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夏の想い出。未知との遭遇というお話。※聖書のお話です。

はじめに


手探り牧師と申します。
日本基督教団の牧師職を担いつつ、幼稚園の園長を兼務しています。
よろしくお願い致します。

さてさて、去年の、夏の出来事です。
人と人の繋がりは、とても尊く、嬉しいものだと感じました。
最初は、ちょっと勇気が要るけど、そこに心地良い風が吹き抜け、新しい関係性が芽吹く、かも知れない、というお話です。

聖書の言葉


旧約聖書 イザヤ書25章4節
「暑さを避ける陰となられる」

風の人


エイリアンというと、宇宙人の意味の他に、余所者という意味もあります。往々にして牧師という人種は、エイリアンとなり易いのは、以下で語る通りです。

誰が言い始めたのか。

キリスト教幼稚園の牧師園長のことを「風の人」と言い、仏教幼稚園の僧侶園長のことを「土の人」と言うんだと、私立幼稚園・認定こども園協会の園長会で聞きました。

仏教幼稚園の僧侶園長と言うのは、良くも悪くも世襲で、ずっと同じ血筋の人が園長を担っているということです。それによって、世代を超えた繋がりを保つことができ、「ひいおじいちゃんの時代からお世話になっています」というような関係性が成立します。それは、まるで古来聳え立つ由緒ある大木が、お互いに称え合い、助け合っているという感じです。

かたや、「風の人」たるキリスト教幼稚園の牧師園長は、良くも悪くも、まさに野の草のようであり、100年の歴史にあって「明日には過ぎ去っている」という印象です。結構、転勤多いので。ただ、その代わり、風が運び来る様々な種があり、香りがあるように、「風の人」は、新しいものを届けるのだと言います。

「土の人」がいて、「風の人」がいて、それによって礎の確かさと、新鮮な雰囲気とを両立している、というような話を園長会で聞きました。

しかし、「新鮮な雰囲気」と言えば聞こえは良いですが、それは、これまた良くも悪くも、「未知との遭遇」という現象が伴います。お互いにですけどね。風の人とは、エイリアンであり、未知なる存在であり、どこへ行っても、腹を括り、気合を入れて「初めまして!」という挨拶をしないといけません。もう慣れましたけど。

本町2丁目に出現した風の人


「未知との遭遇」と言えば、昨夏に行われた、本町2丁目納涼祭も、そうでした。私自身も未知に遭遇しましたし、本町2丁目の方々も、私という未知の存在に遭遇したかと思います。

「あれは、誰だ」と。

もうちょっと正確に言いますと、納涼祭の準備をしていた時の話です。私は、今期、本町2丁目の第3組の組長を仰せつかっておりますので、その立場から、納涼祭の準備に関わることになりました。

とある土曜日、天気予報では「極めて危険」という熱中症警報が出ている、午後1時。本町2丁目の男性有志約10名は、本町第三公園に集まりました。

集まった時点で、みんな額に汗してタオルで拭いつつ、でも、なんだか楽しそうで、ワイワイ作業に移ります。まずは公園に設置してある物置から、お祭りの各種備品を運び出すところから始めました。

「阿吽の呼吸」というのは、こういうことなのかなと。あだ名で呼び合い、指示を伝え合う、キビキビとした男性らの活躍が眩しい。

私は精一杯に空気を読んで、良かれと思う作業に集中しました。

舞台を作り、観客席を整え、屋台の調理場を設置し・・・。

そんな中、一番大変だったのは、提灯を吊るすこと。炎天下、地面にしゃがみ込んで、電源コードに連なるソケットに電球を一個ずつねじ入れていきます。電球の取り付けが終わると、提灯のカバーをかけていきます。

ただ、電球は、毎年使いまわしているものなので、いざ電源を入れてみると、切れている可能性もあります。だから、すべての提灯が整ったところで、工事現場用のエンジン発電機に繋いで、試しに電気を流してみました。

すると、あろうことか、発電機の電圧設定が高すぎて、3分の1の電球が切れてしまいました。炎天下、直射日光が刺さる状況でも、一瞬、強く光って切れる電球って、ちゃんと視認できるものなんですね。

でも、そんな瞬間刹那の電球よりも、さらにずっと輝かしかったのは、汗だくで作業する本町2丁目の男衆です。

「ありゃあ、切れたわ、電圧高すぎるんと違うか」
「ちょっと見てみるわ」
「あー、こりゃ、ダメやろ、高すぎるわ」
「やっぱ、そうかぁ」

と言って、怒るわけでも、責めるわけでも、愚痴るわけでもなく、お互いに笑ってるという。極めて危険な日差しのもと「余裕やな、この人ら」と思いました。

再度、予備の電球をねじ入れる作業を続けていたら、「そろそろ、休憩しよか」との区長の一声が響き、一同、公園の中にある大きな木の木陰に集まりました。

発泡スチロールの蓋が開き、ある人は差し入れのお茶を飲み、ある人は差し入れの塩キャンディを舐め、そして、ある人は差し入れの缶ビールをプシュッと。

熱中症警報が出ている状況下での屋外作業中に、ビールを差し入れるという、この強者感。そして、それを喜んで開けて、一気にあおるという強者感・・・。

一足早く始まった、炎天下の宴です。

そんな中、「なぁ、そこの若い人、どちらさん?」というお声掛けを頂きました。作業中、なんとなく感じていた「あれは、誰だ」という視線。少々のアルコールが入ることで、敷居が下がったのか、いよいよ自己紹介を、という時を迎えました。

