ハチ公前集合「梅干し」受け渡し
最近、僕はネタを書いていない。面白いことが、何も思いつかなからだ。ネタが思いつかかないと、普通に焦る。ただ、焦ってもしょうがない。なぜなら、思いつかないのだから。
諦めて、ここ最近は、毎日、ウクレレの練習をしている。
ヘタなので、ウクレレはやればやるだけ上手くなる。かけた時間だけ、上達する。ウクレレは、焦りとは無関係の世界にある。停滞せず、一歩ずつ前進していく世界は心地いい。
しかし、このままだと、ウクレレだけが上達してしまう。せめて、ネタは書けなくても、何かしらの文章は書いて、やれることをやろう。
【本編】ハチ公前集合「梅干し」受け渡し
僕は、健康のために「梅干し」を毎日食べるようにしている。「ジジイかよ」と罵られようが、毎日食べている。
梅干しは「万能薬」とも言われる健康食品だ。
ジョンレノンに言われなくても、想像してほしい。昔ながらの、あの、赤く染まった、酸っぱい梅干しを。
原材料が、梅、食塩、しそ、だけの、あのめちゃくちゃ酸っぱい梅干しのことを。考えるだけで、唾液が出てくる、あの梅干しだ。
僕は、地元の農家さんが手作りした、酸っぱい梅干しを、実家に帰るたびに、東京へ密輸している。
僕の健康は、梅干しで成り立っているといっても過言ではない。しかし、そんな梅干しが、先日、尽きてしまった。
すぐに、母に「梅干しの仕送り」を打診することにした。
すると偶然、明日、父親が、渋谷で用事があり、東京に来るという。
親父からの提案で、16時集合、ハチ公前で、梅干しを受け取ることに。
ハチ公前では、今まで、いろんな待ち合わせがあったはずだ。たくさんの人間の、たくさんのドラマが、そこにあったはずだ。
あの場所を、「梅干し」を受け渡すためだけに使うのは、我々が、史上初かもしれない。
危ない「クスリ」の受け渡しはあっても、まさか「万能薬」の受け渡しは、今までなかったと思う。
明日は、渋谷の主人公になれる。
親父の用事
親父が、茨城からわざわざ渋谷に来る理由は、音楽だ。去年も、東京でしか観られない、デビット・ボウイの映画を見るために、やってきた。
今回は、「Animals As Leaders(アニマルズ・アズ・リーダーズ)」という、アメリカで今一番ホットな、メタル系のバンドの来日公演を観るためにやってきた。
親父は、65歳だが、これから「世界で活躍するギタリストになる」と言っている。
冗談とかじゃなくて、マジで言っている。
そして、今が一番、ギターがうまいらしい。
「世界的なギタリストになる」という発言自体、すごく面白い。
これは、僕みたいに、頭で考えて面白いことを言うのとは、根本的に違う。
やってることが面白いから、生まれる副次的な面白さであり、本人は、無自覚なのだ。
面白いことを考えて言う人は、世の中、たくさんいる。それこそ芸人の仕事はそうだろう。
しかし、面白いことをやってるから、結果、面白いことを言ってしまっている人は案外少ないかもしれない。
親父は、紆余曲折を経て、やっと、ここからが勝負だと言っている。
そのために、聴いてみたい音楽があれば、渋谷まで聴きにくるのだ。そのバンドのファンでもないが、聴いてみたいという、好奇心で行動している。
僕のウクレレ歴は2年もない。親父のギター歴はもう50年以上だろう。それでも、ここからもっと上手くなりたい、もっと練習したい、もっと自分はいけると思う、その熱が、単純にすごい。
人間が、なにかを極めるってのはあり得るのだろうか。
常に、自分で満足できるポイントを探すことで、自分を納得させるしかないような気がする。
極めた気になった時点で、三流だと思う。
今、親父の人生そのものが、親父の面白さを加速させている気がする。
僕が、他の人と根っこの部分で、同じに考えられないのは、きっと親父のせいだ。
65歳で、世界を目指す親父に比べたら、東京でお笑いやるのは、たいした問題ではないと思ってしまう。
周りの迷惑を考えられない、そういう血が、きっと僕にも流れてしまっている。
親父と渋谷の街を歩く
僕と親父は、外国人観光客でごった返す中で、無事に梅干しという「クスリ(万能薬)」の受け渡しを済ませた。
