本音のあり方
人の本性がもしも刃と変わらないから、人の本音は私の本音は刃だ。誰かを気づつけるものだ。使い方に気をつけないとただの凶器。
そう考えると、言葉遣いとは鞘のようなものだ。人を傷つけないための優しさだ。
今の私は、自分の本音に苦しめられている。昔、母からこう言われた。
言葉遣いに気をつけなさい、お前は人を傷つけやすいのだと。
全くもってその通りだ。私は私の本音で他人も自分も傷つけてきた。
しかし、言葉とは目には見えないものだ。簡単に鞘に納めることができれば、私も苦しくはないのだろう。
なぜなら、平常時の私は言葉遣いにはうんと気を遣っている。それでも、本音は建前という鞘から抜け出してしまうのだ。
おそらくは気をつける点が違うのだろう。それはわかるのだが、具体的にどのように改善すればいいのかさっぱりなのだ。
いったい本音はどうすればいいのだろうか。