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~ショウタロウのココロ洗濯5~

幸せになる人は、大きな数字を達成したその先に、「別の価値観」を見い出した人

例えば、試験の点数、営業成績、売上などについて、「数字」を追いかけていくとします。その結果、50が100になれば200を望み、200が300になれば400を望み、400が500になれば600を望み……と、私たちは際限なく、「上の数字」を追い求めようとします。
 私たちは、限りある数字を追いかける事はできますが、400が500になり、500が600になり、600が700になっても、決して「無限大」に到達する事はできません。


私たちの多くが、「『無限大』に到達すれば『幸せ』になれる」「より大きな数字を達成するほど、幸せも大きくなる」と信じ込まされて生きてきた気がします。
ですが「より大きな数字を達成すれば、幸せになれる」のではないようす。
 幸せになる人は、大きな数字を達成したから幸せになったのではなくて、大きな数字を達成したその先に、「何かまったく違う別の価値観」を見い出し、幸せを確認する事ができたのではないでしょうか。
 
100を1000にして、1000を1万にして、1万を10万にして……と数字を大きくしても、幸せにはなれません。むしろ「逆の考え方」をしたほうが幸せになれるようです。
 
逆の考え方とは、「数字を大きくするのではなく、数字を減らしていって、『ゼロ』に戻す」という発想です。
 
つまり、「これをしなければならない」とか、「こういうものを達成したい」という数字を限りなく「ゼロ」に近づけていって、ついに「ゼロになってしまう」事です。求めるもの、望むものが「ゼロ」になる方向に転じてみるのです。


これは、今までの学校教育や、3次元的な経済社会の中での方向性とは、正反対の考え方です。
もし、望む事、欲する事、希望する事が「ゼロ」になったならば、そのときに、はじめて「ゼロ=無限大」になるようです。
 
なぜなら、「ゼロ」は、望む事、欲する事、希望する事がなくなった状態であり、それはすなわち、「すべてのものに対して、満足している」「すべてのものが手に入っている」「すべてのものが満たされている」事にほかならないからです。
あれも欲しい、これも欲しいと追い求めているうちは、いつまでも満たされないため、幸せを感じにくいと思います。
 
望む事、欲する事、希望する事がなくなってしまう事。この「ゼロ」の状態こそが、「ありとあらゆる幸せを手に入れた状態」「ありとあらゆる現象に幸せを感じられる状態」なのではないでしょうか。「何も求めない状態=無限大」にほかならないと思うのです。
何か素晴らしいものが手に入らなくても、何か素晴らしい出来事が起きなくても、「私」が目の前の現象を「幸せ」だと感じ取る事ができれば、そこには「幸せ」が存在していると思うのです。
 
 

神様が味方をしてくれる人になる習慣


人は1人で生きていると「ヒト」ですが、喜ばれるように生きていくと、人と人の「間」で生きる「人間」に変わります。
人の間で生きるという事は、「自分が必要とされている」という事です。「人間」の生きる目的は、ほしいものを得たり、何かを成し遂げる事ではなく、
・「人の間で喜ばれる存在になる事」
・「『ありがとう』と言われる存在になる事」
 に他なりません。
発する言葉や表情など、その人の振る舞いが「まわりを喜ばせるもの」になっていれば、投げかけた結果として、まわりの人があなたにとっての「よき仲間」になってくれるでしょう。
 
「しあわせ」の語源は「為し合わせ」です。お互いにしてあげる事が、「幸せ」の本質なのです。
努力をして、頑張って、必死になって、自分の力だけを頼りに生きていこうとする人の元には、人は集まりません。「孤独という状態」が続いてしまいます。
 
一方で、「自分の力なんてないんだ」と思っている人は、まわりに支えられて生きている事がわかっているので、「謙虚」です。
「謙虚」とは「感謝」する事。「感謝をする人(「ありがとう」を言う人)」の元には沢山の人が集まってきて、「よき仲間」に囲まれます。
教え合い、学び合い、交歓し合う「よき仲間」に囲まれたなら、それだけで「天国度100%」。頑張りも努力もいりません。ただ、「喜ばれる事」を続けていけばいいのです
「思いを持たず」、よき仲間からの「頼まれごと」をただやって、どんな問題が起こっても、すべてに「ありがとう」と感謝する(受け入れる)事。
 
「そ・わ・かの法則(掃除・笑い・感謝)」を生活の中で実践する事であり、「ありがとう」を口に出して言い、逆に、「不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句」を言わない事。
 すると神様が味方をしてくれて、すべての問題も出来事も、幸せに感じて「よき仲間に囲まれる」事になり、「喜ばれる存在」になる。
 これこそが「人生の目的」であり、「幸せの本質」なのです。  以上
 
 
 
 
これ迄は「運気を上げる」コツ・習慣での教えや情報でしたが、今回は、「目から鱗」の教えだと思いました。私もこれまでの自分の振る舞いを振り返ると無力が故に得られた経験や周りから頼まれて、只その期待に応えていた頃、自分自身の心や生活が、とても充実していた様に思い出されました。笑顔も自然と多くて明るい奴と言われる頃を懐かしいとしみじみ感じてます。
「当たり前」は、人に各々違います。自分の中の「当たり前」は、他人からすれば「凄い」「恵まれている」と捉えられる時もありますが、逆に「可哀想」「恵まれていない」「未だ未だ未熟だな」という捉え方をされた経験もあります。
強欲な方は、大にして人から好かれる事は、少ないと思います。でも素直に自分の能力の無さを自覚し、周りの助けがあって今がある事は事実です。「運気を上げる」事に意識が隔たり、それを狙って実践しても結局、良い事があってもありがたい事をされても気づかずに結果、反感を与え「よき仲間」はいなくなってしまう事も凄く理解出来ます。逆転の発想で自分だけでなく「周りの方々」に有益な事をして有名人になられた方々も今迄の経験知から納得出来ます。

自分独りで頑張ってもたかがしれてますよね?素直に「わからない」事を「わからない」として、他人に助けてもらった際、自然に「ありがとうございます」が言葉として自然に出てきます。「ゼロ」=「無限大」の考え方には、割腹致しました。
今、世界中に日々起きている争い・犯罪・事故・災害。これは、神様が「ゼロ」にしなさい!という警告なのかもと考えられます。私見ですが。

石破政権下で何が起きようと今後は、不平・不満・文句を口に出す前に「ありがとう」と言える事になろうと思います。ショウタロウのココロの洗濯も5回も続けて無駄だったかもしれませんが、自分の得た知識に疑問・わからない・知らない事に対して「何故?を最低5回繰り返す」という教えがあります。
それを実践しただけです。今あるモノで暮らす事に不平不満を言わず、ただ「ありがとう」を言い続け、誰かの為に「望まれる」事を実践して行こうと考えております。
今回も最後まで読んで頂きありがとうございました。    「W」より

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