4年ぶりにテニスをして、ちゃんと怪我した
近況報告
芸人としての活動ができるようになり、まだライブには出ていないのですが、ネタ見せだったり、ライブの手伝いもあり、やっと本来の楽しい日常が帰ってきたような気がします。
久しぶりに会った先輩芸人や同期や後輩も、気さくに話しかけてくれました。村人総出で雨乞いして、土砂降りになった時くらい嬉しかったです。
改めて、芸人って、みんな意味わからないくらい面白いし、不謹慎な人たちだと思いました。
もれなく全員、口軽いし、噂話が大好きなので、僕らについていろんな話が出回ってるようでした。
芸人は、やたら話盛るし、ボケるので、「事実」がかなり曲解された「おもしろ話」として広く出回っているようでした。
「面白い」と「不謹慎」のハッピーセットは、芸人の十八番です。
二つの情報があった時、絶対に面白い方の情報を選択して、つまらない方を捨てるのが芸人なのです。
これは、考えてみれば、当たり前の話です。芸人にとって「面白い」が一番重要なのですから。そういう脳の思考回路になっているのです。合理化された頭のおかしさです。
根拠も何もない、誰がそんなこと言ったの、という、ただただ「面白い情報」が芸人の耳に入り、より面白く、より不謹慎に洗練されていき、さらに芸人の巧みな話術により、「それっぽく」波及していく。
それにより、事実はもはや、事実で無くなっていく。
芸人の世界は、決して事実や真実を求めていないのかもしれません。求めているのは、常に「面白さ」。芸人にとっての真実は「面白い」に集約されてるわけです。
そう考えると、なんて、最高で最低な職業の人たちなのでしょうか。芸人。
みなさんも芸人のいうことを、ありのままに信じない方がいいです。
信じられる情報は「芸人」ではなく、ぜひ、「池上彰」から仕入れてください。
池上彰さんは、主観が入ってない、客観的な事実しか言いませんので。
でも、僕は芸人なので、この情報を信じるかどうかはあなた次第だったりします。
4年ぶりにテニスをしました。
活動していない期間に、バイト先のお姉さまの家族とテニスをしました。お姉様だと、呼びづらいので、仮にあだ名を、みーさんとします。
みーさんには、僕の一つ歳上の息子さんがいて、みーさんがテニススクールの仲間とテニスをするときに、一緒にテニスをするそうです。
ただ、実力的に息子さんが物足りなそうだから、ぜひ兼子くん、きてと誘われました。
僕は、中高大とテニスをしてました。強くはないですが、まあまあ打てます。ただ、大学卒業から一切、やっていなかったので、4年ぶりのテニスです。
元々は参加できない予定だったのですが、行けるようになってしまったし、気分も落ち込んでいた時だったので、この誘いはすごくありがたかったです。
基本、活動していない期間は受験生に混ざって図書館で勉強する日々でした。なので、もう、テニスできることに、ウキウキで楽しみにしてました。
みーさんからテニスコートを予約してる日付の一覧表を、LINEで送ってもらっていました。
来年の1月くらいまで予約があって、びっくりしました。
予定があるって素晴らしいことです。ワクワクしながらその日を待ちました。
いざ、テニスコートへ
約束の日、テニスは15時〜17時の予定でした。しかし、僕は出発するのが遅くなり、コートへ着くのが、15時10分くらいになりそうでした。
「すみません。遅れそうです」と、みーさんにLINEを送ります。
みーさん以外の方達とは、初対面なので、遅刻はまずいと思って、焦りながら自転車を飛ばします。
到着し、遅れて申し訳ないと、息をきらし、コートを見回したのですが、どこにも、みーさんたちらしき姿がありません。
高齢者の団体ばかりで、ましてや、僕と同世代の若い息子さんなんてどこにもいません。
あれ?おかしいぞ。
そこは、初めていくコートだったので、周辺に別のコートがあるのかもしれないと、歩いて探してみました。しかし、他にコートもありません。
みーさんに「つきました」とラインをしましたが「遅れます」以降も、みーさんから返事がありません。
「え、場所はあってるよな」と思いながら、Googleマップで確認したり、日付を確認したりして時間が過ぎていきます。
「え、どういうこと、なんで」と狼狽えながら、先ほどの、1月まで書かれたコート予約の一覧表を、もう一度よく確認するとある事実に気づきました。
約束の時間が「17時〜19時」だったのです。
僕は、別の予約日と勘違いし、勝手に15時〜17時だと思い込んでしまっていたのです。
2時間も早く現地入りしてるのに、ずっと遅刻してると思って焦っていた男。
「遅れます」と、LINEして、2時間前に到着してる男。はて、こんな滑稽なやつがいるでしょうか。
もう、しょうがないので、がっくりしながら、コートの近くにある、お得なスーパーで買い物をして、帰路につくことに。
