原作改変についてのいちオタクの主張〜中傷と批判は違います〜
最初にお断りしておきたいのは、今回のnoteは『セクシー田中さん』問題を直接論ずるものではありません。
『セクシー田中さん』については、メディア化におけるテレビ局や出版社の構造、作品づくりの体制など、いくつもの問題点が重なっていて、単純に改変だけ取り上げてしまうと矮小化してしまうと思っております。
ただ、今回の問題で散見されたメディア化の際の原作改変への擁護
『原作に忠実に作るのは媒体が違うから無理だ(だから、それを要求する原作者やファンは間違っている)』
に対しては、どうしてもひとこと言いたい。
完全に原作と同じにならないことは、ファンだって(たぶん原作者の方も)わかってるよ!!!!
媒体が違うことによる改変が行われるのは当たり前です。尺の問題から削られるシーンもあるでしょう。読み返しのできない映像作品は、わかりやすい説明や印象に残るセリフが必要なこともあるでしょう。
そんなことはクリエイターではない一般のオタクにもわかります。バカにしないでいただきたい。
なんならオタクは「この俳優を使いたいからキャラ変したのね」とか、「この枠なら恋愛要素が欲しいから、原作にない恋愛要素をぶっこんだのね」とか、ある程度なら制作上の大人の事情(だろうと推測されるもの)を汲むことだってできます。嫌だけど。
でも、例えば原作で恋愛相手がいるにも関わらず、ドラマでまったく別の相手と恋愛させようとするようなケースであれば、流石に原作を壊すなと言わざるをえません。
(そもそも、恋愛要素が欲しいなら、なんで恋愛要素がないor恋愛要素が薄い作品を原作にするのか。最初から恋愛要素が濃い作品を選べよ)
恋愛シーンが欲しいなら、何故、原作の恋愛相手とのエピソードを膨らませたり、オリジナルで追加しようとしないのでしょうか。
ドラマで押したい俳優が別のキャラにキャスティングされてるからですか?
流石にそんな事情はファンが汲む必要はないと思います。
百歩譲って、ドラマでは別の相手と恋愛する世界線があったとしましょう。
ならば、せめて原作世界に違和感なく組み込むのが脚本家の仕事ではないですか?
原作改変をしたことで、作品世界に違和感が生まれるのならば、それは脚本の失敗だと私は考えます。
それは、もちろん恋愛エピソードに限った話ではありません。
キャラクター設定だろうがストーリーだろうが、改変するなら改変するでいい。でも、その改変部分をちゃんと原作になじませる努力をしていただきたい。
その努力が必要のないものだと考える人には、原作付きのドラマをやる資格はないと思います。
どうぞオリジナルで頑張ってください。
ひとつ実例をあげます。
とある原作がドラマ化された時、原作では巡査部長だったキャラが警部に意味もなく変わっていました。
ドラマで警部である必要はまったくなかったので、本当に何の意味もない改変でした。
おそらく、演者の方が50過ぎだったので、演者の年齢に合わせて警部にしたのではと推測します。
(警察は年功序列で階級があがる組織ではないので、この考え方自体間違いですが)
ただ、ドラマで年齢が出ることはなかったし、原作でも確かまだはっきりとは年齢が出てないキャラなので、変える必要があったとは私は思いません。
むしろ、そのキャラは左遷されてきた人ですし、巡査部長の方が合っていると思います。後にわかりますが、離婚したものの12歳の娘もいます。おそらく原作では40前後ぐらいを想定しているような気がします。
実年齢より若い役をやるなんて、ドラマではよくあることなのになぜ変えたのでしょう。
まあ、脚本家なのかプロデューサーなのか、はたまた別の人かはわかりませんが、ドラマ制作陣が警部にしたかったというのなら、それでもいいでしょう。
ところでドラマには、警部補役の方も出ていました。
ドラマ警部と警部補の会話は原作とほぼ同じでした。
警部(原作巡査部長)→警部補は丁寧口調(敬語)
警部補→警部はタメ口(雑な口調)
ここで、ドラマには違和感が生まれてしまいました。
警部補は警部よりたぶん歳上なので(配役は年上でした。原作では不明です)、ドラマ警部が警部補に丁寧口調なのはいいとしましょう。でも、例え年下でも階級が上の相手に対して雑な口調の警部補は違和感があります。
原作からキャラ設定を変えているにも関わらず、セリフはそのままにするというお粗末な改変の結果、生まれた違和感です。
繰り返しますが、警察は年功序列ではないのです。年下なのに階級が上なんてざらにあります。
警察に対してそこまで詳しいわけではありませんが、体育会系の世界であることは耳にしております。
警部補のほうが年齢が上だとしても、階級が上の警部相手に仕事中にタメ口をきけるとはとても思えません。
もちろん何事にも例外というものはあります。ドラマの中で、例外だという理由付けがあればそれでいいのです。
でも、そのドラマには一切の説明はありませんでした。
なんというおざなりな仕事ぶりでしょうか。
原作を意味もなく改変した挙げ句、その改変に合わせて口調を少し変える、あるいはそうなっている理由を加えることすらしてないのです。
仮に原作のセリフを一切変えてはいけないなどの縛りがあったとしたら、設定の変更をしなければ良かっただけの話です。
ドラマの中では、なんの意味もない改変だったのですから。
(ちなみにそのドラマは、他の設定を変えたところでも原作ママのセリフを喋らせて違和感を生んでいました。原作そのまま使えばいいってものじゃないんだよ!)
こういう雑な改変をするから、原作を尊重してない、原作をリスペクトしないと言われるのです。
改変自体を盲目的に責めているわけではありません。
ドラマとしてもまったく必要のない改変をしておきながら、その改変を物語の中に馴染ませる工程を飛ばすという手抜きを責めているのです。
ほんの小さな齟齬でも、物語の中で違和感を生むなら取り除くのがプロではないでしょうか。
料理で面取りをしない料理人がいるでしょうか、プラモデルを作ってバミ取りをしないモデラーがいますか?
プロの脚本家を名乗るなら、それに相応しい丁寧な仕事をしてください。
そうやって丁寧に作られたドラマなら、原作レイプなんて言葉はきっと使われないでしょう。
原作付きのドラマを引き受けた以上は、原作世界を上手く映像に落とし込むのが脚本家をはじめとして制作スタッフの仕事だと思います。
原作の面白さを引き出して、更にドラマとしても面白くしてこそのプロではないのですか。
原作を好きになれとはいいません。嫌いだって別にいいんです。ただ、プロとして仕事に真摯に向き合ってください。
しがないオタクの願いはそれだけです。
最後になりましたが、『セクシー田中さん』の作者、芦原妃名子先生の御冥福を心からお祈りいたします。
一刻も早く日本テレビ・小学館が説明責任を果たし、原因究明と改善に向けて動き出し、
原作者を一方的に搾取するドラマ業界の体質が変わっていくよう祈ります。
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