(第8回)表現者クライテリオン岐阜同好会
第8回表現者クライテリオン岐阜同好会記録
日時:令和6年1月20日
於:多治見市学びパーク
⚫︎クライテリオン1月号ザイム真理教という「カルト」による国家破壊/森永卓郎 感想など
タブーに切り込む姿勢。ちゃんと学べば本当の事が視えてくるはず。大衆、世論はどうして形成されてしまうのか。反対の意見を言えなくなってしまう社会。忖度が生じてしまうのか。なぜ誰も言わないのか。
ジャニーズ問題について北公次が昔その問題を言っていたが、変な事を言っているなあと思っていたが現実はそうだったと今になって思う。
権力はマスコミを押さえ込む事ができる。マスコミ自体が権力者になっている社会では、ジャーナリズムが機能することできるのだろうか。
1番大事な権力とされる、表現の自由が補償されている社会のはずだが、本当にそうなのか疑問を持たざるを得ない。
⚫︎クライテリオン1月号 神道指令による「日本人」の解体/富岡幸一郎 感想など
一神教は排他的なイメージがあるが、本来はそうではないと言われていた。今まではキリスト教は原理主義的なイメージだったが、そうではないのかと感じた。
信仰心の問題。法華経は説話が多いが論理的ではない話が多い。禅は個人的なものに繋がりやすい。
⚫︎クライテリオン1月号 大衆的な、あまりに大衆的な――「信仰」なき現代を問う/浜崎洋介 感想など
大岡昇平の小説から、戦死する兵士が形式上で天皇陛下万歳と言って死ぬことについての言及があった。個を超えたものに対する態度、演技、決意が必要などだと考えさせられる。死を考える機会 の消滅。一般市民が死が感じることが無い。死ぬような経験をしないと死は理解できないのか。
「続ものぐさ精神分析」を読んだ。本来の生き物は死を怖がらない、種を残すことが目的である。しかし人間は本能が壊れているため死を恐れている。その恐れを乗り越えるためには、同胞のために死を捧げることができるのかがどうかが問われると思った。
⚫︎クライテリオン1月号イスラーム法学者に聞く、「文明」の生命力と「一神教」の理念/中田 考(聞き手 川端祐一郎) 感想など
全てにおいて神があれば、その他は要らない。国境やナショナリズムは分断を導くだけなので、必要ないという発言は興味深く読んだ。無慈悲に死んでいく子供が居たとしても神の導きなので正しい。人類が滅亡したとしても同じ意味で正しいのかもしれない。という部分などは神というものに対する揺るぎない信仰から来るものであって強さを感じる。
ライプニッツも同じような事を言っていた。神はいるのに、何故人が死にまくるのか?それは人間が次の段階へ行くために神自らが行なっているのだと。
キリスト系の学校で勤務していた時に、祈る事をやめない姿を見た印象が強くある。神ではなく仏性に対して祈ることの大切さ。
今でも地鎮祭を行ない、お祓いをしている。現代の技術では感じ得ない部分に対して畏敬、まだ日本社会に信仰心が残っている現れ。祟りが怖い。理性では理解しえない部分ではないか。
本能にあるのではないか。
⚫︎災害から学ぶ事など
元旦の能登震災。道路インフラの未整備、高齢化社会が問題を拡げた。自分の過疎地域であり他人事ではないと感じる。
会社から聞くところによると、被災後の現地では建築業者は人材不足などで機能していないらしい。
昔、田中角栄が過疎化地域へトンネルを通して非難を受けたが、こういう仕事をするのが国だと言っていた。現実の政治は結局数が力なので、悲しいかないつも真実が叶うというわけでもない。
大雨で停電があって、タブレットが使えなくなり授業ができなくなった事がある。
EVシフトが現実的なのか。電気がいくらでも湧いて出ていると思っているのではないか。今回の能登震災を見て、ガソリン車より電気自動車が機能するのか益々疑問を感じた。
ヨーロッパ人は環境問題に対して奇麗事を言って、結局は金儲けをしているだけではないか。
ビジネス系の雑誌などを読む限りでは、金儲け主義の輩は緊縮とEVシフトの意見ばかりが目立つ。
NTT法廃止の反対意見をソフトバンクの社長が語っているのは可笑しかった。NTTは日本の通信インフラを保有しており、NTT法が廃止になると、インフラ資産が外国に売られてしまう可能性があるので危険だと、まともな意見を言っていた。楽天はソフトバンクと同じく反対の立場のようだが、中国から出資を受けたり、何で?と思う。
