『犬に名前をつける日』

今月、8月15日よりNetflixにて配信が開始されたばかりの、2015年公開の映画『犬に名前をつける日』を鑑賞しました。

動物愛護団体へのドキュメンタリー映像を主軸にしたドキュメンタリードラマ映画で、主演は小林聡美さん。
勿論、上川隆也さんも出演されています。
上川さんが演じるのは、小林聡美さん演じる主人公・久野かなみの元夫・前田勇祐。上川さんの愛犬・ノワールちゃんもこの映画に出演しています。

私は、今回が初めての鑑賞で、事前に情報を一切入れず、正直、上川さん出演作品だからと生半可な気持ちで鑑賞を始めたのですが、それはもう本当に、大きな間違いで、羞恥心に駆られるばかりです。

とても考えさせられる・考えねばならない作品でした。

私はペットを飼ったことがありません。
もちろん、犬も猫も含めて動物は大好きです。
知人や友人宅で飼われている犬や猫と直接触れ合ったことも少なくはありませんし、YouTubeのペットチャンネルを率先して視聴します。また、テレビで動物特集の番組が放送していれば、作業の手を止めて、見入ってしまうこともしばしば。

動物は可愛いです。本当に可愛い。

私の職場に、夫婦それぞれ色の違う黒と白の毛並みを持つ盲導犬を一匹ずつ連れて来られるお客様がいらっしゃり、二匹のうちの一匹、奥様の連れられている白い毛並みの盲導犬が、私の姿を見ると毎度足下に来て、私の足をペロと舐め、頬ずりをし、尾を千切れんばかりに振って来るのですが、それがもうただひたすらに愛らしく、圧倒的多幸感に包まれ、毎度こてんぱんにメロメロにされています。

しかし、そんな私が、動物を飼うことはありません。

犬や猫は、十年以上も生きる立派な命を持っています。
本来、人間とは違う生涯を過ごす動物たちを、我々人間の都合で、人間の居住区に迎え入れる以上、きちんとした環境を提供し、お互いがお互いのために、安全・安心に生活できる場づくりをし、健康管理や存命維持を徹底してあげなければなりません。そして、それを十年以上続けるというのは生半可な気持ちで出来る物ではないのです。世の飼い主さんたちは本当に凄い。

犬や猫はおもちゃでもぬいぐるみでもありません。
意思があり、考えや感情もある、生き物です。
欲しいと思って、手に入れて済む存在ではありません。

私は、飼わないことの責任に責任を持ち、飼わないという選択をしています。
「可愛いから」「癒されるから」など、犬や猫を愛でる気持ちは、現在動物を飼われている飼い主さんたちには当然ある敬愛の念であり、私のように、ミーハー的に動物を愛でている人間の思う「可愛いから」「癒されるから」という気持ちは、それらと全く異なるものであり、そんな人間が動物を飼うことは、非常に危険です。

勿論、飼ってみたいな、と思ったことはありますし、老後に飼うのもいいかもしれない、なんて思うこともあります。しかし、それも、漠然とした現実性のない想像力の乏しい、利己的な自己都合の願望でしかありません。
私一人の考えや、気持ちの問題ではなく、同居している家族や、自分のしている仕事、体力、自身の環境などの現実を鑑みることこそ必要で、それが私が動物のために出来うる精一杯のことなのです。

この映画では、人間のエゴに巻き込まれた犬や猫の現実と、人間による懸命なレスキューが、ドキュメンタリードラマで描かれており、我々人間の過ちと、そんな我々に何が出来るのかに切り込んだ、動物と人間の歩調の合わせ方を見つめ直させられる作品になっており、全てのシーンに知るべきことが沢山盛り込まれています。
また、それだけではなく、主人公・かなみが愛犬を失ってからも、あえて犬の命をテーマにした撮影に挑み、様々な犬や猫、人々との出会いを経て、どう考え何を感じたかを描くストーリー仕立てのドラマパートとドキュメンタリーを融合させた展開になっているので、ペットを飼っている方でも、辛い作品だと気負わずに、物語に入っていける作品となっています。

