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《短編小説》男を轢いた女

(キキーー、ゴン!)
軽自動車が人を轢いた、
男「痛い痛い痛い痛い…!」
男を轢いた女は車内で呆然としている
男「痛い痛い痛い痛い…!」
男を轢いた女は我に返り男を見てクラクションを鳴らす
(ファーーーーーーー!)
男「痛い痛い痛い痛い…!」
男を轢いた女が車から飛び出し、男の元へ駆け寄り尋ねる
男を轢いた女「あなたは誰ですか?」
男は少し困惑しながら答える
男「後藤直己です。」
男を轢いた女は安堵の笑みを浮かべ男に問う
男を轢いた女「もし宜しかったら、私とお付き合いして頂けませんか?」
男は苦痛の顔を満面の笑顔に変えて答える
男「もちろん!」

恋の予感がした…



男を轢いた女「これから一緒に海でも見に行かない?」
男「いいね!それなら僕が運転するよ!」
男を轢いた女「いいの?ありがとう!」

二人は男を轢いた車に乗って1番近くの海を目指した。
走り出した車の中には、まだ出会ったばかりの緊張感と気まずさが初々しく漂っていて、会話もそれほどはずむ訳でもなく、でもそれすら二人には楽しい時間に思えた。
何度目かの沈黙の時に男を轢いた女が言った。
男を轢いた女「音楽でも聞かない?」
男「いいね!選曲してくれるかい?」
男を轢いた女「もちろん!」
男を轢いた女はダッシュボードからCDを取り出し、カーステレオに差し込んだ。
しっとりしたイントロから突然のアップビート

男「もしかしてEE JUMP?」
男を轢いた女「おっととっと夏だぜ!」

年の瀬に二人は出会った
出会い頭の出来事だった
イルミネーションが輝いていた


男を轢いた女は肘置きに置かれた男の手をそっと握り、頬を男の肩に寄せて、しばしの間男の温もりと音楽を堪能した。
男もこの幸せな時間が少しでも長く続くようにとゆっくりと車を走らせた。

男「海が見えてきたよ!」
男を轢いた女「ほんとだ!」
男を轢いた女は助手席の窓を全開まで開けた。
すると外のキンキンに冷えた空気が車内に入り込み、すぐに窓をしめて男の手を強く握って言った。


男を轢いた女「なんか宗教入ってる?」
そこから男を轢いた女は、リピート再生中のおっととっと夏だぜ!のボリュームを少しだけ絞り、海に着くまでの数十分間勧誘を続けた。

男を轢いた女の話し慣れた饒舌な勧誘と、キラキラと輝く瞳が、クリスマスのBGMとイルミネーションの様で心がときめいて、まだサンタクロースを信じていた頃の様に胸が躍った。

恋の予感が確信へと変わった…


海に着いて外に出ると、息ができないほどの冷たい風が吹いていて、男を轢いた女は必然的に男に抱きついて言った
男を轢いた女「さっきは轢いてごめんね」
男「お陰様で今では僕の心は完全に君にヒかれちゃったよ」



数秒か数分かの沈黙
とても長い沈黙だった…


男は風と波の音だけの沈黙に耐えきれずに言った
男「僕と結婚してくれませんか?」
風と波の音に男の心音が重なる
男を轢いた女は右手を挙げて男の左頬を思いっきり叩いた
男は突然の出来事に驚き、目を見開いて男を轢いた女の方に向き直した
男を轢いた女は叩いた手の甲で今度は男の右頬を思いっきり叩いた
何が起こったのか全くわからないという顔の男に女はもう一発左の頬を思いきり叩いた
夜の海の風と波と男の心音の音に頬を叩く音が重なった
男を轢いた女は無表情の顔を満面の笑顔に変えて言った
男を轢いた女「もちろん!」



二人は結婚した
突然の出会いで、たった数時間の出来事だったが、二人にとってはとても濃密で刺激的な時間だった。


半年後二人は盛大に最高な結婚式を挙げるために何度もプランナーのもとに通い、最高のウエディングドレスを選び、最高の食事を選び、最高の式場を選んで離婚した。


男の手元には何も残らなかった、別れは辛かったし、今でもあの衝撃は忘れられない。
それでも男は前を向き、新しい出会いを求めて外に飛び出し、歩き慣れた歩道を歩き、ふと信号待ちをしている1人で車に乗る女性に目星をつけた。

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