップとミニスカートという「外見」だけで、私は見事に判断しちゃったってわけ。合コンならいいし、道ですれ違ったただのお姉ちゃんなら別にいいの。友達でもいいけど。だけど世の中の人(この場合、私)が「医者」というスペックに期待する外見というのがあって、それから著しく逸脱すると、不都合な場合もある。あの先生のせいで私はあの病院は行くのやめようと思ったわけだし。でも、CAさんとかホテルのフロントがヒール履いてなかったからって「この飛行機会社(ホテル)はもう金輪際使わない!!」なんて人いるかな?いないよね。だからその辺は自分の考えで属性の枠内で自由にすればいいと思う。自然な髪の毛が茶髪なのに黒髪に染める必要はゼロだけど、娘が将来「結婚したいの」って連れてきた男性が「レインボーの髪の毛」だったら、ちょっとそれは許可をするのに無駄に時間がかかるのと一緒。性格とか能力とか全部いったんおいておいて外見だけで、判断されることあってめんどくさいから、なんでも自由にやっていいってわけではない。自分の自由にしていい、建前的にはありだけど、社会の本音にはそうじゃないのよねー大人になるとわかるけど。

みんなが自分の頭で考えてベストのことを自信もってやれる社会になりますように。そして社会の許容キャパが広がりますように。でも、私の許容キャパは医者にチューブトップはだめだし、CAにビーサンはだめ。学生は髪の毛は自然でOK、(茶髪の人が黒髪に染める必要なんてないけど、とがった大人に影響されてとんでもない髪型するとめんどくさいわよ)。娘の彼氏が虹色の髪の毛でもちょっと考えさせてもらいます、そんなところかな。あ、あと最後に有益な情報を。快適なヒールといったら「うさぎや」。友達に教えてもらってからうさぎやのヒールしか履いてない。8時間履きっぱなしでも、歩きっぱなしでも全く疲れない、すごいヒールです。全然知られてないけど、すごいわよ。試してみて。(ちなみに写真はうちの靴フェチ猫。これもうさぎやの靴です)じゃあね。


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