中でも、私が、特に印象に残ったシーン三つをそれぞれの解釈で、語らせていただきたいと思います。

まず、映画序盤で紹介される、千葉県を中心としたボランティア動物愛護団体「ちばわん」の運営する保護施設で「最終部屋」と呼ばれる、最後まで里親の見つからなかった保護犬たちのいる部屋を取材するシーンで、センター副代表の吉田さんに懐く一匹の保護犬。
のちに「アビー」という名で里親さんに引き取られることになるのですが、無邪気なその姿に、じんわり目頭が熱くなります。
何も知らず明日には消えてしまうかもしれない命。
そのことを知ってか知らずか、元気いっぱいなのです。尾を振り、吉田さんを始めとして、その場にいる人間にとても嬉しそうに懐く。
そんな風に無邪気にはしゃぐ姿を見せる犬が、これまでにも何十万頭といたのかと思うと、グッと胸が締め付けられます。
「ちばわん」が救った命は非常に多く、処分はやむを得ない最終手段なのです。犬達を、そんな運命に辿らせたのは、彼ら彼女らを育てられず手放した無責任な飼い主や、売買を目的とした悪質なブリーダー。全ては、人間のエゴによるものです。
そんな犬たちを何とかして救ってあげたい、「ちばわん」の吉田さんや、センターにいるスタッフさんたちの懸命な想いも相まって、私は、そのシーン以降もしばらく涙を止めることができませんでした。

次に、印象深かったのは、広島県に本拠地を置き、1000頭以上の犬と猫を保護するシェルターを持つ(2015年上映当時)、NPO法人「犬猫みなしご救援隊」取材中の出来ごとです。
みなしご救援隊の代表・中谷さんは、広島市の動物管理センターから、産まれたばかりで捨てられた子猫6匹を引き受けます。
シェルターに戻り、子猫たちの入った専用キャリーを床に置いて、キャリーを開けてしばらくすると、みなしご救援隊で保護されている一匹の雄猫が、子猫たちの入っているそのキャリーの中へ自然と入り込み、子猫たちを包み込むようにして香箱座りをしたのです。
その姿はまるで、親猫そのもの。子猫たちも、そのふかふかとした毛並みの温もりに、みゅうみゅうと懐いており、その姿を見るだけでも涙腺が刺激されます。
中谷さんは、この雄猫もまた、産まれてすぐに捨てられた捨て猫だったと説明します。
「捨てられた」という認識もないまま保護された猫同士ではありますが、何か心通い合うものがあるのでしょうか。そんなことを想うと息が詰まる想いです。

最後は、みなしご救援隊の中谷さんとそのご主人が、2011年の震災後、日を待たずして、広島から遠く離れた土地、福島を訪れ、原発20キロ圏内から1400頭もの犬と猫を救出して行くシーン。
犬一匹、猫一匹、ただ連れて行くのではなく、彼ら彼女らが生活をしている居住環境や本人たちの健康状態に天候状況や、人間への警戒心、野良であるのか、元々人間に飼育されていたのかなど、それらの情報すべてを瞬時に判断して、必要に応じた方法で救い出す、適確さ。
そんな中で、中谷さんは、動物たちに「帰ろう」と声を掛けるのです。
「行こう」ではなく、「帰ろう」と。
中谷さんたちは、救助ではなく、お迎えをされているんだ。と、思うと、もう止まりません。滂沱の涙です。
また、養牛場に残された牛たちに涙ながら話しかける中谷さんの声もとても印象深く、動物たちを想う、その愛や慈しみの深さに、ただただ畏敬の念を抱かずにはおられませんでした。

私は、この「犬猫みなしご救援隊」と、代表の中谷さんを、以前より、テレビの特集を見て存じており、その中で、猫の多頭飼育で助けを求める飼い主の依頼で、猫を保護に行った先で、中谷さんが、飼い主を叱責するのではなく、真摯に向き合って、厳しく諭されている場面があったのですが、中谷さんの、飼い主本人も救えるように諭す姿に、当時私はひどく感銘を受けていたので、中谷さんが登場したシーンでは、思わず嬉しい気持ちが込み上げました。

観る人によって、感じ方や、印象深いシーンは様々だと思いますが、以上、三つが、私が特に印象に残ったシーンです。

さて、ここからは、上川さん演じる前田勇祐登場シーンについて語らせていただきます。

映画中盤。
森林公園の原っぱで、ドローン撮影の練習をしている勇祐の元へ、勇祐から連絡を受けたかなみが訪れます。
勇祐がドローンを飛ばす横に立つかなみ。

二人が何故離婚したのか、その詳細は描かれていませんが、二人の会話や距離感を見ていると、円満な別れであったのだろうな、と、推察できます。

かなみとかなみの飼っていたゴールデンレトリーバーの「ナツ」が病気をしたと知り、心配で連絡をしたと話す勇祐に、かなみはポツリポツリと悩みを吐露します。

「ナツ」の死を受け「犬のために何かしたい」と一念発起をし、犬の命をテーマにした映画を撮影していること、またその撮影では、それまで目を背けていた、犬たちの置かれている悲惨な現状とその実態に向き合っていること、一方で苦しんでいる犬たちを救うべく尽力している人たちがいることを話し、かなみは、撮影を通じ、病気の「ナツ」に治って欲しい一心で辛い治療をさせてしまったけれども、それも他の人間と同等に、自身のエゴだったのではないか、「私も知らないうちに人間の都合で犬を不幸にしていた」と打ち明けます。

