100社以上のエントリーから辿り着いた内定。最後の望みが叶った瞬間(#多浪の就職活動編#17)
こんにちは。実質多浪の社会人のロクです。
実質6浪を経て大学に入学し、3年生から就職活動を開始。年齢を理由に不合格が続きました。そんな中、大学のキャリアセンターで多浪経験のある先輩の体験談を読み、励まされ再挑戦を決意しました。
最初はIT業界を志望し大手鉄道会社のSIerで最終面接まで進みましたが、不合格。その後、鉄道業界にも興味を持ち始め、大手私鉄の二次面接まで進む経験を得て「鉄道業界が自分に合っているかもしれない」と感じるようになりました。
その後、大手鉄道会社の現業職に応募。最終選考まで進むことができました。最終面接では多浪についても質問されましたが、落ち着いて自分の経験を語り、初めて面接官から共感を得られる手応えがありました。
最終面接から2日後、内定の連絡を受けた瞬間、これまでの苦労が頭を駆け巡りました。喜びを噛みしめながら、迷わず即座に内定を受諾しました。
前回の話はこちら。
最後の望みが叶う
大学4年生の4月下旬、ついに最後に受けた鉄道会社から内定をもらうことができました。この1社が私にとって唯一の内定先です。
ここにたどり着くまでに私は100社以上にエントリーしたと思います。そのうち9割近くは書類選考で不合格になり、面接まで進めたのはほんのわずかです。
最後の望みだった鉄道会社の書類選考を通過した時、私はエントリーを一旦ストップしていました。選考に進んでいるのはこの1社のみ。最後のチャンスでした。
鉄道会社から合格の連絡が来た瞬間、それはまさに最後の望みが叶った瞬間でした。
これまでの就職活動を振り返り分かったこと
多浪というハンデを抱え、コンプレックスと共に歩んできた私の就職活動。
「高校卒業から6年間の空白期間がある就活生なんて他にいないのではないか?」
「新卒として就職できるのだろうか…?」
そんな不安が頭をよぎる毎日でした。
IT企業を中心に就職活動を続けていたものの、エントリーした企業のほとんどが書類選考で不合格。
運よく面接まで進めても、年齢や多浪を理由に不合格になることが続きました。
…そう思い込んでいましたが、実は自分が「多浪」というコンプレックスを過度に気にし、勝手に膨らませていたことが自信のなさにつながっていたのだと気づきました。
冷静に振り返ると、多浪や年齢そのものが問題だったのではなく、それに対するコンプレックスを抱えすぎ、自分で自信を失っていたことが、就職活動にも影響していたのだと思います。
最後に受けた鉄道会社では、多浪であることを堂々と伝えることができました。
その時私はもう多浪であることを全く気にしておらず、むしろ諦めずに大学受験に挑戦し続けた自分に誇りを持っていました。
多浪経験そのものが私の確かな自信へと変わっていたのです。
家族に内定を報告
内定をもらったことをまずは家族に報告しました。
就職活動がうまくいかず悩み続ける私の姿を見て、家族は本当に心配していたようです。もうこれ以上心配をかけずに済むと思うと私もホッとしました。
高校卒業後、引きこもりやフリーター生活をしていた私。両親は長い間呆れながらも心配していたと思います。
今、自分が親の立場になって初めて、その心配がどれほど深かったか理解できるようになりました。
家族、周囲の支えがなければ、ここまでたどり着けなかったと思います。
これは決して私一人の力で成し遂げたものではなく、周囲が見守る姿勢を貫いてくれたからこそ、最後まで諦めずに歩むことができたのだと思います。
今や親になった私も、子供が何かに挑戦する時は口を出さず見守ることを心がけています。
多浪時代の経験から学んだことが今の私の子育てにも影響しています。
大学のキャリアセンターに報告
その後、大学のキャリアセンターに足を運び、以前多浪の就活で悩んでいた際に相談した職員に報告とお礼を伝えに行きました。
過去、ようやくたどり着いた最終面接で不採用となり立ち上がれないほど落ち込んだ時、再起のきっかけを得た場所でもあります。
その時の励ましがなければ、私は就活を断念していたかもしれません。
職員は私の報告を心から喜んでくれました。体験談を書いてほしいと頼まれ、思いを込めて綴ります。
これまでの苦労や就活のノウハウ、あきらめずに進む大切さを記録に残しました。
私は今、内定をもらった時から15年近くが経ちますが、今その記録を読んでいる人はいるのでしょうか。ふと思いを馳せます。
続く。
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