今回のブツも、どうやら質はいいらしい。透明なケース越しに、見える鮮やかな赤を見るだけで、もうヨダレが止まらない。
体が反射的に、反応しちまうんだ。唾液腺が、バカになっちまったのか、おもわず、じゅるりと唾を飲み込んだ。
僕は音楽ライブは観ないが、開演まで、時間があるので、近くまで歩いて、お茶することになった。
親父は、若い頃、東京に住んでいたのだが、渋谷も再開発で変わってしまったと言っていた。ライブ会場も、昔とは名称が変わり、「Spotify on EAST」に変化しているという。
親父と、渋谷の街を歩く。スクランブル交差点。109の前。溢れる人。様々な人種、性別、年齢がごった返す街。
親父は、しきりに「やっぱり東京はいいよな」「ワクワクするよな」「俺に合ってるな」と言っていた。65歳の親父が、完全に、浮かれていた。もはや、蹴った足は、渋谷の空中を歩いていたかもしれない。いや、そうだ。確実に、ドラえもんより、地面から浮きながら歩いていたと思う。
「Spotify on EAST」は、道玄坂のラブホテルや風俗店が多い通りにあった。
場所は確認したので、近くのカフェを探すことに。
途中で、外観がアジアンテイストの「エイジア」というラブホテルがあった。それをみた親父が、「なんだ。レストランかと思ったら、ここラブホテルなのか!」と言い、「いいなあ!よく考えるなあ」と感心していた。
思わず、「ラブホの外観で感動する奴いねえから!」とツッコみ、「それに、ラブホは外観じゃなくて、中身だろ!」と言ったりした。
その「エイジア」の近くには、「ユーロライブ」と言う、お笑いも演劇もできるライブ会場があった。
この「ユーロライブ」では、コントが面白い芸人が単独ライブをやったり、「テアトロコント」と言う、演劇とお笑いを横断する新しいライブを開催していたりする。僕も、いつか出ると決めている。
ここは、最高のライブ会場だと、親父に、ユーロライブの紹介もした。
すると「音楽もお笑いに限らず、カウンターカルチャーってのは、いつもこういう、猥雑な場所から生まれるんだよな」と嬉しそうに笑っていた。
僕には、本来、ネガティブなはずの「猥雑」という言葉の響きが、とても、魅力的に聞こえた。
簡単に言えば、面白さや、新しさは、綺麗な水だけじゃ、育ちはするが、生まれないという事だろう。高尚なものを高尚なものとして隔離すると、文化は発展せず、古典になってしまう。
人が多ければ、良いことも悪いことも増える。
サブカルチャーは、その、清濁を併せることによって、新しい化学反応を起こしていく、そしてムーブメントになる。
それが、田舎にはない、都会のもつ、いや、都会だからもてる、地域的な役割なのだろう。
そして、ユーロライブ前の喫茶店で、二人でデカフェコーヒーを飲んだ。16時以降のカフェインはダメだと、二人の意見は一致している。
そして、これからやりたい音楽、ギターの話、お笑い、人生、最近読んだ小説などを話した。
そして、ライブ開演が近くなったので、見送るために、会場へ移動した。
すると、会場前がありえないほどの人だかりになっていた。1時間前に、前を通った時は、人なんていなかったのに。
しかも、男だらけだ。どの業界も、コアなものほど、男の人の方が好きらしい。
その群衆の中に、当日券を買おうと、分け入る親父。話を聞くと、事前に買ったのに、発券した後、お金を払うのを忘れたらしい。
フットワークは軽いのに、ちゃんと「ジジイ」である。
それでも、この猥雑な人混みに、躊躇なく、入っていけるのはすごいと思った。
親父は、若い。そして、楽しそうだった。
「梅干し」を毎日食べるだけで「ジジイ」と呼べるのなら、渋谷の猥雑さに好奇心だけで飛び込めるのは、ある意味「若者」かもしれない。
もしくは、そこに、本来的な垣根はなく、時間は幻想なのかもしれない。
自分も、楽しいことをやろうと思った。
とりあえず、今度、実家に、帰って、親父のギターを聴いてみようと思う。
それはすごく、楽しそうだ。
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