愛知最強の廃墟「千歳楼」を観る
本記事の公開・加筆修正にあたり,現地に赴くのは勿論,図書館に足を運んだり,インターネット上に存在する貴重な資料を探したりしています。本記事があなたにとって有益なものであれば幸いです。
【2020/06/14追記】当記事の続編ないし外伝的な位置付けの記事を公開いたしました!詳しくはこちら!!
0.序章
2018年6月某日。私の思いつきで行動をする習性はこの日も顕現した。
皆さんは愛知県春日井市にある元旅館「千歳楼」(ちとせろう)をご存知だろうか?
千歳楼は2003年10月に閉業した旅館。2008年前後から荒廃が進み、2018年現在、心霊スポット・廃墟として有名である。
当物件は、放火が繰り返し発生し、また2012年には白骨死体も発見され、それ以後春日井市によって厳重なバリケードや監視カメラが設置されている。2017年には当物件に侵入した高校生が書類送検された。更に2019年1月には当物件の側の川岸で一部白骨化した遺体が発見されている。当物件を訪問する際は侵入はせず外から鑑賞することを推奨する。
1.千歳楼へ
千歳楼のそばにかかる橋から撮影。
画像には、4軒程の建物が写っている。しかし、右から2件目の白い建物は放火によって焼損し、崩壊しかかっている。この建物は従業員用の寮だったらしい。
そしてその左隣にある屋根から雑草が生えている建物は浴場だったそうだ。そして浴場の左隣の大きな建物が現役当時は宿泊施設として使われた建物だろう。写真では分かりにくいが、非常階段は錆が目立ち窓ガラスはあちこち割れている。下記ブログに掲載されている千歳楼の営業当時の画像と比べると建物の劣化(廃墟化?)は一目瞭然だろう。
2.千歳楼に歩み寄る
千歳楼はこの通り頑丈なバリケードで立ち入りができないようになっている。割れたガラスと駐車場方面を監視するカメラが印象的だった。ちなみに、千歳楼の駐車場は現在でも千歳楼の近くにあるお寺、定光寺への参詣客用の駐車場として使われている。画像に写っている車は何年も放置されている廃車なのだが、2019年5月頃に撤去されたようだ。
恐らくここが千歳楼の入り口だった場所だろう。ここも頑丈なバリケードで封鎖されていた。建物は廃墟、けれどもカメラは現役というのは何となく不思議な気分だ。以前は現役時代のこの辺りを写した写真が掲載された「藤田さんちの休日」というブログがあったのだが、Yahooブログサービス終了に伴い閲覧不可能になってしまった。・・・と思われていたが、GeoLog Projectという閉鎖された日本ジオシティーズのサイトをアーカイブ保存している有志の方を発見した・・・と思ったのも束の間,こちらも2022年末でサービス終了してしまった。「藤田さんちの休日」は永遠に失われてしまった・・・と悲しみに暮れていたがそれは杞憂だった。米国の非営利団体「インターネットアーカイブ」が提供するデジタルアーカイブ「ウェイバックマシン」に永久に見ることができなくなったと思われた記事が保存されていた。下記にリンクを貼る。「藤田さんちの休日」の記事は営業当時の千歳楼の様子を知ることが大変貴重な資料である。
こちらも割れた窓ガラスと錆びきった非常階段が存在感を主張していた。印象に残ったのは割れた窓ガラスの側にあるカーテンだった。風が吹くたびに大きく揺れるカーテンはかなり不気味だった。
・・・ところで、写真に写っている上から2つ目のドアだが半開きになっていることが確認できる。このドアは6月の訪問時も9月の訪問時にも半開きになっていたのだが、グーグルマップのストリートビューではきちんと閉まっていた。侵入者の手によって開けられたのか、風の力によって開けられたのか不明だが廃墟で半開きになっているドアや窓は不気味さをより一層ひきたてる。
3.営業時の千歳楼
8月が終わりに近づき、ツクツクボウシも鳴き始めたが、まだまだ猛暑の日々が続いている。私は、この日目が冴えて眠れず、退屈しのぎにツイッターで「千歳楼」と検索していた。そして、私はそこで素晴らしい写真と出会った。なんと・・昭和の千歳楼の写真が載っているでは無いか!!写真を撮った昭和ショウ氏から掲載許可を頂けたのでその写真を載せる。(引用源は本ページ最下部に記載)同氏によれば昭和49年頃に撮影したそうだ。
上から1枚目と3枚目が昭和ショウ氏が撮影した写真。上から2枚目は私が撮った廃墟化した千歳楼だ。同氏は千歳楼の川を挟んだ対岸にある「應夢亭」(應夢亭は2018年現在も営業している旅館)からこれらの写真を撮影したという。対して、私は千歳楼の側にかかる橋(上から3枚目の写真に写っている橋)から写真を撮った。したがって、同氏の写真と私の写真はアングルが異なるため比較がしにくいだろう。読者の理解を深めるために私は下記の画像を作成した。
