「当事者を増やす文章を書きたい」瀧波和賀さん#noteクリエイターファイル
noteで活躍するクリエイターを紹介する#noteクリエイターファイル。今回は、子育てメディア「Conobie(コノビー)」の瀧波和賀さんをご紹介します!
cakesにて「育児はまぶしい、オモチャ箱」を連載中の瀧波さん。
noteでは、母として、子育てメディアに関わるマーケター・編集者として、元・療育指導員として、独自の視点で、育児・夫婦関係・教育等をテーマにエッセイ&コラムを執筆してくださっています。
個人発信でありながら、10万PVを超えるヒットを連発し、2018年「よく読まれたnote下半期ベスト10」入りした記事も!
SNS・執筆経験ゼロから、業務上の仮説検証のために始めたnote
瀧波さんがnoteを始めたのは2018年6月。社内異動として、0~2歳の新米ママ向け子育てメディア「Conobie」に配属されて半年が経った頃でした。
それまでは障害福祉の現場支援に従事していた瀧波さん。育休から復帰して打診された、メディア経験のない現場からの“異例”の人事。しかも当時、瀧波さんはスマホを持っておらず、SNSに触れたこともなかったそう。それでも、ゼロからWEBマーケティングをはじめ、公式アカウントを運営、順調にPVを伸ばしていったと言います。
「Conobieでは“育児コラムは読まれない”とされてきたけれど、そんなことないのでは?と思っていたので、noteで自分でコラムを書いてその仮説を検証してみようと考えたんです。そこで、読まれるコラムの基準として、個人で10万PVを超える記事を2本以上出すことを目標にしました。再現性のないものは検証と呼びにくいからです。」
合わせて個人のTwitterも開設。SNS・執筆経験ゼロから始めた瀧波さんの育児コラムは、わずか1ヶ月で10万PVを超えるバズを生み、「面白い育児コラムは読まれる」ということを実証したのです!
瀧波さんは編集者として業務の幅を広げ、コミックエッセイ中心だったConobieにコラムという新しい風を吹かせ、ヒット記事を生み出します。
読者の横に立ち、そっと背中を撫でるような記事を
ライターを名乗らない瀧波さんがnoteとcakesの更新を続けている理由は、編集をする上で、書き手の生みの苦しみや赤を入れられる気持ちを体感するため。
「自分がライターだったら、編集だけをする編集者よりも、クレジット入りでライティングもする編集者に赤入れをされたいと思ったから」
ご自身が書くときに意識していることは、編集者として意識していることと共通していると言います。たとえば、記事を書く時には具体的な読者を想定し、連載の1本目は読者層が広い切り口にして必ずヒットさせる。そして、「現象の構造化」と「感情の言語化」を心がける。
「『その気持ち、知っているけど、言葉になっていない…!』という当事者の感情を1行ではなく10行で鮮明に言語化することは常に意識しています。言葉にならずに困っている人たちの気持ちを代弁をしていて、時代やトレンドに合った温度感のある記事は読まれる。私は29歳で結婚し、30歳で出産し、周りに子育て中の友人たちがいて、彼女たちのリアルな声が生かされています」
そのスタンスは、「読み手の隣に立って、静かに背中を撫でる」ような記事をつくること。
「メディアに関わる人間が言うことではないかもしれないですが、私は“コンテンツで人は救えない”と思っています。読んでくれた人が『救われた』と言ってくれるのは嬉しいですが、発信する側が『誰かを救おう』と思って書くのはピンとこない。療育や障害者支援の現場にいた者として、人を救うということは、もっと泥臭くて、根気と時間が必要なんです。空調の効いた部屋でコーヒーを飲みながら書いた記事ではないと、私は思っているんですよね。何かの入り口にはなるかもしれませんが。だから私は、自分の体験や文章で、誰かの背中を押すとか救うとか、強いパワーで相手を動かそうとするのではなく、その人の横に立ってみたいと思っています」
育児をもっと豊かにするために、仲間を増やす
瀧波さんにとって、noteは「SNS上では流れてしまう自分の主張をアーカイブするポートフォリオ」。
その主張の根本にある思い、ミッションは「子育てを豊かにするために、広い意味での”当事者”を増やし、仲間をつくること」。
「子育ては、“当事者”であることが一部の人かつ一過性で仲間が増えていきません。お母さんが抱える辛さや困難は、社会や周りの人々の無理解にあると思っています。障害者支援も同じで、障害のある人たちが暮らしに不便さを感じるのは、社会が健常者を前提につくられているから。たとえば、メガネがなければ、視覚障害者が溢れていますよね。障害がなくても、子どもがいなくても、街で障害者や子どもを見かけたことのない人はいないはずで、その意味では当事者でない人はいないとわたしは思っています」
広い意味での”当事者”を増やしていくためには、ど真ん中の当事者以外の人にも面白いと思ってもらえる記事を書く必要がある。だから、瀧波さんは、特定の立場の人を否定しないし、対立するどちらか一方の立場からは語らない。たとえ自分と違う立場で理解できなかったとしても、敵はつくらない。その姿勢のキーワードは「多様性」にあります。
「多様性って、“あなたの言いたいことがすごくわかる”や"いつか必ずわかりあえる"ではなく、“全然わからないけど、ふ〜ん、そうなんだ”って思うこと。自分には理解できないし、必要ないし、想像できない。でも、現実として“ただある”ことを受け止める。理解できないから、なかったことにするとか矯正するとかではなく、わかり合えないことを認めることなんです。大事なのは、誰の中にも無意識のバイアスがあって、人には誰しも差別意識があるということを知っておくことです」
瀧波さんは数年間、療育の現場で障害のある子どもとその親と接することで、自分の中にある「善意と見せかけた差別意識」に対面したそう。
「いい支援をしたくて、テキストで勉強したり経験を積んで自信がつくほど、“自閉症の子はこうだ”というパターンが出来上がって、目の前にいる親と子と向きえなくなっていきます。私が“自閉症の子”とラベルを貼った子は、親にとってかけがえのない我が子。自閉症はその子の一面でしかなくて、代表的で重要な側面でもない。弱者の声は届きにくくマイノリティはパッケージされやすいけれど、その中にいる一人ひとりは多様な『個』なんです。たとえ理解はできなくても、そのバックボーンを知ることは大事だと思っています」
“広い意味の当事者”として発信を続けたい
瀧波さんはこれから、Conobieやcakes、noteで、育休を取った男性へのインタビューや専業主婦の葛藤、療育や障害者支援、いじめなど、様々なテーマの発信をしていきたいと話します。
どのテーマも瀧波さんは、ど真ん中の“当事者”ではない。実は、瀧波さんは「食べない子」も「産後クライシス」もご自身が経験したわけではないそう。それでも、当事者の気持ちを代弁しそっと横に立って記事が書けるのは、同じ社会で暮らす人として、“広い意味での当事者”であるからなのでしょう。
瀧波さんの記事を通して私たちも、自分の中にある「差別意識」や本当の意味での「多様性」を知り、広い意味での「当事者」として「仲間」になれますように。
■クリエイターファイル
瀧波和賀
子育てメディア・コノビーのマーケター&編集者。cakesにて育児コラム連載中。ほぼ日の塾5期生。noteではエッセイや映画レビューなど雑多に書きます。得意ジャンルは育児、夫婦関係、障害支援、教育、子供の気持ち、婚活。
note:@kazoku_sukiyaki
Twitter:@waka_takinami