転んでもタダでは起きないぞと念仏のように唱えていました。周りの客がスーパーでチラチラ僕をみていました。
家に帰ると、その日休みだった奥さんが、「あれ?どうしたの?テニスは?」と驚いていました。
ワケを説明すると、彼女に「本当君は残念だな、あんなにウキウキして出てったのに」と呆れられました。
「いや、おれはこの買い物がしたかったんだ」と、言い返してやりました。
呆れられました。
そして、また家でソワソワしつつ、時間を潰し、1時間後にまたコートへ向けて出発しました。
さっきは遅刻ギリギリでモノクロだった道も、今回は虹の架け橋のように色づいて見えました。
余裕を持つということは世界の見方を変えるのです。
そして、コートに、再び到着すると、今度は、みーさんたちが、ちゃんといました。
視認できる距離に近づいて「今日はよろしくお願いします!」と挨拶すると、みーさんが一緒にテニスをするメンバーを紹介してくれました。
「こちらが息子の〇〇、で、こちらが、元旦那!」
誘われた時から、聞いていたのですが、この日は、みーさんの元旦那さんもテニスに来ていました。
みーさんから気を遣わなくていいからと言われていたのですが、やっぱり「元旦那」という言葉は、パンチワードでした。この紹介には、やっぱり、面食らってしまいました。
元旦那っていう5文字だけで、そこにドラマがあるじゃないですか。
「こちら旦那です」より「こちら元旦那」のほうが言葉に深みがある。趣があります。2人の過去を想起させます。
みーさんは、今は普通に仲良いと言ってましたが、やっぱり、元旦那という言葉には、ぼくを想像の世界に誘う力がありました。
息子さんの名前はすぐに覚えたのですが、みーさんは元旦那さんのことを「元旦那」としか僕に紹介してくれませんでした。なので、その後も、元旦那さんの名前含めた、素性はひとつも、わかりませんでした。
それに、僕が「元旦那さん!」と声をかけるのも、また変な気がしていたので、なんて声をかけていいかわかりませんでした。
みーさんは元旦那さんのことを「とーちゃん」と呼んでいたのですが、僕も「とーちゃん」と呼ぶのは、さすがに変ですよね。
もし、これが、ただの旦那さんなら、僕が「お父さん」と呼んでも、差し支えないと思うのですが、元旦那さんを「お父さん」と、呼んでいいものなのか。逡巡します。
そして、紹介の後、テニスもすぐに始まってしまったので、「あの、、、元旦那さん。お名前、伺っても、、、」といまさら聞くのも変になってしまい(元旦那さんと言っちゃってる)完全にタイミングを逸してしまい、八方塞がりでした。
結局、テニスが終わるまで、元旦那さんのことは、なんて呼んだらいいか分かりませんでした。
どうにか、はぐらかして2時間過ごしました。
みーさん、息子さん、元旦那さん、そして、兼子。みーさんのテニス仲間は体調不良で帰られてしまったので、この4人でテニスをしました。
今考えても、僕がそのメンバーに混ざってるのはおもしろいですね。本当にありがたいです。
※このnoteに書いていいですかと、みーさんに許可はとってるので、好き勝手書いてます。
4年ぶりのテニス
正直、僕のプレイは、それはそれはひどかったです。シンデレラでいえば、掃除を押し付け舞踏会へ出掛けた、おねえさま方といったひどさです。
元々、少しでもやらないと、下手になるタイプだったのですが、4年ぶりは、とんでもなくポンコツでした。
まず、みーさんが新品のテニスボール(4球入りの缶)を用意してくれていたのですが、開始30分で僕がサーブを打った時にラケットのフレームに当てて、ボールをテニスコートの外に飛ばしてしまいました。
「あわわわわわわ!!」って思ったし、口から出てました。
テニスにおいて、サーブとは、唯一、自分から打てる球です。それ以外の球は、相手が打った球を返すので、自分の理想の体勢で打てることが少なくなります。
その点サーブは、相手がどんなに格上であろうと、球が速かろうと、自分の理想的な体勢で打てます。
しかも、シングルスなら交互に自分のサーブが回ってきますので、サーブがうまければ、テニスというスポーツはかなり有利なのです。
にもかかわらず、僕は、昔からサーブが下手です。肩を痛めてたのもあるのですが、苦手なのです。
サーブが下手すぎて、本来あるサーブの有利をドブに捨てているのです。
そのドブが、テニスをしていない、この4年の間に熟成され、僕のサーブをラケットのフレームでボールを的確に捉え、住宅街の方にミサイルのように飛ばすといった、芳醇なものになっていました。
あまりの、出来映えに、吐き気がしました。
今年のボージョレは大失敗。
僕が慌てて、みーさんに、「ボールとってきます」というと、このコートの外は坂道だから、球は転がっていって、絶対に見つからないとのことでした。愕然としました。
「気にしないで」「まだボールあるから」と声をかけてくれる皆さん。申し訳ない気持ちMAXです。
