家族ってなんだろ?と、夫が呟いた
18年前に子供を産んだ。
自分の子供といっても、「自分が産んだ子供」という修飾の意味であって、所有格としての「自分の子供」ではない。私が産んだのは、子供の形状の一人の人間である。ここまでで、既に「こども」のゲシュタルト崩壊。
産む前は、自分の子というのは、自分の育てたいように育てるものだと思っていたし、私自身もそのように育ってきたと思う。しかし当たり前だが、子供というのはたとえ自分の身から生まれたのだとしても、自分の所有物ではない。
人は無垢な状態で生まれるというけれど、それとは別に、人間は生まれながらにして己の魂を持っている。そういうことを子供を産んで初めて知った、と言ったら、笑われるだろうか。
我が子によって、かなり早い段階でそれを教えてもらい、そこからわたしは、「新しい私」のスタートを切った。
身体を害することとゲームに関すること以外、できるだけNoと言わないように努めてきた。彼の人生を、他人よって狭められるという事があったとしたら、それはとても悲しい。というより、人間対人間として、そういう過ちを犯す暴挙は親であっても許されないと思ったからである。私も人間なのでうまくいかないことも多かったが、このことは私の1つの挑戦でもあった。
選挙権を得て、彼は大人の仲間入りをした。巣立つ日も近いのだと感じている。離れていても、扉をあけている場所としてこの家族が存在しているということを、遠い未来に思い出してほしい。