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世界中の宗教者が誤解してるんじゃないか、って思うこと【聖書のお話、じゃありません!!】

はじめに

「宗教を信じる」って言い方、良くないです。
宗教を信じるなんて言うから、喧嘩も戦争も起こるんです。
だから、皆さん、宗教を信じるの、やめましょ♪

手段と目的を明確に

多分、このnoteというサービスを語る上でも、誰かプロフェッショナルな人が言っているかも知れません。「noteは手段であって目的ではありません」とか、なんとか。

「キミたちがしたいのは、文章作成かい? キーボードを打つことかい? スマホのフリック操作かい? 違うだろ、キミがしたいのは、キミの言葉を届けることだろ? ・・・でもって、出来れば稼ぐことだろ?」

うん、誰か玄人さんが言ってそう。

という、noteのお話は、置いといて。

実は、宗教も手段に過ぎません。と言っても、誤解しないでもらいたいのは、「宗教は手段で、目的は金儲けでしょ」という結論ではありません。

「儲け」という漢字と言葉を、最初に辞書に載っけた人!

ごめんなさい、嫌いです。

宗教は、自分にとって大切な存在に至るための、手段であり、道であり、一つの方法論です。

宗教じゃなく、神様を信じる、ということ

どんな宗教であれ、最も大事なことは、宗教それ自体を神様にしないことです。

宗教というのは、本当の神様に出会いたくて、人が創ったものです。

祈り方、作法、礼儀、規則、戒律、場所、建物、教祖(!)、教師、組織織・・・、とかなんか色々、宗教に付随する全部。

それらは、全て人が考えたもの、作ったもの、何らかの人間的理由があって整えたものです。

それらを大事するのは良いことです。
整えられた場所や時間や所作は、落ち着いて祈るために重要です。

わたしも、日本基督教団の教会で慣れ親しんだ儀礼が、一番心地良く、安心します。

でも、自分の心地よい宗教を、他人に強いてはダメです。

宗教の違い、儀礼の違いをあげつらって、イライラするのは良くありません。

本当に、信じるべきものを知っているなら

人の創り出した宗教で喧嘩するのは、やめましょう。

個々の宗教規則に従って、「これしかない」「こうでなければならない」という固定観念もやめましょう。

人が創ったものを神様として拝むことを偶像崇拝といいます。
偶像崇拝は本当に大切な存在を見えづらくさせています。

そして、偶像は、形あるものだけじゃなく、人のこさえた仕来りや制度も含みます。

あなたが信じているのは、あなたを支えているのは、
宗教ですか? 仕来りですか? 神様(あなたの大切な方)ですか?

思考停止にならず、

宗教が本来持つ役割を思い出して、宗教の先にいらっしゃる、あなたの大切な存在を、見据えて参りましょう。

あなたは、宗教の信者ではありません!
あなたにとって掛け替えのない、素晴らしい方だけを、信じていてください。

あなたが、どの宗教を足掛かりとして、あなたの大切な方に向き合っているかは、分かりません。
でも、あなたが幸せな日々を過ごせるよう願っています。

良い1週間となりますように♪

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手探り牧師
神社にはお賽銭箱が、教会には献金箱があります。いただいたチップは、私の所属する教会と神様のために、大切に使いたいと思います。ご支援頂ければ幸いです。