哲学的な思考の備忘録 体の恒常性
人間の体というのは非常に便利で、
環境に合わせて色々強くなったり弱くなったり
恒常性を保つために環境に合わせて微妙に変化するようになっているようです。
筋トレをすれば筋肉が肥大するし、
筋トレも運動もしなければ筋肉は衰える。
筋トレに合わせて食事の量を増やせば食べれる量も増えるだろうし、
小食をしていれば、あまり食事がとれなくなる。
歯も同じみたいで、固いものを食べていれば歯の再石灰化?かわからないが顎も強くなるし歯も固くなるらしい、
逆に柔らかいものを食べていれば、歯は弱くなる。
昔は生きていくのに自身の体を使うしかなかったから、自分の体の筋肉というのは筋トレなどはしなくても良かったでしょう。
水をくむというところから仕事と言える運動量だったでしょう。
しかし人間が今まで行ってきた生産性を上げるための道具の発明や発見というのは、
いままで大変だった活動をいかに楽にできるかという点にあると思います。
食事にしても火を入れたり茹でたりすることで今まで食べられなかったものを食べれるようになり、
同時に食物を柔らかくすることで効率的にエネルギーを手に入れる。
現在の生活においてもあらゆるものが機械化されていて、洗濯も掃除も水くみもボタン一つで事が済む。
考えてみると、人間というか今までの生物の世界というものは基本的に行動において等価交換しかありえない世界だったのではないでしょうか。
自分の行動は自分の肉体でしかできませんから、大きなことをするには大きなエネルギーが必要になる。
ですが人間が今まで発明してきたものというのは、
小さな力で非常に大きなことができる。
人間の行動と等価交換というようなバランスではなく、
道具を使うことでいかに小さなエネルギー消費で大きな行動ができるか。
しかし人間も生物の進化の中に生まれた動物の一つなので、等価交換の行動の前提で肉体ができているならそういう行動をとらないと恒常性を保てない。
時間を節約して機械を使い大量に生産できるが、その後体を維持するために、
ジムに行ってみたり、
ランニングしてみたり、
ストレッチをしてみたり。
今まで必要なかった行動を、行動そのものが維持に役立っていたのにもかかわらず、
多くの人が維持そのものを目的とした行動が必要になっている。
当たり前ですが、仕事をして生活するという事がそのまま肉体使うものであって恒常性を保てるのなら問題はないですが、
生きるために仕事をして、なおかつバランスよく生きるために運動をしなければならない、というのは二度手間であり労力が必要であり、
大きな力、便利な道具を手に入れ、それを十分に使っている人間にとって大きな代償になっているように思います。
現代においてただ仕事をして生活をしているだけの場合、そもそもバランスが崩れてしまっているのが普通で、本当にバランスを保てている人の方が少ないのかもしれないと思えます。
バランスを保つためには、肉体のためには苦労を買ってでもしないといけないのかもしれません。