昭和49年と同じ建物であると思われるものを□で、同じ建物かどうか判別できないものを△で表わした。(こんな図を示されて余計に訳が分からなくなったという方がいたら申し訳ない。)黄色の四角と赤い四角の間に位置する建物は昭和49年以降に増築された部分であることが分かる。1980年代のバブル景気の時に無理な増改築をした結果、1990年代の不況(失われた10年)で倒産したというホテルや旅館は全国に無数に存在するが千歳楼もその典型的なパターンだったのかもしれない。
※上記で昭和ショウ氏の画像を加工しているが同氏から画像加工の許可も頂いている。
4.千歳楼周辺へ
最初の電車と廃墟のコラボレーション画像はこの橋から撮影した。この周辺は少し寂れてしまった感じはするが完全に観光客が居なくなったということではない。この日も何人か歩いている人を見かけたし、今でも旅館や喫茶店が細々と営業している。ちなみにこの橋は城嶺橋(しろがねはし)という橋で、昭和12年3月に完成した橋で京都府の三条大橋を元に作ったとか。この橋についてもう少し詳しく述べているサイトを見つけた。閲覧したいという人は上記画像をクリックして欲しい。倒産して間もない頃の千歳楼も少し見ることが出来る。
逝ってしまった電灯
城嶺橋にて。ポッキリと逝ってしまった電灯。「電灯がつかない時は(中略)お知らせ下さい」と書かれているがこのように電灯自体が消滅した時はどうすればいいのだろうか。
千歳楼の対岸にある廃屋。この廃屋に関する詳細は下記記事を参照して欲しい。
写真タイトル「覗いてみた①」
写真タイトル「覗いてみた②」
廃屋にはごみが散乱していた。千歳楼は頻繁に放火被害に遭っている。そう考えるとこちらの廃屋はあまり荒らされている様子が無く保存状態も良好であったように思える。
この廃墟の内部の様子を記録したサイトを見つけた。気になる方は下記URLからアクセスして欲しい。
5.おまけ
少し、山道を登って定光寺にも足を伸ばした。(165段の階段を登って足が疲れた。)画像では人は1人も写っていないが家族連れやカップルなどまばらながら人はいた。しかし、寺の関係者(僧侶など)の姿は見当たらず、お守りなども無人販売で寂れてしまっている感じが拭えなかった。
定光寺展望台からの眺め。画像中央部奥に不鮮明ながらビルが見えるだろう。あのビルは名古屋駅のビル郡である。案内に「展望台に茶屋がございます。」ということが書かれていて、「せっかくだから、飲み物でも買おうか」と考えていたのだが、展望台には長年使われて居なさそうな小屋のようなものがあるだけで茶屋は無かった。恐らくここが最盛期だった頃はこの小屋が茶屋だったのだろう。
重要な追記:「長年使われていなさそうな小屋」と書いたがどうやら秋の紅葉の季節などになると茶屋として現在も営業しているようだ。
6.まとめ
千歳楼の周辺は今でも営業する喫茶店や旅館もあるものの全体的に寂れているという印象を受けた。しかしながら、山の谷間に位置するこの場所は水のせせらぎも聞こえて自然が好きな人にはいいかもしれない。
それではここからは2018年の記事の公開から2022年8月25日現在まで公開することなく埋蔵してきた本記事へのコメントを抜粋して紹介する。
私が気がついた時には「千歳楼」は完全に廃墟になっていた。それ故に廃墟になる前の千歳楼のことを私は知らない。そのため,これだけ現役時代の千歳楼に関するコメントが寄せられたことは非常に嬉しい限りである。
最後に,昭和40年代の千歳楼の写真を載せることを許可してくださった昭和ショウ氏に感謝を表する。
よろしければ、本記事の評価を頂きたい。
7.更新履歴
2018年6月25日:本ノート投稿
2018年8月某日:定光寺展望台茶屋について加筆
2018年8月30日:昭和49年頃の千歳楼の写真掲載・それに伴う説明を加筆。その他誤字脱字の修正。
2018年9月3日:千歳楼再訪。前回逆光気味だった写真などを更新。写真を追加・変更。説明文を一部変更。
2018年9月28日:文章を少し加筆。
2019年2月2日:余分な文章を消去・細かい修正
2019年6月28日:目次追加
2019年12月5日:微修正
2020年6月14日:スピンオフ記事へのリンク添付
2020年7月6日:本記事に添付していたリンク先のサイトのサービス終了に伴い、本サイトに添付していたURLを削除、その他微修正
2021年8月12日:7月6日に削除したURLサイトのアーカイブが見つかったため、そちらのURLを追加
2021年8月25日:著作権侵害が多く行われる画像に対策を実施
2021年9月13日:長らく「應夢亭」のことを「鷹夢亭」と誤表記していたため修正。失礼しました、指摘してくださった読者様に感謝いたします。
2021年11月11日:微修正
2022年8月25日:記事に寄せられたコメントのうち,千歳楼に関する思い出に該当するものを抜粋して公開
2023年3月3日:藤田さんちの休日部分のリンク修正
引用資料
関連記事