もっとも、作業が始まる前に自己紹介しとけよ、という話かも知れません。でも、言い訳するなら、現場に来た人から、なんとなく作業を始めるという感じで、一人ひとりを呼び止めて、わざわざ「初めまして、よろしくお願いします」という雰囲気ではなかったんですよね、言い訳ですが・・・。

ともあれ、お声掛け頂いて、やっと自己紹介ができるとなった、その時。「この人は、あそこのキリスト教の教会の人よ」というご紹介をご近所さんから頂きました。

ナイス・アシストと思いきや、しかし、微妙に情報不足な紹介のせいで、

「そうかぁ、教会の人かぁ、こりゃあ、どうも、神父さんでしたか」

これは、個人的に非常に難しい問題です。こういう状況に遭遇した時、牧師は、どういう受け答えをしたら正解なんでしょうね。

「私は、プロテスタントの教会に所属する牧師です。プロテスタントと言うのは、今から約500年前にカトリック教会に抗議して生まれまして、カトリックの神父とは違うんですよ」

とでも説明すればいいのか・・・。いや、そんな説明するわけありません、空気読めるので。

なので、いつも無難に「そうなんですよ、教会で神父をやっている牧師なんですよ」と、教会的には滅茶苦茶なことを言って誤魔化しています。

でも、いつの日か、私のこの理屈が主流となって、神父と牧師の違いが曖昧になればいいなと願っています。ごめんなさい、余談です。話を戻します。

「あそこの神父さんね。で、神父さん、飲めるでしょ? じゃあ、ほら飲んで飲んで。まだ冷たいから」

結局、私は神父として、発泡スチロールの箱に入っていた、微妙な冷え具体の缶ビールを頂き、それを飲みました。

おまえも飲むんかい、というツッコミは、ごもっともです。でも、なんか、こう杯を交わす的な、通過儀礼としてですね、地域の仲間にはなりたいですし、まぁ、言い訳ですが・・・。

危険な炎天下。でも、一同が集まりビールを飲み交わした木陰は、不思議と涼しくて、これからまだ作業は続くのに、という心配がありつつ、でも「楽しい祭りを準備する楽しみ」を、一緒に味わうことができました。

もしかしたら、その木陰って、神様の御用意された、「暑さを避ける陰」だったのかも知れないなぁ、と思います。

と言うのも、「楽しい祭りを準備する楽しみ」があること。そして、そもそも「祭りが開催できる平和が、ここにあること」。宗教の違いはあれ、伝統の違いはあれ、文化の違いはあれ、「お祭り」が開催できるのは、神様からの賜物だと言えます。

真面目なところを言えば、ですね。

私の気持ちを言えば、そういう平和の実現は尊いけど、その時、感じた喜びは、また違う。

一緒にお祭りを準備する楽しみを、エイリアンにも分けてもらえた。

嬉しかったのは、心地良かったのは、そこですね。

午後6時を迎え、納涼祭が始まりました。区長の許しを得て、幼稚園のインスタで告知したのが奏功したのか、幼稚園の家族連れの来場もありました。

「いらっしゃいませー、ヨーヨー釣りしませんかー」

風の人は、この度、ヨーヨー釣りのおっさんと化し、1回100円の売り上げに精を出します。

「園長先生、そこで何やってるんですか!?」とか、
「園長先生が、ヨーヨー屋さんしてるー!」とか、
「うわ、ビックリした、え? なんで?」とか。

そういう声掛けが嬉しく感じるのは、風の人が板についてきた証拠でしょうか。

「いやぁ、ちょっと転職しようかと思って(笑)。はい、1回100円だけど、大丈夫大丈夫、失敗しても、おまけで2個あげるから、やってかない?」

神様の祝福があればこそ


暑さや寒さ、緊張や恐れ、不安や心配。

そういうものから守ってくださる神様のことを、私は信じています。どんな時にも、祝福と力を与えてくださる方を、仰ぎ見ています。

どこへ行っても、どんなことがあっても、必ずそこには木陰が出来る。心地良い場所が用意される。その確信が、未知との遭遇を乗り越えて、新しい関係性を生み出し、喜びや笑いや発見をもたらしてくれる。

ここまで、お読みくださり、ありがとうございます。

皆様の上にも、神様の祝福がありますように。
時に適って美しい、そして嬉しい神様の御業が示されますように。

お祈り致します。


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手探り牧師
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