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たりない

よーたろーっているメンバーの居心地の良さで口数が変わるよね。


ある日、友人に言われたこと。

ドキッとした。
その通りだ。

ぼくは周りにいる人によってその場所を楽しめるか、楽しめないかが決まる。
例えば、初対面の人がいたら楽しめない。
数人で飲んでる中に関わりの薄い年長の人がいたら楽しめない。
自分のことを好意的に受け止めてくれる人と思えない人がいると楽しめない。

2人であればなんとか話せる関係も3人、4人、5人となるにつれて、会話が出来なくなり、相槌を打つだけのロボットになる。


それが僕だ。

反対に自分をいつも受け止めてくれるような大好きな存在ばかりがいるような場所だと、とってもおしゃべりになって話しまくる。

その場にいるメンバー、人によって態度が変わる典型的なわかりやすい人だ。



自分は何故そうなるのか。
ちょっとだけ考えたことがある。



僕はプライドが高い。
だからその人がどう自分のことを捉えているかをとっても気にするのだ。気にするというより、不安になるといった方がいいかもしれない。

気にしているように見えないかもしれないけど、相手の言動を見て、その人の中の自分の立ち位置を図ることがある。これがかなり厄介で人の言動に振り回されて、気分の落ち込みや自己嫌悪に陥ることがあるのだ。

これが僕が人に関わるときに出る癖だ。

厄介でなんの役にも立たないから、なくしたいなって思っている癖。



こんな癖を持っているから大人数でおしゃべりすること、遊ぶことがあまり得意ではない。1対1、2人で遊ぶのが好き。

だから大人数の輪の中で話を回したり、馬鹿をして笑いを取ってる人を見るとすごいなって思う。

ああなりたいなとも思うけど、せいぜい輪の端っこのほうで笑っているだけが精一杯。


付き合いにくい人間だなって思う。

“足りてないなって。”


しかし、こうも思った。

足りてないことは悪いことなのだろうか。足りてないというところも自分らしさなのではないだろうか。

足りないことを悲しみ、足りないことに対して劣等感を感じて無理に足らそうとすることはエネルギーを多く消費することである。

今の僕は僕なりに約22年間、頑張って生きてきた結果なのである。だからこそ、そんなに簡単に足りない部分は埋められない。

それならば、足りないのもの自分だという気持ちで受け入れてもいいのではないだろうか。


そう思ったら、少しだけ苦手だったものの見え方が変わった。

ただ、それだけの話。




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