【ダメ人間】誤解される男

みなさんは自分のことを「ダメ人間」と思うことはないだろうか。

僕なんかは、もう、しょっちゅうだ。というか、昔からずっと、自分が「ダメ人間」であると思い続けて生きてきた。

だめだ。もうダメだ。僕はもう、とにかくダメなのだ。

しつこいようだが、僕はもう、本当にダメなのである。

ただ、これだけは言える。僕は気づいているのだ。自分が「ダメ人間」であるという事実に。僕は、自分が「ダメ人間」の自覚があるタイプの「ダメ人間」なのである。

この自覚はすごく重要であり、主に精神面のゆとりに、天と地ほどの開きがある。
ダメな自分を受け入れられるかどうかで「プロダメ人間」と「アマチュアダメ人間」の差がはっきり分かれるのだ。

プロとアマチュア

僕の場合、自分がダメ人間である自覚は、物心ついたときには既にあった。物心ついてるのに毎朝、おねしょをしているときには、自分がダメだとすでに気づいていた。

物心ついてるのに、昼間、おむつをしている自分を俯瞰で見て、自分はどうにもダメだと知っていた。

精神は早熟なのに、どうにも下半身は未熟だった。そこが自分がダメ人間だと気づいたきっかけだったかもしれない。

そこから、育んだダメ人間としての自覚は、年季が違う。

なので、今更、自分のダメさに、がっかりもしないし、傷ついたりもしない。

それに、基本、今までの人生、良かったこと全て、「運が良かった」と思ってる。ダメでもともと、ダメ人間なのだから。


僕は、ダメな自分が、全く嫌いじゃないし、むしろ、好きだ。ダメな自分を楽しんでいる。

それに対して「アマチュアダメ人間」は、自分がダメ人間だと受け入れられない。肥大化した自意識が、自分のダメさを許せないのだ。自分にがっかりすることほど悲しいことはないと思うけど。

僕は、今まで生きてきて、仲良くなった友達、お世話になった人、中学から一緒の奥さんもそうだが、みんな、僕のダメなところを好きになってくれた。おこがましいと思われても、ダメ人間なので、しょうがない。

ダメなところを好きになって貰えれば、もう無敵なのだ。なぜならば、もうこれ以上嫌いになる要素がどこにもないからである。あとは加点されるだけである。

そして、いくらダメな僕にも、たまには(ごくたまには)いいところがあるので、ちょっとした善行で「あいついいとこもあるじゃん」と、評価はうなぎ上りになる。ダメ人間である僕には、誰も期待していないので、みんなには、思いがけない、いいことがあったとハッピーサプライズになる。

アンパンマンに例えるならば、「顔濡れてない時も、新しい顔にしたいかなと思って、、、これ、、、迷惑だったかな?」と、カバオくんが、新しい顔をもってきたら、どうだろうか。

いつも、ピンチの時に、バタコさんが遠投してくる顔より、嬉しさ100倍アンパンマンになると思う。

しかも、カバオくんである。「カバなのに気が効くじゃん。」ってなるに決まってる。

「カバってバカと似てるから、下に見てたわ。ごめん、意外といいとことあるじゃん。」ってなるに決まってる。

それが、カバオなのだ。もう、アンパンマンはカバオのピンチは優先的に助けちゃうと思う。

ダメ人間で、元々の点数が低いので、加点方式の恩恵で僕は生きてきた。僕は深い意味もなく、本当に「人に生かされながら」生きてきたのだ。

僕、ダメ人間なのですが、、、


それなのに、それなのに、である。

最近、新しく仲良くなった人や、初対面の人は、僕のことを「ダメ人間」だと思わないらしい。

むしろ、「すごい!」だったり、「若いのにしっかりしてる!」だったり、「頭いいんだね!」だったり、のオンパレードだ。いつの間に神輿に乗ったんだ?全く、そんなことはない。

頭は悪いし、しっかりしてないし、ちゃんとダメ人間である。

学歴がいいとか結婚したとか、いろんな要素が、そうさせているのか。僕を昔から知ってる人は、口を揃えて僕のダメさを笑ってくれるというのに。

いわれのない誹謗中傷に傷つく、とかはあるけど、いわれのない拍手喝采にたじろぐとは、なんぞや。

挙げ句の果てに、この間、「なんでもできるね!」なんてことまで、言われてしまった。

「な、なんでもできる」

ダメ人間として自覚があるのに「なんでもできる」だと。僕は、その言葉を聞いた瞬間、脳内トリップしてしまった。コーヒーカップの中で白いミルクが渦を巻くように、僕の周りの空気も僕のからだと、緩やか混ざり合った。

