哲学的な思考の備忘録 コーヒー抽出から考える科学と禅の思考


コーヒーの抽出は基本的には料理とおんなじで、
終わりよければすべてよし、
ではないのですが、抽出の過程がどうあれど、
味が良ければ良いのです。

とはいえちゃんとした過程でもっておいしい料理ができるように、
コーヒーにも科学的な側面から見た、ちゃんとした過程、理由などが色々あります。

基本的なコーヒーの抽出ルールは

コーヒー 1:16 お湯とか(コーヒー粉10gで160cc)
粉を細かく挽けば苦くなるとか
お湯の温度が高ければ酸味寄りになるとか
粉を多くすれば濃くなるとか
ゆっくり抽出すれば濃くなるとか
蒸らしに30秒かけるとか

まあ色々あります。

こういうのを見ていくと、
全てがつながっているというか、すべてが関係してくるので、
なんかおいしくないな、うまく淹れられないなと思ったときに、
問題になるのが大概一つではなくその他の事も関わってきます。

抽出もそうなのですが、もちろんそれに豆自体の条件が関わってきます。

豆の焙煎度合いによって酸味寄りだったり苦味寄りだったり、
その日その日によって香りの状態なども焙煎後変化していきます。


例えば酸味などをもっと引き出したいという時、なにかの条件を最大化する、例えば粉を粗く挽くという事をする。
しかし単純に豆を粗く挽くと、通常ドリップする場合、
粉が荒い=お湯の落ちる隙間がでかい=抽出が早くなる=薄くなる
という風に、他にも影響が出てきます。

じゃあとお湯の温度を低くしてみると、普段飲む温度と違う=口に入れたときの温度が違うと感じ方がそもそも違う、じゃあ温めなおす?果たして香りは飛ばないで同じなのか?


色々な条件が関わっているので、あれもこれもと変えるとすっかり変わってしまってなんだかわからなくなる。
なので条件にこだわるというより、抽出の仕方そのものより、
色々な条件の全体のバランスをとるように抽出する、
状況に応じて微調整しながら抽出する、といった方が良いように思います。

例えば肉の焼き方にしても、常に全く同じ焼き方という事はないと思います。
この肉をこういう風に焼きたい、この肉は今こういう状態だ、それならこう焼こうというような感じで、過程そのものより、
「目的」のものに近づけていくというやり方を取ると思います。

目的そのものがぶれていなければ、また目的に近づくために過程を微調整していく、そのやり方を知っていれば大きな失敗というものは無いように思います。

分析的に、こうするとこうなるというようなことを一つだけ理解していても、他の色々な物事と連動している現実においては、
それのみを過大評価してしまうと、うまく働かないという事が多々あるように思います。


なのでコーヒーを淹れるときも、
焙煎だけでなく、
粉の細かさだけでなく、
お湯の量や温度だけでなく、
抽出時間だけでなく、

すべて連動していて、それらは確かに重要な要因なのですが、
一つ一つを過大視しないで、あくまで全体のバランサーとして機能させたほうがより良い抽出ができるように思います。

禅の話ではないのですが、木の葉に注目すると木が見えない様に、
木はもちろん木の葉だけで生きているのではなく、
根っこがあって幹があって、枝があって、葉があって、大きさは違えどすべてのバランスでもって木として生きているように、
まあそんな深く考えるものでもないんですが、
コーヒーを淹れるというのも、そんなバランスでできているように思います。

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