テニスを10年もやってたのに、開始30分で、新品の球を失くしてしまったのです。
元旦那さんは、今日でテニス2回目とのことでした。テニス2回目の方がボールを無くすならまだしも、10年やってたやつがボール失くすなんて。
「ああ、僕という男はなんて情けないんだ」握り拳をギュッとした、その30分後に、サーブをさらに強くフレームに当てて、また住宅街の方へボールをICBMのように飛ばしてしまいました。
僕の中で、発射に伴う緊急警報は発令されていませんでした。
この球も、もう二度と見つけられません。
あれだけ、優しかった皆さんも「まだボールあるから」「気にしないで」の声にハリがありません。
無言の「おまえ、テニスやってたんじゃないの?」という、いたたまれない空気が僕に刺さりました。
ボールが、2球しか手元にないので、ボールをネットにかければ、すぐに取りに行かなければなりません。
球が4球あれば、ネットにかけても、新しいボールをすぐに誰かが出し、プレイが再開できます。しかし、誰かのせいで球は2球しかありません。
僕のせいであんなに楽しかったテニスが「テニスをするためにボールを拾う。ボールを拾わないとテニスができない」という、自転車操業みたいな、余裕のないものへと変えてしまいました。
さらなる不運が兼子を襲う
4年ぶりのテニス。自分でも下手になっているのは百も承知です。
ボールも場外に飛ばしてます。恥もかきました。ここまできたら、もう、失うものもない。そのはずでした。
しかし、まだありました。
そう。怪我です。
始まる前にも、みーさんから「兼子くん、絶対怪我しないでよ。」ときつく釘を刺されていました。
「僕は、本当に怪我を一番、恐れてますから、気をつけます。」なんて深刻そうな顔で言っていたあの男。誰だ、あの男。
きっかけはみーさんの「疲れたから、若い2人で、やりな」という一声でした。
そして、僕と息子さんのシングルスが行われることに。
みーさんの息子さんは、テニスを中高6年間やっていたようで、正直、僕と同じくらい打てました。かなりうまいです。ちゃんと考えてる人の、頭がいいテニスです。
僕は、頭を使うとか、勝ち負けより、フォアハンドがうまく打てたら気持ちいいという、アホのテニスです。サーブも下手ですし。
お互いに、久しぶりのテニスながら、長いラリーも続きます。段々と、試合が白熱していきました。
試合終盤、息子さんにドロップショットを打たれました。ドロップとはネット際にぽとりと落とすような球です。
どうにか反応した僕はネットまで全力疾走。どうにかボールを相手コートへ返したものの、あっという間に、そのままバランスを崩し、滑るように膝から地面に落ちていきました。
手からラケットも放り出され、さながら地引網を仕掛けた漁夫に捕らえられるように、体ごとネットに突き刺さりました。
しかも、ベンチに座る、みーさんと元旦那さんの目の前で。
そうまでして、どうにか返せた球も、息子さんにボレーで華麗に決められ、僕はポイントを失うだけでなく、お気に入りのスウェットの膝、そして、小ぶりでチャーミングな膝小僧下の皮膚も、擦過して、失ってしまいました。
その膝からは、おとなになってから、膝からはあまり見なくなったでお馴染みの血液という液体が流れていました。
そして、血が出たのは左膝だけど、強く打ち付けたのは右膝の方でした。痛みの度合いが見かけとは裏腹なのです。
さながら、「見た目は左、中身は右」という名探偵コジカといったところ。
生まれたてのコジカは、プルプルと震えて、僕の膝は立っているのもやっとでした。
その後のシングルはもう、痛くて痛くて、辛かったです。
それでも、やっぱり。なんでしょう。生きてるってかんじが、しました。
痛みと息切れ。これが生きてるってことだと僕に思い出させてくれました。
一球一球に真剣になる。そこにだけ集中するとき、その場に悩みや不安はないのです。
試合の結果はたしか3対3で、ドローだったような気がします。転んでから記憶が曖昧です。
でも、みーさんが、「久しぶりに息子さんのあんな真剣な顔をみた!」と嬉しそうに言っていて、元旦那さんも「ちゃんとしたテニスを初めてみた」と言ってくれて、僕も転んだ甲斐があったかなと思いました。
後日
その数日後、プールのバイトがありました。
プールの監視員は基本、一年中、短パンです。なので、女性のバイト方に、僕の痛々しい膝がすぐに、見つかってしまいました。いやん。
「兼子くん!それ、大人がつける大きさの絆創膏じゃないよ!」って大笑いされました。
僕は、笑いに飢えていたので、みーさんの息子さんとシングルスして、気づけば、このザマですっといって、また、彼女を笑わせました。
やっぱり、笑いは最高です。
転んでもタダでは起きないぞと、また念仏のように唱えていました。
↓でかい絆創膏です。治りかけです。嫌な人は申し訳ないです。ただ、大人がつけてるこのデカさの絆創膏はみんな笑ってました。
また、書きます。それでは!