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時限爆弾の爆発に似ている

去年適応障害になったのは・・・本当におかしいなと感じ始めたのは
ちょうど、誕生日を迎えた直後。

そして私は20年以上デザイン業に携わっておりますが、この仕事もちょうど20年経って21年目に入る時でした。

初投稿の自己紹介の記事にも書き気づいてしまったのですが(やはり文字にすることは大事だと早速実感)
自分の好きなことや、価値観、特性などを理解せず見ないふりをして仕事に没頭していたのは、ある時からふと違和感を覚えたからのような気がします

「私はこの仕事を好きなはず」「私はこの仕事が天職なはず」と思い込み
25歳の時に別業界から転職して今の業界に飛び込みました。

初めは憧れて信念があり思い切って飛び込んだ業界でしたが世間でも認知されるくらいの筆頭ブラック業界でした。
数年間は雑務ばかりで楽しくなく、向いていないと思いを持ちながらも我慢していればそのうち思うような仕事ができるはず・・・
と言い聞かせながら過ごしました。
何より、転職時に強い思いをもって大好きな実家を出て上京時に「もう後には戻れない」という思いや
「犠牲にしたものは大きいのでここで成功しないと」と自分を追い詰めて
退路を断つような覚悟でこの業界に飛び込んだのも後々自分を追い詰めたのでした。
この業界で成功しないと私の存在意義がないと。

そしてクリエイティブな仕事をできるようになったのも
自分の能力が低かったのと環境によりキャリアを積むのに時間がかかったように思います。同期と比べてしまい
そこでさらに自己肯定感が低くなったようにも思います。

それでもキャリアを積んでいきましたが、徐々に気づき始めたのです。
「この仕事は私に向いていない作業が多い」「楽しくない」

でも、もう後には退けないのです。犠牲にしたものも多くありました。
しかしとうとう目を背けられない事に気づいてしまいました。

「これ以上、上(最終目標)にいけない」
「時間がもったいない」

ということに。
しかしそれでも足掻きます。
この思いも、もしかしたらただガムシャラに仕事をしていれば吹っ切れるだろうと。何か好転する時が来るかもしれない。
仕事なので嫌いなことや向かない事もあるのが「普通」だと自分に言い聞かせて。
何年も感じていた「違和感」に蓋をしてハラスメントを受けながらも
「いつかきっと」と思いながら脳死状態で仕事だけに邁進しました。
趣味も友達も休日も犠牲にして仕事をしました。

しかし難儀だったのがこの仕事も楽しい瞬間や向いている作業、好きな作業もあったので向いていないことや嫌いだと思う事は見ないように気づかないように目を曇せて好きなことだけにフォーカスするようにして
その違和感と向き合わずに問題を先送りにしていました。

おそらくそのまま時間が解決した問題もあったことでしょう。
しかし根本的な「違和感」と向き合わず対処せず、問題を先延ばしにし
20年間溜めてきたソレは20年経ってとうとう心が限界に来た時に爆発します。

まるで時限爆弾のように、不発弾ともいえるかもしれません。
寝かせた事によりさらに強力になり
たくさんの時限爆弾がうまれていて、一つが爆発したことにより
呼応するように次々と地中に埋めたはずの爆弾が爆発してしまったのです。

まだ「小さい違和感」だった時に向き合い対処できていれば良かったのかもしれません。
何故コレと向き合わなかったかは以上で説明した以外にもあります。
ここも大きかったと思います。
また次の記事でかけたらなと思っています。

心の整理ともう同じ轍は踏まないぞという思いを込めて。



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