Kindleを買いました。
自分はどちらかというとアナログな人間なので、
本とかCD、レコードといったものは基本的に現物で買ってきました。
で、先日アマゾンでセールだったので、前から気になっていたKindle買いました。Unlimited3か月付き。
本によっては1ページ分が1ページにおさまらなくて分割されてしまい、見にくいのですが、何と言っても手軽さというのがすごくて、気になった本をバンバン入れて、それはもうななめ読みをしています。
ちょっとした空き時間に触ると、数分のつもりが数十分と読んでしまい、
変にネットサーフィンしているよりは、まだいい時間の使い方かな、と思います。
『身銭を切れ』から以前記事を書いたのですが、
音楽にしろ、こういった本にしろ、非常に手軽になったぶん、
そのものの重要性というか、価値が下がったように思います。
音楽は今サブスクリプション、どころかネットでタダで聴けます。
現在の音楽の聴き方は、
クラシックの交響曲やコンセプトアルバムといった、
数十分の起承転結(もちろんすべてそうではありませんが)を楽しむというより、
ラジオのような一曲一曲を楽しむといった感じです。
再生もシャッフルで流して、
じっくり聞く
ではなく
流して聞くという感じだと思います。
アーティストがどれだけ苦労しようが、
いい曲、いいアルバムがどれだけあろうとも、
有限の時間、有限の肉体でもって、
ほぼ無限ともいえる選曲の中で、
一つのアーティスト、アルバムといったものに固執しているというのは、
考え方によっては、機会の損失であって、
もっと色々な曲を経験できる機会が与えられているのだから、
あれもこれもと聞くのが普通になり、
1曲1曲に対する価値が平均化というか、
さらなる機会のために1回1回の機会に対する期待を低く設定しないと
新たな経験というものができなくなります。
本ももちろん同じで、
ほぼ無限にある書籍の中で、
わざわざ書店あるいはネットショップの中からこれだというものにお金を出して、紙媒体で手元においておく、
という行為をしなくてもいいわけです。
そこまでの労力でなくとも、
絶版のものから最新のものまで、
家にいながら時間を待たずして気軽に手に入れることができる。
絶版だから価値がある、なんてことはないですが、
苦労なくいくらでも手に入るのだから、
手に入れようが手に入れまいが、好きなようにできるし、
選び放題の中で、1冊に固執して時間を使うのは何とももったいない。
次の本にはもっと自分の知りたい良いことが書いてあるかもしれないじゃないですか!
現代というのはインターネットや交通の発達で、
選択肢というのが、ほぼ無限と言っていい状態です。
(もちろん、日本という国に生まれたという事もあるでしょう)
なので価値基準というものが明らかに変わってきている状況だと思います。
仕事にしたって、親の仕事を継がなくても、数あるなかから自分のやりたい仕事に就く。
住む場所だって、飛行機で10数時間飛べば、日本の裏側まで行けますから、行きたいところに行く。
しかし選択肢が増えすぎてしまったことにより、
一つ一つの経験にしろ機会にしろ、無限の中の一つでしかないので、
それが自身にとって、本当に重要な事なのかわからない、という事になっているように思います。
つまり、これを選んだけど、
あっちを選んだ方が良かったのではないか?
という代替の選択肢が常にあることで、
一つ一つの価値の期待が下がってしまっていることで、
なぜ無限の中からそれを選ぶ必要があったのか?
という理由付けが薄く、
より良いものを求めつつ、
しかしどこまでより良いものがあり、
有限な自分はどこまでそのより良い機会というものを得ることができるのかという事を知りえないので、
現実と可能性の間で常に悩んでしまいます。
えらい端折りますが
無限の選択肢の中で価値を見出す、なぜそれを選ぶのか、というのは、
結局のところ他人が言っているから、他人がそれを選んでいるから、ではなく
「自分が」それを選ぶ
という事に尽きるのではないかと思います。
つまり仮に選択肢が無限にあるのでどれを選んでも同じだとしたら、
他人が選んでこれが価値があるよ、という客観性はないので、
自分が選んだというそのことに価値がある。
価値があるから選ぶのではなく、選んだから価値がある。
ここはたぶん逆なんじゃないかと思います。
もちろん他人が選んだんだからそれが価値があるように見えますが、
他人がそれを選んだというそのことに価値があるだけで、
実際にはそのこと、物自体は、自分にとって価値があるかというのは別問題なのではないでしょうか。
なんの話だったか、KindelのUnlimitedだからってあれこれダウンロードしすぎるのは良くないですかね。