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日記「モッガラーナはサーリプッタの夢を見るか?」

今日は墓参りに付いて行く日。
本当はガヴとブンブンジャーをリアタイしたかった。せっかく日曜日が休みなんだもん。
でもわたしは祖父母の墓参りに付いて行く事を選んだ。その方が祖父母が喜びそうだから。
でも本当は特に行きたくはない。
でもねえ。休みの日に1日家から出なかったらそれはそれで気が滅入りますよ。

どっちを選ぶって言われたら…どっちもどっちだなぁ。
それでまあ。わたしは墓参りを選んだんだけど。つまらないぞうこれは。

わたしは将来の小さなヤな事を心の中で増幅させる癖があるので、昨日の昼過ぎからもうウンザリもウンザリしていた。トメィトゥ。
欲を言えばニチアサリアタイしてからお墓参り行きたい。
いや、違うな。本当にしたいのは…70万円もらうこと。




ホットトイズ…PS5…わたしは本当にこれが欲しいのか…。
例えば欲しいホットトイズ。クリストファー・ノーランの撮ったVer.のバットマン。
これはねえ…。欲しいって思うんだけどねえ。
メルカリとかで実物の写真を見てると(こんな凡庸なのか…?)って思う。
こんな凡庸なの、別に欲しくねえなって。思いますのわたくし。
逆にね!褒めをするとしたらこんな普通の格好の人をあそこまでカッコよく見させるクリストファー・ノーラン監督の手腕がヤバってハナシ!




ハーなんも書くことねえ。
最近ねえ。view数がずっと上り調子だったのに一転してガクンと下がってるんだよね。
noteって連続更新さえしていれば内容関係なくドンドン数字が上がっていくゲームかと思ってたけど、そうでもないらしい。

ここで焦ったりするほど数字に取り憑かれている訳ではないんだけど。
でも数字に肯定されている感覚があったのは確かで。
それが下がっている今、世界からお前の書くものは面白くないぞと言われている様な気分。





わたしは「道」と言われる様なものはほとんどやったことがない。武道とか、茶道とか。
書道はやってたけど小さい頃だからなんも理解していなかった。
だからほとんどわからないんだけど、道と付くものは心の修練であるらしいと聞く。
この概念が好き。
弓道だったら的に当てれるかどうか、剣道だったら相手に勝てるかどうかを重視している様で、実際はそれを通じて心のあり様を鍛えている、という話。これが好き。


主に武道系で、残心という概念がある。
これもわたしは分かってる訳ではないんだけど、わたしなりの解釈で言うと、フィニッシュムーブを決めた後にも気を張り詰めたままでいること。
勝ったとか終わったとかの結果が出た後も全く緩まずにい続けること。
それが残心。だと思ってる(学習元:ニンジャスレイヤー)。

これが好き。で、これがわかってる訳ではないからこそこう思うんだろうけど、ポルノ漫画にも残心があると思う。
例えば、射精した瞬間でハイ終わり。そこまでしか描いてないものよりも、射精の後半や終わった後まで描いている作品の方が良い様に思う。
射精の残心。
それだけでなく、セクースでも同じ。
ハイ2人とも絶頂しました、終わり。
これは残心がない。その後。
事後で服を着る場面であるとか、数日後学校で会った時にお互い気まずい描写であるとか、そういうもので終わっている場合、これはセクースの残心がある。

射精もセクースも、残心があった方が作品の質が大いに高まる、様にわたしには思われる。


じゃあ墓参り行ってきま〜す。

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