なんでもできる。そんな完璧人間がこの世にいるわけがない。そんなこと、みんなわかってるはずのに、なぜ?そんなところを目指してるわけじゃない。というか目指しても、幸せになんてなれない。道を誤った。僕はダメ人間。いつから、ダメじゃないと錯覚させていた?いろんなことが残念で、だめで、中途半端で、そこから目を背けるために、いろんなことから逃げてきた人間なのに。いや、ダメ人間だからこそ、数少ない、できることを大切に育てようと思ってるだけなのに、、、。あれ?僕は誰だ?僕は?ここはどこだ。

と、頭の中がぐわんぐわんと揺れる。どちらが、天でどちらが地なのかもわからずに、面白い返しなんてできず「い、いやいや、、そんなことは、、」と、しどろもどろになっていると、

僕を褒めてくれた女性は「あら!また謙遜して〜!奥ゆかしい!!」なんて返すもんだから、また謙遜したら「日本人としての美徳だわ!和の心を持ってるわ!あら、よく見たら、ジャパニーズサムライじゃない!あなた!素敵ねー!」なんて、さらにお褒めの言葉を暴徒化させた。

「さ、侍ですか」聞き返す僕。

「そう!!サムライ!立派ねえ!」

「いや、」と否定を言いかけるが、口ごもってしまう。もはや、僕は、何を褒められているのかもわからない。というか、ここはどこだ。「なんでもできる」と言われてから、記憶が曖昧である。そうだ。ここは、、、、門の上だ。そうだ、僕は飢え死にしかけていて、確か、門の上にきたのだ。

もうここまできたら、全てが誉められてしまう。全てが、いいようにとらえられてしまう。しょうがない、下人は、覚悟を決め、えいやと、腰に差していた、太刀を鞘から抜き、老婆にその白い鋼の色を見せつけた。

すると羅生門の上で髪を抜いて「好き、嫌い」と恋を占っていたその老婆は「あらやだ!刀が月夜の光を反射して、ますます、男前に見えるわ!素敵!」と、下人をますます、持ち上げる。

しかし、次の瞬間、老婆は「何!この虫!きゃー!!」と叫ぶと、その場から、這うように逃げ惑った。

下人が手に持つ、艶かしい刃に反射した光が、たくさんの羽虫を呼び寄せたようだった。無数の羽虫は螺旋を描きながら、老婆を追った。

虫たちのおかげで、僕は、事なきを得たのだが、

え、もう、どこまでが夢で、どこからが現実なんだ。え?もう、その境界が曖昧になってしまうくらい、ショックであったのだ。

こんなことは今まで一度もなかった。自分から何もせずとも、(むしろ、何もしないが故に)自分がダメだとみんなわかってくれていた。

ただ、なんだか最近、調子が良すぎる。周りが、僕を「すごい人間」と評価してくる。耐えられない。なんだか人を騙してるみたいで申し訳ない気持ちでいっぱいになる。僕は、こんなにダメ人間なのに。

このままでは、「なんか悪いことをしていない」と他人に気をつかう様に「あれ、なんか、いいことしてない?」ということに気を遣い、恐れるようになってしまうだろう。

そして、ここで僕が、危惧しているのは、「これ、減点方式にならないか?」という点である。

減点方式とは、「できるやつ」「すごいやつ」が、持ち点100から始まり、できないことばかり、見つけられ、ポイントが下げられていく悲しいシステムだ。世の中の、人間関係のイライラの原因がこれだ。

「理想と現実。」「思ってたより、大したことないな。」「こいつ使えねえな」

無理無理無理!!!


最初からハードルは低くして、テレビからは離れて、見てほしいのだ。ハム太郎。

僕はダメ人間なのだ。見つけようと思えば、欠点だらけ。その欠点を、掘れば、どこまでも、僕の欠点はマントル付近まで届いてしまうのである。

我輩はダメ人間である。名前もろくに言えない。

ちゃんと、ダメな人間である証拠を発信していかないと、「良い」誤解ばかりされてしまって、僕の身がもたない。

これからは、ちゃんとダメ人間である発信をしていこう、と思った。

そう。せっかくSNSというメディアがあるのだ。

ずっと、このSNSというメディアが苦手だった。正直、苦痛だ。自分がダメ人間なのに、他人様に発信できるようなことは何もないと思ってるからである。

無理してカッコつけて、発信しても、そんな器じゃないのだ。虚しいのだ。

ただ、僕は、ダメ人間である説明責任を果たして、「良い誤解」を、ちゃんと解いていきたいと思ってる。

100個くらい、ダメなことを書きたい。

ただ、100個も続けられないのが、ダメ人間の証とも言えるのかもしれない。ダメ人間のジレンマ抱えながら、ダメエピソードを書きたい。

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