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自主性について

みやじまあつし先生

最近、みやじま先生の存在を知り、SNSの投稿や本を読んでいる。

みやじま先生は大阪で整体院を開いており、知る人ぞ知るすごい先生なのである。

私が読んだ先生の著書は2冊である。「ただ、生きること」「そして、生きること」

・「自信」について

私はこれらの本を読み始めたころ、自分に自信がなく、どうしたら自信をつけられるのかということをずっと考えていた。また、周りの目を気にして生きづらいなあ、と感じており、どうしたら周りの目を気にせずに生きられるようになるのか、悩んでいた。

私の周りの目を気にするレベルはこのようなものである。

・普通に街を歩いていて、周りの人に変だと思われていないか気にする

・歩行者と目が合うと、自分が変だと思われているのではないかと思う

・普通に話していて、相手がどのように反応するのか気になる

・話し相手が自分を承認してくれるのかビクビクしながら話している


ざっと書いてみたけれど、まあだいぶ生きづらかったなあと振り返ることができる。このような状態になったのは中学生くらいのころからで、生きるのがしんどくて、いろいろと悩んだり、学校のカウンセリングを受けに行ったり、ホメオパシーを試したり、と克服しようとしていた。

フラワーエッセンス

そんななかでも、フラワーエッセンスというのが私の印象に強く残っている。フラワーエッセンスは、水に花の波動を転写して、それを飲むと自分の感情や身体に何らかの形で働きかけるというものである。

フラワーエッセンスの効能としては、自信がない・怒りっぽい・不安症・人を支配したがるなどさまざまな性質の人に向けて多様な商品がそろっている。

もちろん、私が使用したのは自信が持てるようになる、というフラワーエッセンスだった。「自信」というテーマのフラワーエッセンスにも何種類かあり、そのなかでどれが自分に合うのか悩んでいた。

実家暮らしというのもあり、フラワーエッセンスという一見怪しいものを通販で買うのは、なんとなく憚られる感じがあった。それでもコンビニ受け取りという画期的な方法!を使い、フラワーエッセンスを何種類か試したのである。

しかし、待てど暮らせど症状は一向に良くならない。自信がつけられるというフラワーエッセンスを何種類も試しているのに、効いているのかどうなのかよくわからない。

私が試したのは、ハートスピリット、ウォーターバイオレット、ニジャラ、グラガ、マウントフジフラワーエッセンス、ヴォイスコンフィデンスなどである。

フラワーエッセンスは安いものでも1本2500円くらいするので、そうそう何本も買えるものではない。あれを試しても、これを試しても効いた感じがせず、私はいらだっていた。

「なんだよこれ、効かないのか」

しかし、効いてもらわなくては困るのだ。フラワーエッセンスが効いてくれないと、私はずっと生きづらくて、辛いのだ。自信をもって生きたいし、周りの目を気にせずに生きたいのである。

そんなことを思っていた矢先に知ったのが、みやじまあつし先生の存在である。みやじま先生はnoteも執筆されているので、ぜひ見てほしいのだが、みやじま先生の投稿は、一目読んですぐには内容が理解できないのである。投稿は、他の投稿と関連付けてされており、どんどん読んでいくうちに、あるいはふとした瞬間に、あっこういうことだったのかと分かるようになっている。

私はこの本を読めば、自信をもって生きることができるようになるかもしれない、何か答えが書いてあるかもと思い、みやじま先生の本を購入した。

しかし、なんだかのらりくらりと理解できるような、できないようなことが書いてあり、読んですぐに自信がもてるようなことにはならなかった。

ただ、それらを読んで、気づいたことは私はとても他人任せで生きていたということである。

他人任せ

先のフラワーエッセンスの話もそうだが、自分は何の行動もせずに、誰かに何かに自分を何とかしてもらおうと思っていた。

フラワーエッセンスを飲んだら、よくなると思い、自分で何か行動を起こす、変化するということを放棄していたのである。

これをやったら、よくなるはず、こうしたらこうなるって言っていたからやってみよう、といった他人任せの自分になってしまっていた。

みやじま先生の著書を読んだときも、みやじま先生なら何とかしてもらえるのではないか、この人が何か解決してくれるのではないか、という淡い期待を抱いていた。

みやじま先生の話に、「自主性」というものがある。

自主性

他人任せで行動している人は、自主性をもって行動するといいということであった。現代では、受動的に生活している人が大多数であり、昨今の騒ぎもそれを浮き彫りにしている。

受動的に生きている人は、いま、さまざまな不調が体に出てきている。はながきかなくなったり、左目が使えなくなったりとまあ、いろんな不調が表れているらしい。

受動的に生きる以外にも、今皆さんが見ているようなスマホ、パソコンといった画面を見るのも、想像力が失われたりということになる。

みやじま先生のお話は難しくて、よく要約できないのであるが、ようは受動的に生きている人は、生き方を変えるべきであるということである。

私は先生の著書を読み、だんだんと意味がわかってきたような気がする。まだまだ分からないことのほうが多いのであるが、どこまでわかるという正解はないのである。

私はいま自主性を取り戻しつつあり、実生活でも変化を感じている。このような変化である。

・普通に街を歩いていて、周りの人に変だと思われていないか気にする

⇒ない

・歩行者と目が合うと、自分が変だと思われているのではないかと思う

⇒ない

・普通に話していて、相手がどのように反応するのか気になる

⇒どんな反応をされても大丈夫と思える

・話し相手が自分を承認してくれるのかビクビクしながら話している

⇒話していて、相手にリアクションや承認を強制するような態度をとらなくなった

素の自分


自分に自信が持てるようになったのかもしれない。

今までは、

・もっとこうしなきゃ

・完ぺきにやらなきゃ

といった思いが強く、素の自分を出すことなく、ロボットのように生活していた。すべてのものごとに正解があり、その通りに動かなければならないと思い込み、最短ルートで、へまをしないように、ロボットのように動いていた。

しかし、今は素のブラックな自分ももっと出していいのだと思えるようになった。

いま経験しているすべてのものごとは、自分の思い込みや世界の見方を反映したものである。素の自分でいないと、疲れてきて、もっと適当に力を抜いて過ごしていいのだと教えてくれる。

素の自分、ブラックな自分でいてはいけないのだという思い込みは、実は自分が勝手につくったものであり、周りの人はそんなことは実は一言も言っていないのである。

これからもまだまだ素の自分を出していけるように、ただ、生きていきたいと思う。

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