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恥の多い生涯

アルコホーリクス・アノニマスの深い教えは次のように言う。真に人間的な生き方は、人間は本質的に有限であるという嘘偽りのない現実を前向きに受け入れることから始まる、つまり人間であるということの核心にある否定性を、すなわち「恥の感覚」を受け入れることから始まる、と。この深い洞察を最後の結論へ導くには、あと二つの概念が、すなわちさまざまに異なるものが共に存在する多元的共存とお互いに補い合う相補性が必要である。

「恥と罪」アーネスト・カーツ著p83

グループのメンバーの多元的共存を認めていただろうか?相補性のある関係だろうか?他の人に任せきりになっていないだろうか?協力できることをしているだろうか?相手に関心を持って声をかけているだろうか?

昨年末は、こんなことを考えて、恥を感じておりました。

一昨年の夏から、A Aメンバーの方が誘ってくれて参加したアーネスト・カーツ著「恥と罪」のオンライン読書会が昨年11月に終わりました。薄いけれど、難解な本でした。できるだけわかりやすく解説してくれるメンバーや翻訳してくれるメンバー、意見交換してくれるメンバーのおかげで朧げながら理解し始めた感じで…終わりとなりました。結果、自分の不完全性を実感することができ、著者の主張を味わうことができたとは思います…。
読書会はチームで登山するような感じで、孤独な虫ケラギャンブラーには刺激がありました。本当にありがとうございました。お礼をnoteに書くまでにこれだけの時間がかかるところが、私の不完全なところです。

「思えば恥の多い生涯を送ってきました。」は、ご存じ太宰治の「人間失格」ですが、私はいつもそれを感じながら生きています。でも、それでも生きてこられたのは、その恥が癒やされてきたからでしょう。癒しに必要なものを、この本ではフェローシップ中心に書かれています。
今ではGAやオンラインミーティングだけでなく、家族や職場の人たちからも癒されるようになりました。ありがたいことです。だからこそ、所属する集団で自分のできることをしていかねばならないのだと思います。それに気づかされた2024年です(気づくの、おそいっちゅーの)。

あまり神について書かれていない、この本の中で心に残った文を引用して終わります。何回noteを書くかわかりませんが、今年もよろしくお願いします。

飲まないで生きていくこと(sobriety)、
平安(serenity)、
さらに神聖(sanctity) という三つの言葉は、人間の理解を超えるような方法で「ひとつの同じ現実を指している。」

「恥と罪」アーネスト・カーツ著p82