話しを聞いた勇祐は、「聞きかじりの話しだけど」と切り出し、犬と人間の関係における犬の気持ちに関して、例え、飼い主と離れ離れになったとして、どんなに辛く悲しい思いをしても、犬は、飼い主に会った瞬間、全て忘れて忘れるのだ、と。飼い主との再会への喜びが、犬の辛く悲しい思いを打ち消してくれることを話し、「ナツ」もきっと、かなみと過ごせて幸せだったはずだと、かなみを元気づけます。

映画を撮影していることに関しても、かなみは「ただ撮っているだけなんだけどね」と内向的。
勇祐は更にかなみに言葉をかけます。

「撮るっていうのは、ちゃんと見ることなんだよ。誰かが見ていることは大事なことなんだよな」

と、自身も言葉を噛み締めるように。
勇祐が立ち去ったあと、何とも無くかなみはじっと天を仰ぎ見ていました。

次の再会は、映画終盤。
かなみは「ちばわん」から引き取った新しい家族「ハル」と名付けた保護犬と共に公園を散歩し、そこでまた勇祐と再会します。
勇祐の手にはリードが握られ、その足下には黒い艶やかな毛並みをした一頭の犬の姿がありました。
見たことのない犬の姿に「どうしたの?」と、驚きながらも、嬉しそうに尋ねるかなみに、勇祐は、かなみの話しを聞いて保護犬を引き取ったのだと伝えます。

中盤と序盤、それぞれ公園での再会の別れ際、かなみも勇祐も「またね」と挨拶をするのですが、その挨拶こそ、この二人が良好な関係を築いており、それが揺らぐことなく、続いていく様子を伺い知ることが出来て、なんだか晴れやかな気持ちになります。

作中に「犬は飼い主を選べない」という言葉が出てくるのですが、犬が飼い主を選べないのと同様に、飼い主との別れや再会を選ぶことは出来ないな、と、それと同時に、元夫婦であり、別れたあとも、こうして再会をするかなみと勇祐の姿を見て感じました。

さて、前田勇祐の登場シーンは以上となるのですが、上川さんは本当に、こうした主人公を励ます助言キャラとして、物語に溶け込むのが非常にお上手で、存在感を放ってはおられるのですが、それが決して物語の邪魔をしない、丁度いい存在感なんですよね。

また、中盤の勇祐の犬の感情にまつわる助言ですが、これは、なんと、上川さん自身の体験に基づくお話しだったことを、山田あかね監督がインタビューで述べられています(※)。
だからこその、深みのある、あたたかな言葉だったんですね。

そして、映画初出演の上川さんの愛犬ノワールちゃん。
勇祐が保護犬として引き取った「チコ」の役として登場したのですが、これがもう可愛いのなんのその。
尾を振って、共演の山田監督の愛犬、ハルちゃんにじゃれる姿は、遊ぼうよと甘えているようで、また、それを受け入れるハルちゃん、二人の愛らしいやり取りは、誠に筆舌尽くし難しです。

四年にも渡り、山田監督が取材をし、映画撮影されたことによって、今回、私は、これまで知識としては知っていたこと、しかし、それも漠然とした認識で、知ったつもりになっていただけだった「動物愛護」の現実や、知りもしなかった、ボランティア活動の全てを、見て、知ることが出来ました。
私にとって、この映画は、”感動”・”ハートフル”というよりは、ドキリと胸に手をあてることもある、心揺さぶられる作品でした。

ペットを飼われている方には、その大事な家族への愛を再確認することが出来る作品であり、そして何より、これからペットを飼おうと思っている人、特に今の情勢で在宅が多くなり、環境が一時的に変化している人こそ、この映画を観て、一度立ち止まって見てはいかがでしょうか。

『犬に名前をつける日』
これから飼う犬や猫に、名前をつけるというのは、大切な命に責任を持つことなんだな、と、この映画を観て、再認識しました。


『犬に名前をつける日』公式サイト:http://www.inu-namae.com/
NetFlix配信ページ:https://www.netflix.com/title/81485779


(※)「この言葉は、上川さんご自身の体験に基づくものなんです。映画の状況設定を上川さんに伝えたら、彼がこういう話をされたんです」
映画『犬に名前をつける日』の山田監督が語る「犬や猫のために、自分に“何が”できるか」 | 情熱クロスロード~プロフェッショナルの決断 | ダイヤモンド・オンライン https://diamond.jp/articles/-/80367