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自己紹介


 プロフィール文を書いてみよう〜と、ブランディングを学ぶセミナーで聞いたので書いてみる。

 が、何を書こうか?といきなり詰まる。
 いつもなら、段取りを整え、理路整然を並べてみて、なんならAIに文章校正をしてもらいより魅力的に書いてもらおう!
 となり、石橋を叩きまくって、壊してしまう。
 なんてことが起きるので、今日は何も考えず、各時代に分けて書いてみることに。
とは言っても、全部読んでいただくのも大変なので、ダイジェスト的に、かつて就活時代に使った自己PR分を使い書いてみる

0.僕という人

 1985年大阪で生まれ、兵庫県で育ち、大学時代、鳥取へ。
 大学卒業後、地元に戻り、大阪→神奈川→千葉を経て、東京に住んでいます。
 
 僕という人を端的にいうのであれば、馬鹿なんです。いい意味で笑
 小学生時代に行った祭りで楽しさを知り、祭り馬鹿になりました。
 中高時代は、野球に明け暮れるほど野球馬鹿になりました
 大学時代は、環境問題を学問の第一の分野として学ぶ大学に入り、環境馬鹿になります
 そして、メーカーの営業マンを経て、結婚、子育て、転職をする中で巡り合ったマヤ暦鑑定士という仕事。
 さらには、神社や日本の神話の話が好きで、マヤ暦、神社などにハマっているスピリチュアル馬鹿です。

1.生まれてから幼少期

 1985年大阪府で長男として生まれる
 一学年上に姉がおり、我が家の二人目の子供として生まれました。

 両親共働きだったこともあり、幼少期は、保育園に預けられていました。
 その保育園は、父母と保育士が仲良く子供たちのために土日に保育園に集まり、いろんなイベントをしていてくれてたことがすごく記憶に残っています。
 余談ではありますが、そんなこともあり、姉はその後、保育士を目指して行きました。

 この頃から、争いごとを嫌う傾向にあったのか、ただの馬鹿なのか、運動会でのかけっこで笑いながら走るような人でした。

 でも、保育園の先生方からは、変わった子供と思われていたようで、将来が楽しみとよく言われていました。

2.祭りバカが生まれた大阪での少年期

 小学生に通い始めると、自我が強く、他人の意見を聞き入れることが苦手な人でした。
 また、こうと思うと真っ直ぐ突き進むそんな性格のため、気持ちを曲げることができませんでした。
 そして喧嘩をしては、よく学校に行きたくないと言ってました。

 そんな頃出会ったのが、今でも通い続ける大阪の祭りです。
 年に一回秋に行われる祭りになると、太鼓の音を聞くだけで心が踊り、飛び起きていくような人でした。

 そして、ひとつの目大きな転換期になったのが、1995年の阪神大震災の年でした。その前日まで両親が建てた新居に引越しの荷物を入れにいっていました。
 その地こそ、自然が好きになった場所、兵庫県三田市でした。

3.自然が好きになっていった兵庫での少年期

 1995年4月、小学5年生になった僕は、新天地、兵庫県三田市の生活が始まります。田園都市と謳われた三田市は、生まれ育った東大阪市より春夏秋冬がはっきりとしていました。
 ニュータウン地区に僕の家は都市計画で作られた公園、街路樹があるような街にありました。
 春には街路が花や木々で色づき、夏には盆地ということもあり暑い日々、秋には木々がしっかりと色づき、冬には、氷点下9℃まで下がるような土地でした。

 その中で育つ中で、自然の良さを少し気づくことになります。
 また、その頃よくキャンプに連れて行ってもらっていたことをもあり、自然が好きになっていきました。

4.野球バカになっていった中高時代

 小学校を卒業すると、中学校に入り、野球部に入ることになります。
 野球がうまかったわけではないですが、チームメイトと力を合わせ、試合に勝つ楽しさを実感できました。この頃から、チームを組み一緒に何かを成し遂げていくということに強い関心を持つようになっていきます。

 高校でも野球部に入りにより一層のめり込んでいきました。その結果、学力が大幅に落ちるという失態はしますが、直向きに頑張ること、切り替えをしっかりしながら、いろんな物事に取り組む大切さを学びます。

5.環境バカ、イベントバカになっていった大学時代

 高校を卒業し、大学では、地球環境問題を第一の分野としている大学に進学します。高校1年の秋に、将来のことを考えた時、環境問題に携わる人、福祉に携わる人が今後必要になると感じました。その当時、姉が福祉に行くことが見えていたので、反対の環境問題に携わる人を選びました。

 この大学では、地球環境問題を解決する何かが学べると思い入学しました。
 そんな僕に早速の洗礼が待ち受けていました。意気揚々と受講した最初の授業で、こんなことを教わります。

 ①環境とは、自分の身の回り全てである
 ②地球環境問題を解決することは『矛盾』を解決すること。

 ②の話を聞いた時、絶望しながら、これから何を学ぼうという感じでした。
 でも、それが逆に効果的で、どんどんのめり込んでいきます。環境にやさしいが本当にそうではないこと、解決する手法がないわけではないこと、そして何よりも自分の身の回りのことをよく知るということ。
 その結果、自分なりの回答は出ました。
 知りたい方は、直接会った時にもで聞いてみてください!笑

 その頃、もう一つ力を入れていたのが環境イベントの運営をすること
 当時、全国のいろんな大学で環境サークルができてきており、その人たちが集まるようなイベント(ギャザリング)も開催されていました。
 そして、そのイベントの運営に大学2年生から関わるようになり、1泊2日〜4泊5日の合宿イベントを年間3回ペースで携わるようになっていました。
 そこで学んだイベントを運営するスキルは今でも非常に役に立っています。
 

6.マヤ暦との出会い

  そんな僕とマヤ暦の出会いは、2020年4月息子が生まれたことがきっかけでした。僕の師匠に出産祝い代わりにとマヤ暦鑑定を家族全員分していただいたのです。その時、師匠に教わったのが、人はそれぞれ生まれ持った資質や波動、エネルギーがあること。そして、それを体現して日々を生活することによりシンクロニシティ(意味ある偶然)いわば、ミラクルを引き寄せることができるということ。
 この話を聞いた時にピンときた!息子が一生涯シンクロニシティを引き寄せやすくなるかは僕にかかっていると思ったのです。
 親の教育により、大本の生き方をできているかどうかが決まってくると感じたからです。
 そして、何よりもまずは自分が自分の本来の生き方をすることが重要だと思い、マヤ暦鑑定士の資格を取ることになりました。

7.スピリチュアルに目覚める

 そして昨年、とある事件が起きたのです。
 僕の霊感力が凄まじく高いということ。
 友人伝で、霊感力を測定していただける機会をいただきました。霊感には、受信と発信があり、受信としては五感+直感力、発信としては、サイキック力というものがあるそうで、それが軒並み自覚し、活用するレベルの霊感力を持っているということでした。

 ん?そうなの?
 みんなできるんじゃないの?

 というのが、結果を聞いた時の僕の思いだった。
 そう、僕は自覚が薄かったのです。

 思い返せば、いろいろ不思議体験の思い当たる節もあり、周りの人からももっと直感を信じた方がいいよとかもよく言われていました。
 ということで、2024年に入り、より意識して霊感を信じてみることにしました。
 そうすることでミラクルがよりたくさん起きるようになり、毎日楽しく生活しています。


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