郵政民営化などの影響は結局10年後などにしか判らない。
航空機部品などは保守的である。新技術に対して慎重である。家電はその逆で新技術に直ぐに飛びつく。社会もそうであるべきではないか。慎重でないといけない部分がある。
⚫︎クライテリオン1月号 ウィトゲンシュタインと「言葉の魂」をめぐって(後編)/古田徹也×藤井 聡×柴山桂太×浜崎洋介×川端祐一郎 感想など
興味深く読んだ。古田徹也氏の「言葉の魂の哲学」も読んでみた。日頃から自由に 、どちらかと言えば理性的に使っている気でいた言葉。しかし、本当はもっと身体的な生々しいものだと感じるようになった。
言葉が重要だと感じる。その言葉が作られてきた意味がある。それは先人の生き方、エキスが入っているものではないだろうか。
日本で発生した漢字は沢山ある。
言葉は対象物が一体になる。観念的なもの。
考えてみると実際には自分が言葉を大切にしている場面はあまりないと気づく。
他国の文章を訳をしたものは、結局は訳者の作品ではないか。訳された本を複数読み比べると違いが良くわかる 他の文化を完全には日本語に訳すことはできない。
⚫︎クライテリオン1月号 座談会日本人よ、自らの“宗教性”を自覚せよ 感想など
政教分離、政は政策。宗教の団体として政治に参加することは否定しないが、政策には影響しない。世間は政教分離、政教一致の定義や意味が判っているのだろうか。
政治は権力。宗教的な想いから人を幸せにするもの。今は宗教性がない政策になっている。
民主主義を行なうと民衆レベルが下がる。
宗教は精神的な支柱を失ったこと。
信じる宗教が無いと話したらサウジアラビア人から驚かれた。
宗教を信じる人の中で極端なのは1割であとの9割は謙虚だと思うが、その1割のせいで宗教が変に見られている。
神ではなく生命主義。
会社で高学歴技術者に宗教や哲学についてどう思うか聞いた事がある。宗教を信じても意味はないとの返答があった。自由に生きたい人は、放埒に生きられなくなるから嫌なのだろう。哲学や宗教などには意味はなく、科学と技術が正しいと思い込む事になっている。それが出世、金を稼ぐことにしか興味が無くなってしまう根源だろう。宗教などに縛られて生きたくはないとなってしまう。
現代は物質的に豊になった社会であり、食うことに必死なったり死ぬような経験は無くなった。そういう事を考える必要がなくなった。そういった想像力が必要なくなった。
人間は制約の中で生まれてきたはずであり、それは選べるものではない。その制約を自ら受け入れた先に始まるのだと思う。悲惨な現実の上に生まれてくる人が居たとしてもその制約を自らに受け入れられるかどうか。そこにこそ神という存在が必要なのだと思う。そう考えれば、人間がいる限りは神は絶対に無くならないものではないか。
少し想像力を働かせれば、人生は予定調和にはいかないものだと判るが、その想像力を失った現代人は、勝手に決めた狭い枠の中で家畜的な生き方をしているように見える。
富、地位、名誉など失うものが多い人ほど死ぬとき苦しい。宗教的に生きた人は違う。
何かのため死ぬという意識があるかどうか。
⚫︎教育について
教育を変えるという意見はよく耳にするが、今の暗記、偏差値教育で何を変えていけばいいのか。
歴史教育。辻田真佐憲氏が65点の戦前史が必要だと言っていたが、全否定でも全肯定でもなくバランスの良い民族の歴史が必要。自分の祖先に対する尊敬がない民族は健全ではない。
客観的、答えが決まっていないといけないのが今の教育の大きな問題。
岐阜県の大垣と鹿児島の歴史的な関わりがある。自分の子供が通う地域の学校では、昔からその学習を行なっている。その繋がりで児童、職員間の交流が今もある。
⚫︎今後の同好会の活動でやりたいこと
・他支部との交流 他支部の定例会などに参加。
・歴史的な場所や講演会などのイベントへ一緒に参加するツアー。その流れの中で他支部との交流ができてもいいのではないか。
・講師を呼んでの講演会など クライテリオンと直接関係がない方を呼んでもいいのではないか。会場は名古屋、岐阜市辺りが適当か?費用や準備など労力を要すが、やれたら面白い。
・参加者がテーマを設定しての講義 テーマはあまり縛らず、興味があること得意な分野などを講義風にして発表する。読んだ本を解説してもいいのでは。
参考書籍
岸田秀著「ものぐさ精神分析」
古田徹也著「言葉の魂の哲学」など
以上